【宇宙銀行】BASIC INCOME
国民基本給(こくみんきほんきゅう)
「ベーシックインカム」って、はじめて聞く言葉かもしれません。
「ベーシック」は基本、基礎の意味で、「インカム」は所得、給料です。
ウィキペディアで調べると
・最低限所得保障
・基礎所得保障
・基本所得保障
・最低生活保障
・国民配当
と説明されています。
「ベーシックインカム」のドキュメンタリー映画がありますが、日本語のタイトルは生活基本金です。
「ベーシックインカム」を探求する過程で、最低限という言葉に違和感を感じました。
確かに、「ベーシックインカム」は政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るのに必要なお金を定期的に支給するアイディアなのですが、
この最低限という言葉のイメージが生活保護を連想させ、保障という言葉が社会保障の考え方から抜けられない原因だと考えるようになりました。
国民配当という日本語訳は、私の思う「ベーシックインカム」とかなり重なり近い考え方になります。ただ、日本語訳としては伝わりにくいかもしれません。
日本国憲法には、基本的人権の尊重があり、25条には生存権という権利がうたわれています。
それはとても素晴らしい思想だと思います。その上で「ベーシックインカム」は、最低限、保護、保障という言葉で語るだけではもったいないアイディアです。
私がお伝えしている「ベーシックインカム」は権利だけではなく、国民全員が受け取らなければならないお金、義務のようなイメージを持っています。
そのようなことから、「ベーシックインカム」を「国民基本給」と訳すことにしました。
一般的に、会社で支払われる基本賃金のことを基本給といい、役職手当、残業手当、技能手当、歩合手当などが除かれます。
今、皆さんがなされているお仕事は、ある意味、お役目ですから、役職手当、能力手当になるとイメージすれば分かりやすいと思います。
頑張れば頑張るほど増える部分が、歩合手当、残業手当です。
自然界には春夏秋冬と季節があるように、ビジネスの世界にも収穫の時期、台風、自然災害など予測できない出来事もあります。政府がベーシックインカム、国民基本給を支給することで、私たちは新しい畑を耕し、安心して種まきができると思います。
私の考える「ベーシックインカム」には、最低限という言葉は不適当な表現になります。
自分のために、家族のために、社会のために、質の良い仕事をするためには、十分なお金が必要です。
オリンピック選手はより良いパフォーマンスを求められます。十分な栄養を取り、体調を管理するのがスポーツ選手の義務だと言えます。
国民にも、健康になる義務、幸せになる義務があると思います。
わたしたちは、国民基本給を受け取り、より良い社会を築き上げるため、お金と切り離した次元で、自分の仕事を見直す必要があります。
もし、この世界に意味があるとしたら、世界に喜びを与える力はあなたの内部にあるに違いはありません。
そして、与えることが受け取ることよりも簡単なので、「ベーシックインカム」を受け取ることを学ぶことは、私たちの多くにとって、この地球に存在するための真の目標になるでしょう。
私たちは何を見るか、何を仕事にするかに関して責任ある時代にさしかかっています。さらに、何を買うのか?これが新しいテーマでもあります。
消費が大切な仕事になります。
消費は、本当に大切な仕事なのです。
一般的に議論される「ベーシックインカム」
「ベーシックインカム」というアイディアはかなり前からあるようです。
身近なところでは東京都知事の小池百合子さんが使いました。あと、橋下徹さん、田中康夫さんが言っています。日本の有名人ではほりえもんさん、ひろゆきさんがユーチューブなどで語られています。
世界的にはフェイスブックのザッカーバーク、テスラ社CEO、イーロン・マスクが話題にしました。テスラ社の、テスラは、天才科学者ニコラ・テスラが由来ですが、ニコラ・テスラの人生を知る時に、「ベーシックインカム」の必然性を説明できます。
※ テスラと言う映画を見れば、ビジネスによる
