GALLERY OF MY POETRY

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北日本新聞「北日本文芸 詩壇」に掲載された、私の詩

新しい職場へ向かう途中

遊休農地に黄色いタンポポが

白い綿毛を見上げている

白い綿毛は青い空を見上げている

薫風にチョウが綿毛と戯れている

私はこれからの人生を思い描いた

 

蝉時雨を浴びて義母が大往生した

間際に奇跡的に開いた目は仏眼に見えた

かんかん照りから一転の涙雨

花の顔は別れ花よりも美しかった

娘が義母に手紙を添えたとき

私は袖時雨になっていた

 

初秋風に

たくさんの「飛ぶ田んぼ」が戻ってきた

きっと 納骨の義母を送りに来たんだ

「あれぇ のぼるさん どいがいね

もういいがけ 食べられ 食べられま」

義母の声が蘇った

 

 

2025年9月28日 本田信次 選評

初夏から初秋にかけてのあふれるばかりの季語に、死者への敬意や

尊厳さが表象されている。

 

小春空に深呼吸 思いきり背伸びする

足許に私がしゃがんでもまだ小さい孫

「カサッカサッ」と落ち葉にはしゃぐ

妻が掃き集めた落ち葉を

「きれ」「きれ」と拾ってはまき散らす

また箒で集めると

妻と私に葉っぱを見せに来る

「きれい」「きれい」と言うと

満面の笑みをまき散らした

 

孫に

妻は落ち葉をまき散らかされて

私は日だまりを取られて

「おじいちゃん」と

妻が丸くなった私の背中に

ストールを掛けてくれた

 

「朝顔や・・・もらい水」のような

嬉しいあきらめが思いやりになって

冬日向に解(ほど)けた

 

 

2025年1月28日 本田信次 選評

小春日和がもたらした心温まる作品。

加賀の千代女の引用句にあるように、思いやる気持ちを

〈嬉しいあきらめが思いやりになって冬日向にほどけた〉と見事に表現した。

 

東京での学友の三回忌が済んで

稲穂と山際の色が同じになった時

「今日は中秋の名月 見えたらいいね」

とLINEしたら

東京 横浜 川崎 出雲 小千谷から

そして富山の

六枚の名月が奇跡的に集まった

 

万里一空

万里同風

 

みんな同じ月を見ている

みんな生きている

遠く離れていても

あいつを思う心は一つ

 

月の顔は

ウサギが臼と杵で餅をつく姿ではなく

あいつなんだ

あいつがみんなを照らしている

 

 

2024年10月29日 本田信次 選評

月の光に照らし出されるのは友へと回帰していく時間だ。

時間の共有は存在の共有でもあり、その永続的波動が伝わってくる。

2024年12月28日

年間賞 優秀賞に選定

去年 催涙雨を悲しむかのように

車庫で雨宿りをする

幼虫のオガミムシを見つけた

今年 娘たちが巣立って

蝉時雨さえ待ち遠しい初めての夏

 

毎年 我が家では部屋に細やかに

七夕を飾るだけだが

喜びと寂しさが織りなす願い事は

娘の成長と夫婦の絆と親への思いに

満ちていた

 

今年 冷房に揺れる短冊は二枚だけになった

 

来年 私は定年を迎える

人生の雨宿り

私は短冊の色を意識して書いた

虹色の雲を願って

新たな脱皮を願って

 

 

2024年7月28日 本田信次 選評

みごとな実景の描写が、娘や家族とのかけがえのない絆のイメージを押し広げている。

「冷房に揺れる短冊は二枚だけになった」というコノテーションが読者の心の奥にまで届く。

初孫が生まれ娘の嫁ぎ先に向かった

学生時代は東京まで特急で約六時間

今は新幹線で約二時間

所要時間は三分の一になったが

年齢は三倍になった

豆腐を水槽から掬い上げるように

金魚をポイで掬うように

けん玉を皿に載せるように

全神経を腕や手先に集中して

初孫を抱いた

刻み始めた命の重さを感じる

 

孫と一緒の目じりが下がった

亡き学友の写真を思い出した

 

「おじいちゃん」と妻に呼ばれ

思わず顔を上げてしまった

シャッター音の中に

目じりを下げた私がいる

三つの命の年輪を感じながら

 

2023年6月28日 池田瑛子 選評

特急と年齢の対比。そうでしたか。

初孫との対面、新しい命に触れる厳粛な緊張が面白い形容で伝わりほほえましい

カメラに収まった三つの年輪が健やかに刻まれてゆきますように。