後半戦は香港でビザを取得するという残念なスタートになってしまったけれど、長女は無事に3歳になりました。
国慶節が誕生日なので、往路の飛行機は2歳、帰路の飛行機は3歳という事で航空運賃が変わる…東方航空のカウンターの人、すごくめんどくさい処理をしていましたね。
日本から子供椅子とか持ってきました。
中国でももちろん子供椅子はあるんですが、プラスチック製とか安っぽいペイントのスチール製とかで、使う気にならなかったんですよね。
相変わらずベビーカーで散歩ですが、姉妹をタンデムで載せてるとすごく珍しがられました。
まだ中国が一人っ子政策の真っ最中だった時代ですからね。
よほどの大金持ちでないと複数の子供を育てることはできなかったんです。
なのに、よれよれのオッサンが二人の子供をベビーカーに載せて散歩してるのですから、好奇の目にさらされました。
カミさんは上海子育て二人目ですから、中国の母子手帳や予防接種にもすっかり慣れて、家族でしょっちゅう病院に行きます。
SARSで大騒ぎ、徹底して衛生管理していた上海市内も、このころにはすっかり元通り、あちこちで唾や痰を吐く中国人だらけに戻りました。
気軽に宴席や花壇に腰かけてはいけない!と長女には口を酸っぱくして言いましたが、三歳児だからね…ちょっと腰かけてはスカートが汚れる、という事を繰り返すので困ったもんです。
私は外出用の哺乳瓶を煮沸殺菌消毒しますが、長女の時ほど徹底しませんね、チャッチャッと熱湯で洗って、出来上がり。3分間鍋で煮込むなんて、実際やってられません。
この時点でようやく上海でもパンパースの紙おむつが手に入るようになってましたが、やはり使い勝手は日本製に及びません。横漏れは多いし、吸収が悪いからかぶれやすい。
四苦八苦しながら2003年が終わりました。