社会問題、経済問題が描かれています。短絡的にエジソンが酷い奴だと言う話ではなく、社員とその家族を抱えている経営者、にも、無条件ベーシックインカムの本質的なアイデア、「手放す」、例えば、役目が終わった会社の事業を終わらせるなど、深い意味があります。
最近では、2020年のアメリカ大統領選挙出馬を表明したアンドリュー・ヤンです。ヤン氏が「ベーシックインカム」を提唱するのは、労働が、人工知能(AI)に取って代わられ、仕事がなくなると心配しているからです。その対策として新しい社会保障が必要だという考え方が生まれてきます。
人工知能(AI)は、「ベーシックインカム」が広まるきっかけになりましたが、本質的には単なる背景です。
社会保障の考え方は当たり前です。
橋下徹さんは、大胆な発言をする方ですが、「ベーシックインカム」を導入することによって行政がスリム化、小さな政府になると言っています。
行政がスリム化するという話は生活保護など社会保障に関係します。
国民全員に最低限の所得を保障する。
国民全員ですから、行政は審査をする必要がありません。この人は所得が高いからとか、資産を持っているからとか、行政の裁量(さいりょう)によって判断する必要がありません。そうなると、そこに携わる公務員の仕事はいらなくなりますから、コストを削減することができ政府は小さくなります。
ここで大切なことは、国民全員に支給するこの政策は、行政コストがほとんどかからないという側面です。
行政のコストがかからないことを、小さな政府と呼びます。
ここもお金で考えた表現です。「ベーシックインカム」は小さな政府の実現を目指すものではなく、むしろ、積極的に人に投資するところが新しい考え方です。財政出動することや、ドラスティックな社会変化を目指すのであれば、大きな政府になるのかもしれません。
ただ単に、全員に、みんなに、同額のお金をばらまくアイディア、行政の裁量なしに、とても簡単に実行できるということから言えば、小さなこと(単純なこと)を大きな愛で実行するということになります。詭弁(きべん)ではなく、本当です。
多分、ここで、「ベーシックインカム」が全員一律(ぜんいんいちりつ)で、給付されることに、違和感を感じる方もいます。
お金持ちに給付されるのは、不公平だ、許せないという気持ちを訴える意見を聞きます。お金持ちは、所得が多いのだから、当然、たくさんの税金を払うべきだという考え方があります。ここは、思想の話になると思います。
「所得の再分配」のことですね。
そこで、「累進課税」(るいしんかぜい)という言葉を聞いたことがあるでしょう。
「累進」とは、数量の増加に従い、比率(ひりつ)が増すことをいい、ある数字が大きくなればなるほど、ある割合も大きくなることを言います。「課税」は、税金を課すことですが、「課する」は、強い言葉で、義務や負担を一方的に、割り当てる、押し付けるという意味です。
ある数字というのは、所得のことで、ある割合は税率です。ですから、所得が増えれば、税金を払う割合が増える。それを、押し付けることを、「累進課税」といいます。
お金持ちというと、お金をたくさん持っている人のことをいうと思いますが、持っているという観点からいうと、それは結果の話ともいえます。
なぜ、お金を持っているのかを考えてみます。
ここでは財産や宝くじに当たったなど、特別なことは別として、働いて稼いだからです。普通、「稼ぐ」というと、働いてお金を得ることをいいます。「儲ける」という言葉もありますが、思いがけず利益を得る場合や、損得で考えたときに、儲かったと使ったりしますよね。
株で稼いだというよりは、株で儲けたという方が、しっくりします。
また、稼げるは、割のいい仕事のことをイメージできます。稼げる仕事、稼げない仕事という話です。
さらに、「稼ぐ」には、精を出して働く、一生懸命に働くという意味もあります。
バイトして稼いでいる、ダブルワークで稼いでいます、とかです。何となくなんですが、儲かったお金は、みんなに分け与えたほうが、良いような気がしますが、せっかく稼いだお金は、無駄にはしたくはありません。
ここは、言葉のニュアンスですから、あくまでわたしの主観が多少入っています。せっかく稼いだお金というのと、せっかく儲かったお金というのとでは、そのプロセスに、努力というふた文字の重さが違いますし、能力の差のようなものも感じます。
