近畿コカ・コーラボトリング大阪工場は、1961年12月に大阪千里丘の本社敷地内に竣工した。工場が完成するまで、製品はキリンビール尼崎工場に生産を委託していた。備え付けられた製造ラインは新三菱重工業(当時)がアメリカのマイヤー社と技術提携して制作した国産機であった。能力は200BPMで、これは当時としては高速ラインである。1号ラインは1963年に250BPMの能力アップ、1964年にホームサイズ(150BPM)兼用の改造を経て1965年に美原工場へ移設された。
200BPMのライン1つだけでは高まる需要を満たすことはできず、2号ラインの設置が決定。1964年に500BPMの能力を誇るラインが竣工。1号ラインも同じ500BPMのラインと入れ替えになり、旧設備は先に述べた通り美原工場へ移設された。
工場があった頃の千里丘本社。
その後、美原・明石・京都各工場が建設され規模の面で小規模な大阪工場での生産は縮小されたと思われる。それでもコカ・コーラ、ファンタレギュラーサイズ各種等を生産し続けた。写真のファンタアップルの王冠は大阪工場製のものである。1981年4月から1984年12月の間は子会社であるケーシービーフーズに工場が貸与され、サワーロイヤルホワイトのレギュラーサイズの生産を開始。この時にパストライザー(加温殺菌装置)が設置されたと思われる。サワーロイヤルシリーズは、年々減少していくレギュラーサイズの火を絶やさないために開発されたPBであった。
1985年時点ではレギュラーサイズを生産する工場は大阪工場と明石工場だけになっていたが、年々需要が減少していったレギュラーサイズの生産が明石工場に集約されることが決定。1988年10月をもって製造を終了、一部設備を明石工場3号ラインに統合し大阪工場はその歴史に幕を閉じた。工場末期に大阪工場で生産されていた主な製品はサワーロイヤルホワイト、ファンタフルーツパンチ、ファンタクラブソーダだったとのこと。27年間の操業を記念した謝恩会も開催された。工場跡地はファミリーレストランなどが開業した。
◎近畿コカ・コーラボトリング大阪工場の変遷 (製造所固有記号:なし)
レギュラーサイズ専用工場として晩年は主にサワーロイヤルホワイトを生産していた。製造を確認している商品はコカ・コーラ、ファンタオレンジ、ファンタアップル、ファンタクラブソーダ、ファンタフルーツパンチ、サワーロイヤルホワイトの各レギュラーサイズ。
1号ライン
61年開設 レギュラーサイズ(200BPM)
63年 250BPMに改造
64年 ホームサイズ対応(150BPM)
65年 美原工場へ移設
新1号ライン
63年 250BPMに改造
64年 ホームサイズ対応(150BPM)
65年 美原工場へ移設
新1号ライン
65年開設 レギュラーサイズ(500BPM)
81年 サワーロイヤル対応(パストライザー設置)
88年 一部設備を明石工場3号ラインに統合し閉鎖
81年 サワーロイヤル対応(パストライザー設置)
88年 一部設備を明石工場3号ラインに統合し閉鎖
2号ライン
63年開設 レギュラーサイズ(500BPM)
88年 閉鎖
写真引用:近畿コカ・コーラボトリング30年のあゆみより
88年 閉鎖
写真引用:近畿コカ・コーラボトリング30年のあゆみより