資本主義の社会では、わずかな人が、すごくたくさんのお金を持っています。
そこそこの中流階級がいて、ほとんどの人が、大多数の人が、お金に余裕のない状態です。これが「富の格差」、「格差社会の問題」です。
資本主義社会である以上、「頑張って働いて稼いでもいいですよ」、「成功してお金持ちになってくださいね」というのが大前提になります。
このピラミッド社会、すなわち富の格差は必然です。
否定されるものではありません。
ある意味、平等な社会です。では、「格差社会の問題」ってなんでしょうか。
何が問題かというと、個人の問題も当然ありますが、社会の、社会全体の、経済問題だと思うのです。
富の格差が広がった結果、経済全体が機能不全を起こすのです。ですから、貧困層にはもちろんのこと、富裕層にも大問題になります。
割合から言えば、この経済の活動、この国を支えているのは、8割以上のお金に余裕のない私たちだと思います。
全員が、頑張って稼げる世の中であれば、「頑張れ」、「努力が足りないぞ」と励まし、踏ん張りあって、支え合う美学かもしれません。そのような時もありますし、勤労は美徳という観点から言えば、弱音をはくのは、単なるワガママです。しかし、政治家の能力、経済学の誤解のようなもので、皆んなでうさぎ跳びをしながら、山登りしていては、全員で遭難してしまいます。スポーツの練習中、根性論で、選手に水を飲ませない、おろかな監督がいたら、レッドカード5枚で、ロイヤルストレートフラッシュして、地球外に退場を願いたいと思います。言い過ぎですか?ひどいですか?私は、業務上過失致死障害でも許されない罪だと考えています。普通、会社経営者でも、社員に給料が払えなくなったら、責任をとります。責任感が強すぎる経営者は、保険金をかけて首を吊ってでも、会社を守ろうとします。
経済、経世済民は、「世をよく治めて人々を苦しみから救う」ですから、政治です。政治家は、会社の社長、経営者ですから、国の、経営者、国家経営が仕事です。
ですから、性格が良いとか、弁がたつとか、かわいいとか、頑張っているからとか、そんな基準で選んで良いのかと、思っています。
政治家には、スポーツ選手と違って、基礎体力のテストとか、調理師・美容師免許のようなものもないし、歌手のように、直接、心に本当に響いてくるかなど、判断する基準が不透明です。
結局は、有名人なのか、地盤があるのか、お金があるのか、資本があるのか、で、資本主義政治になっています。資本主義経済は、資本主義政治になってしまっています。そうなると、経済は、お金の機能不全により、雪山で遭難です。そうなんですか。
そうなんですよ。
だからといって、「お金持ちは、お金をいっぱい持っているのだから、みんなに分け与えるのが当然だ」、「大企業の内部留保が許せない」、「わたしたちのお金を取り戻せ」、「とにかく、腹がたつから反対だ」では、何も変わりません。
この社会のルールをしっかりと学んで、この制約の中で、法に基づいて、事実にそって、政策を、アイディアを立案して、この社会を創造していきたいと思います。
「所得の再分配」は、不公平を是正(ぜせい)しようという話です。基本的に、わたしも、それがいいと思います。
思うというのは、その人のものの見方で、心に思い浮かぶことです。その人の意識のことですよね。
ただ、「所得の再分配」は、貧困層を助けよう、「どんなに頑張っても、持たざるもの」になってしまった人を、フォローし、支えなくてはいけないという話でもないのです。
結果的に、そうなるのですが、社会を支えている人を、国を支えている人を、支えるのが経済です。
そのイメージは、体はリラックスして、心が穏やかで、研ぎ澄まされた状態の時に最も生まれやすくなります。私はトイレでスムーズな排泄後に、ひらめくことが多いです。
「うんこ食べてる時に、ご飯の話をするな」と言いたいです。これは、大きな間違いです。
「ご飯食べてる時に、うんこの話をするな」です。
政治家は、主要経済学者は、「うんこ食べながら、ご飯の話をしている」のです。
このぐらい国家経営を間違っているのです。冗談ではないのです。実証できます。そのために、意識について、考えてみましょう。
「ベーシックインカム」が、単なる社会保障の話ではないことをより良くイメージしてください。
意識とは?
意識とは、「今、ここ」の心の動きのこと、また、その働きを自分にわからせることです。
今、自分は何をやっているのか、現在はどんな状況なのかを自分自身でわかることで、それが自分にどのような影響を与えているかを、知っていることです。「意識の知」とも言えますし、「無意識の知」でもあります。はっと、我に帰る。その、「無意識」を「意識」することが重要です。
ここでは、財源を税金と言うにしておきます。
お金持ちは、所得が多いのだから、たくさんの税金を払うべきだという考え方があるとして、それなのに、また、給付を受け取るなんて、
また、「ベーシックインカム」は、国民全員が受給するため、生活保護とは違って、スティグマ(汚名の烙印)がありません。働いて所得が増えてくると給付が減るなど、貧困のわなに陥る心配もありません。働く意欲を削がないのです。
そもそも、経済的な失敗の恥ずかしさに耐える必要がある人なんていません。人道的に「ベーシックインカム」に賛同される方もたくさんいます。
憲法第25条
このように、お金をばらまくいかがわしい話が、大真面目に議論されるようになっています。書籍もたくさん出版されていますし、インターネットで検索すれば、たくさんの方がさまざまな意見を語られています。
私がお伝えしたい「ベーシックインカム」も、お金をばらまく方法論は一緒なのですが、その必然性、理由が全然違います。そして議論されているメリットの部分、すべてを包摂(ほうせつ)しています。
社会保障の話でもあるのですが、社会保障の話ではないのです。他のベーシックインカムが間違っているとは言ってはいません。誤りは必須であり、考えるためのよりよい方法があるのみで、正しい方法などないと思っています。
よい教師は教えることによって自分自身の考え方を明確にし、強化していきます。伝えることで、私も学びます。
『お金のいらない世界』を出版できることは私にとって光栄です。ベーシックインカムは社会保障の次元を超えた、経済の話、経済施策です。
奇跡の経済施策です。奇跡はみんなの協力に依存します。奇跡の交換は物理的な法則を逆転させます。後々(^^)ご説明いたします。ベーシックインカムは税金の概念(がいねん)すらひっくり返します。
沖縄型ベーシックインカム!
沖縄にはベーシックインカムを育む環境がありました。たくさんの同志が勉強会のための場所を提供してくれたり、私の体調が悪い時には車で送り迎えをしてくれたり、健康に気遣ってくれたり、毎日のように電話で考えを聞いたりしてくれました。
沖縄にはベーシックインカムのDNAがありました。沖縄に「ゆいまーる」(ゐーまーる)という言葉があります。簡単に言うと相互扶助の意味です。
ベーシックインカムって、まず、助け合いです。ここは分かりやすいです。そして許し合いが入ります。許し合って、認め合って、ごめんなさい、ありがとうって感じです。最終的に、許してくださいが、入ります。ここは、手放すことの大切さです。後々、ご説明致します。
そして面白いのが、「レキオス」です。「レキオス」はポルトガル語で琉球人(沖縄県民)のことです。
ポルトガル・スペイン大航海時代、武器を持たず、友好的で平和を愛する人たちと、トメ・ピレスが『東方諸国記』(1512〜1515)で紹介しました。『東方諸国記』は、マルコ・ポーロの『東方見聞録』に次ぐ、ヨーロッパ人による海のシルクロード地誌として知られています。トメ・ピレスも切手になるほどの有名人です。彼の本によって、小さな島が世界中の人に知らされたのです。なぜなら、この島には武器がないからです。「武器のない島レキオス」、「たたかわない民族レキオ」はヨーロッパの人には衝撃だった(バズった)に違いありません。
また、沖縄、BEGIN(はじめる)の歌に、「床の間に三線」というのがありますが、古代の琉球にはたたかわない哲学が宿っていたのです。
さらに世界中で愛される沖縄空手も演武であり、たたかわない武術とも言えます。沖縄の歴史にも戦争はありますが、小さな島だけに、できるだけ争わないように、たたかうよりも楽しむことを大切にしたのだと思います。今でもお盆やお祭りでエイサーという太鼓がありますが、音楽を通して競い合うなど平和的な伝統芸能が受け継がれています。
Let's begin (our) UBI.
ベーシックインカムをはじめよう!(着手しよう)
「たたかわない」がベーシックインカムです。
ベーシックインカムは、たたかわない経済施策、ここが沖縄型ベーシックインカムの肝(きも)になります。
この辺は、脳科学の話にもなるのです。怒りというのは人が何かをするときの最も強い動機のひとつになります。
大きな困難、社会をひっくり返そうとするような革命、その力になることもあります。だから、怒りを否定するつもりはありません。しかし、強すぎる感情ゆえに、周りが見えなくなる危険性をはらんでいます。酷い言い方をすると頭が悪くなるのです。脳は、そのように機能します。
社会の問題を解決する手段として、政治というものがあります。ただ、現実問題、政治の世界はたたかってばかりです。世界中でも、ずっと戦争がなくなりません。国と国の争いも復讐心に振り回されています。そんな精神状態で、対話は難しいでしょう。解決策がひらめくことも、気づくこともできないと思います。
脳科学からみたベーシックインカム
それは、脳の機能の話になります。脳は、首の付け根から頭のてっぺんの方へ、「生きるための脳」、「感情の脳」、「知性の脳」と大きく三層構造になっています。簡単に、「爬虫類の脳」、「哺乳類の脳」、「人間の脳」と言います。「爬虫類の脳」は生きるか死ぬか、「生存のための脳」、現代社会の生存競争でストレスを受けている脳です。心療内科が増えているのがその証拠だと思います。
その上位にある哺乳類の脳は「感情司る脳」と言われています。この二つの脳は潜在意識のような部分で、生存競争や怒りの感情など慢性的に活性化すると思考停止に陥ります。これが、周りが見えなくなるということです。そうなると、まるでワニとか恐竜のような行動をとります。よく言われているのが、ファイト&フライト、たたかうか、逃げるか、です。
世の中を俯瞰(ふかん)してみると、ビジネスでたたかって、政治でもたたかって、子供たちも学校で、たたかわされています。また、今だけ、金だけ、自分だけ、全く社会や他人に興味なく、お金を貯めたら外国にでも移住しようか、逃げようかと考えている人もいるかもしれません。もう、爬虫類は性欲と食欲、それ以外では動きません。好奇心がないのです。欲だけで、愛がないのです。
人間は、好奇心の塊です。楽しいことが大好きです。冒険心でいっぱいです。たたかなわいと決めたとき、たくさんのひらめきが浮かび上がりました。いろんなイメージが湧いてきました。この光の経済学が、証拠のひとつになります。
沖縄型ベーシックインカムは、たたかわない経済施作、アイディアを出すためのアイディアだったのです。
思考の自由を手に入れれば、発展をもたらします。制約やルールは卑屈さを生みます。できるかできないか、まず、現実を知る必要があります。ベーシックインカムは経済施策ですから、具体的でなければ実現できません。
実行をともなわないアイディアは、お花畑に住む怠けものの言い訳にすぎないからです。まず、最初の一歩は、「考えるべきこと」を考えることです。
たたかわないを意識して現状を把握する。
政治の世界に、EBPM(エビデンス・ベースド・ポリシー・メーキング)という言葉があります。事実を元に、政策を立案するという意味です。
沖縄型ベーシックインカムは、事実を元にしたアイディアです。目から鱗どころか、目から鯛が落ちるような、世の中がひっくり返る政策です。その上で、実行可能です。
それを理解するために、たたかわないを意識しながら、考えてみてください。
この、たたかわないを意識することがとても大切です。
そうすれば、人間脳が活発に動き出します。右脳も、左脳も、両方使いまくってください。政治で例えますが、右翼でもなく、左翼でもなく、仲良くです。イメージだけでも足りないし、論理だけでは楽しくないのです。さらに、何かに反対するのをやめてみることをお勧めします。
マザー・テレサの「反戦集会にはいかないわ」です。立場を固定してものごとを考えると、新しい答え、足元に転がっているダイヤの原石に気づくことができないからです。右脳と左脳、右と左を統合すると、前に進みます。脳科学的には、前頭葉が動き出すということです。前頭葉は、額(ひたい)の部分で、ちょうど第三の目があるところです。前頭葉は、ひらめきの場所、ひよめき、「好奇心の脳」、「天使の脳」と言われています。
しかし、どんな素晴らしいアイディアでも、実行できなければ意味のない祈りのようなものです。沖縄は祈りの島ですが、70年も基地問題は解決していません。あぁだこうだと県民同士が争っている間に、沖縄の海はどんどん埋め立てられています。
沖縄にはお金では動かない人が多いです。しかし、お金のために仕方がないがあることも増えています。島んちゅの宝、この歌に、「ぼくが生まれたこの島の海を・・・・どうしたらいいのか分からない」という歌詞があります。基地問題も環境問題も、お金を追いかけていけば分かるように、経済問題です。
社会問題のほとんどは、複数の主体間で起こっている利害関係ですから、経済問題、お金の問題です。
地球環境問題を解決するために、「人々の意識を変えよう」とがんばっている人たちがたくさんいます。人々の意識や気持ちに働きかけるという活動はとても大切です。しかし、私たちのまえには、もっと別のアプローチがあったのか!と無視できない世界観が現れてきているのです。時折、革命的なアイディアが登場し、すべての様相(ようそう)を一変させてしまうこともあります。今、ここ、に関われることは、とても幸運なことです。
現代の課題の根源(こんげん)には、お金の問題が潜んでいることは事実です。
ビジネスと社会の秩序には深い相関関係があります。社会の問題を考えるとき、お金の問題を知らなくてはいけません。お金を考えるとき、モラルの問題を忘れてはいけません。資本主義には機能的な欠陥がありました。経済がお金に支配されているのです。そこで、お金のある部分の力を弱めて、お金のある部分を強化するのです。
すなわち、そのゲームを支配しているルールを変えるわけです。支配者を変えるのではなく、そのルールを変えるのです。
現代の経済政策でリノベーション(刷新・さっしん)が可能です。新しいアイディアは明白に見えることもあるけれど、見つけにくく、折り合いをつけにくいときもあります。後々、ご説明します。
やり方はあります。
簡単でシンプルです。いずれにしても、興味深い新しいモデルは、最終的にどこへ向かうのか見当もつかないながら、たいてい魅惑的(みわくてき)で未踏(みとう)の地を探ることになります。
沖縄のジンブン(智慧)がよみがえる
芸能人、政治家、となりの隣人、職場の仲間、みんな他人の間違いを指摘して、罰して正している気になっているけど、結局、誰も答えが導き出せないから、答えがないと思って諦めているから、こんなことになっていると思います。
アイディアはあります。ベーシックインカムです。
ウツになるこどもも増えているようです。ある意味、正常な反応かもしれません。純粋なこどもたちは、たたかい、争っている大人になりたいとは思わないはずです。恐怖で生きられるのは奴隷だけです。
怒りは、ある意味、快楽です。たたかいたい人は、たたかうための理由ばかり探します。快楽に溺れる者は理性で動く人には勝てません。元来、ギリシャ語では、善にも悪にも道徳的な意味は、なかったそうです。善は、ただ、ためになること。悪は、ただ、ためにならないことだそうです。そうやって考えると、答えはシンプルです。まだ、たたかう必要はありますか?
力が、権力があるから強い人、お金があるから偉い人、いじめっこだからこわい人、ギャンブルするのはダメな人、そういったものの見方も時代遅れです。刷り込まれた固定観念、ある意味洗脳のようなものです。むしろ弱い人だから、権力を欲しがったり、お金をみせびらかしたり、たたかったりするのです。気づきの影の部分に批判というものがあります。
そういう時には、ちょっと時間をとります。自分が判断することに気づけば、その気づきが、判断することを判断しない、中立の気づきへと変化させることができます。沖縄では、それを、ジンブンと言います。日本語でいうと智慧になります。レキオスという言葉は、私に大きな気づきを与えてくれました。
「レキオス」、武器を持たず、友好的で平和を愛する人たち
「判断、批判、中傷、反対」、それは武器です。
三つ巴(みつどもえ)に秘められた沖縄マインド
沖縄のシンボルマークとして、「三つ巴」があります。それは今、流行りの量子力学にも通じる、次元上昇のメッセージです。例えば、陰陽は中国の思想に端を発し、あらゆる事柄を二つに分類します。男と女、表と裏のような考え方です。陰と陽は互いに対立します。政治で言えば、賛成か反対か?二元論です。二元論といえば、まるでコンピューター言語のように、「ゼロ」と「1」で、「表」と「裏」で、答えを導き出そうとします。それに比べて、「三つ巴」は、「表」と「裏」を統合します。「賛成」か「反対」か、「右」か「左」かではなく、新しい選択肢を見つけるのです。哲学の巨人に、ヘーゲルという人がいます。弁証法を発明しました。あることを、そのものとしては否定しながらさらに高い段階で生かそうとする試みです。矛盾するものを、賛成や反対を、高次の思考段階に到達させることを目指す対話の方式を弁証法といい、まるで量子のように決めつけなければ、2つは重なり合います。彼は、このことをアウフヘーベンと言いました。日本語では、止揚(しよう)、高くひらめき上がるという意味です。もっと、楽しく意訳すると、昇龍です。次元上昇です。あらゆる社会問題を解決するには、たたかいではなく、「対話」が必要です。そのために「ベーシックインカム」が「対話」へと導くのです。
私たちは、対話のためのアイディアを持っています。その権利を昇龍権(笑)といいます。
また、沖縄では、「ベーシッックインカム」を「三つ巴のアイディア」、「第三の道」と呼んでいます。ちなみに、「三つ巴」のことを、「ヒジャイグムン」といい、左回りの台風です。中心にエネルギーを集め、一気に気体(期待)を上昇させます。
伝説の人物に岩屋梓梁(いわやしんりょう)という人がいます。本名は鮫島弥次郎(さまじまやじろう)ということになっていて、岩屋天狗(いわやてんぐ)とも呼ばれています。岩屋梓梁は、弥勒下生(みろくげしょう)運動の創始者で、『日本記』(『日本書紀』)の編纂(へんさん)、『古事記』の自記、その他多くの古典を書き、易断政治(えきだんせいじ)の思考的根拠を確立したという話があります。「易断」とは、中国の易経という占いを用いて、運勢(うんせい)、幸不幸の巡ってくる具合や、その勢いを判断、その行為が吉凶を齎す(もたらす)のかどうかを判断することです。弥勒下生運動は近年では、出口王仁三郎へとその使命が継承されたそうです。これからの話は、本当かどうかは全く分かりません。ただ、沖縄には、「弥勒世果報(みるくゆがふ)」という言葉があり、ご年配の方々がよく使っています。真実の可能性としては、「0%」ではなく、歴史から抹殺されたかもしれませんし、「100%」とも言えないため、「1%から99%」の間でしょう。ここでは、その真実の探求ではありません。『岩屋天狗と千年王国』という本に、「三つ巴を神紋(しんもん)とす」と書かれていたのを見つけました。いろんな方から「三つ巴」の意味について教授された中、総合的に一番良かったのでご紹介したいと思います。
三つ巴を神紋とす
岩屋梓梁は、火(陽)を力の根源として畏敬(いけい)する思想を、燃ゆる炎がな三つ巴紋で表象した。
由来、易理(えきり)の立場からすると、宇宙の素、大局なる元気ありて、別れて陰陽四時八象となって万物を化生(かせい)するもの、いわば陰陽の対立が弁証法的(べんしょうほうてき)に展開し、対立する状態そのものがすでに他の一つの存在の「萌芽(ほうが)」「嫰(わかば)」「中庸(ちゅうよう)」であり、その陰陽の万象(ばんしょう)の分裂、矛盾、媒介(ばいかい)の生成を、七、五、三の数字比、ー十の中の、七と五の勢力の対立は残り三の力の存在を誘発(ゆうはつ)して、三と五が結合して八となり、七と八の対立抗争となるが、それは同時に、七、五、三の分裂の萌芽となるーでわかり易く表徴(ひょうちょう)したのである。
このような考え方に基づいて、岩屋梓梁は、三つ巴を、燃えに燃える神の意思の表徴としたのである。
三つ巴の三は、三種の神器、三部(密教の仏部、蓮華部、金剛部、真言宗の金剛界、胎蔵界、蘇悉地(そしつじ))、三経義疏(さんぎょうぎしょ)、三儀三極(天地人)、三辰三光(日月辰)、三愛三友(琴酒詩、松竹梅、歳寒三友)、三会(弥勒菩薩の衆生済度のための三度の大説法)などに通じ、また巴は、仏法僧の三宝と三帰依(さんきえ)、稲荷(いなり)の狐(きつね)が抱く火の玉、身密(しんみつ)は密意密三業の庚申三猿円融三諦即一(こうしんさんえんえんゆうさんたいそくいつ)の思想を表現しているのである。
現在、三つ巴紋が北はアイヌ族から南は琉球の果てまで多くの神祭具に描かれ、また、高野山(こうやさん)、日光輪王寺、旧江戸城、八幡宮など多くの寺社で使用(とくに瓦が多い)されているのは、岩屋梓梁の易断思想の普遍性を物語るものである。
Aufheben(アウフヘーベン)
矛盾する諸要素、陰陽、善悪、二元論などの対立と闘争の過程を通じて、洗練しながら、発展的に統一すること。世の中に支配者がいるとします。歴史的にみてお分かりのように「代理戦争(だいりせんそう)」という言葉があります。
東と西に分断されていた国
北と南に分断されている国
これは、支配者が存在を消すための方法だと言われています。しかし、渦中にいると、沖縄基地問題のようになって、県民同士が争い、問題の根元、課題の本質が見えなくなってしまいます。これを「二元生に落ちる」と言います。
何かに反対すると同じ力が働きます。作用、反作用のような関係になってしまい、動かなくなってしまうと言うことです。実は、与党、野党、と二つに分けてしまった民主主義も同じになっているような気がしませんか。沖縄には、智慧(ジンブン)があります。
反対だけでもなく、賛成(容認)だけでもなく、「たたかい、争う」、「対立」する「正」と「反」を、「合」にする智慧、萌芽(ほうが)が必要です。
果てしなく広大な宇宙、沖縄の大自然、イビの神、石神、石敢当(いしがんとう)、ミシャグジ神の、宇宙の意思の、「謎」を解き明かすプロセスなど、そこに想いを馳(は)せるとき、不思議な気持ちを感じたことはありませんか。私たちは、なぜ、「今ここ」にいるのでしょう。今からおよそ、140億年前、「ビッグバン」と呼ばれる大爆発、宇宙の始まり、僅(わず)か一瞬にして、宇宙を膨張させるエネルギーを生み出し、そして、またたくまに満ち溢れた素粒子(そりゅうし)を、元素を生み出したのです。
それから、水素が引き合い、核融合反応(かくゆうごうはんのう)を起こし、原始星が燃えつき、恒星(こうせい)が輝き、銀河(ぎんが)を形成し、新星爆発を起こし、星屑(ほしくず)に、星雲(せいうん)になって、さらに重い元素をつくって、また、集まって、生まれては消えてを繰り返していました。そして、悠久(ゆうきゅう)の時を経(へ)て、私たちの水の惑星(わくせい)、「瑠璃色(るりいろ)の地球」が現れました。それは、星の輝きが消えても、また結びつくこと、「ユイマール」すること、人は死んでも、また、生まれること、そして、「今ここ」にいることを、教えてくれています。星々が、無限の循環(じゅんかん)を繰り返していることは、わたしたちも、その、「宇宙の砂時計」の、一番細いところで、波動から、光から、粒子になって、物質化して、地上にあわわれてきていることと同じです。