次女の高校受験が終わった。
高校ではまぁそれなりに楽しんでたけど、コロナでね。
高2の夏に予定されていた修学旅行が中止になり、冬になって急遽実施されることになってバタバタだったり、いろいろあった。
でも本題は大学受験準備と大学受験。
まずは大学受験準備。
ここに至る経緯は↓↓を参照。
そのその時私は日本で在宅ワークやらコロナで業務縮小やら、収入は激減する半面暇はあったりして、結構しっかり次女に向き合っていた。
同じ時期に三女は中学受験で早稲アカに通い始めていたけど、それは別のブログで紹介しているからそちらを参照。
次女の高校では「予備校要らず塾要らず」といううたい文句で、放課後アカデミーというような大学進学に特化した補習授業をしていた。
予備校の講師を招いて受験対策を格安でしてくれるというもの。
それはいいんじゃないかと思っていたけど、次女はあまり興味がなさそうだった。
高2で特進クラスになっていた次女は模試やら判定テストやらで偏差値60を行ったり来たり。
中学時代に超ハイレベルな同級生に囲まれていた次女は、「O茶中にいたから目標ばかり高くなっちゃって」と言っていた。
目標が高いことはいいことだと思う。
その高校の進学実績は東大京大を含めて国公立大学がちらほら、早慶がちらほら、ボリュームゾーンはG-MARCHや日東駒専という感じだけど、附属の大学や専門学校に進学する人もそれなりにいる、そこそこの進学校という感じ。
一方で、高校生活はコロナの影響を差し引いて考えればかなり充実していたように、親から見れば思える。
別のブログで書いたけど、部活も頑張って全国3位で学校の朝礼で表彰されてもいた。
受験準備に話を戻すと、結局学校の用意したプログラムはほとんど参加せず、河合塾に通いだした。
河合塾は私も遠い昔に通っていたけど、さすがに大手だししっかりしてる。
次女の目標は明治だけど、いろいろ情報も含めてアドバイスや指導もしてくれる。
私学の定員厳守傾向でかなり競争が厳しくなっていたから、甘く見てはいけない。
毎日夜遅くまで勉強して、部活もやって、精神的にも不安定になっていた時期もあり、ニキビがあふれたこともあった。
支えるのが親の務めと、車で河合塾に送り迎えをした。
送り迎えには池袋港や新宿校によく行ったけど、自分は校舎には入らずカミさんがメインでサポート。
備忘録だから、細かなエピソードも今後少しづつ書いていくけど、今は受験結果だけ忘れないうちに書いておこう。
直前の偏差値は60から62ぐらい。
センター試験から共通テストに変わった年。
ここで大きく躓いた次女は、調子を落としてしまって吹っ切れずに本番に臨むことになった。
明治の学部別・全学部共通・共通テスト利用、立教の共通テスト利用と学部、法制の共通テスト利用、早稲田の学部と共通テスト利用、御三家女子大の一つを共通テスト利用・外部英語試験利用・学部テストで受験。
結果は女子大の三テストすべて合格が第一報で入り、親はかなり喜んだ。
我々世代(昭和の終わり、平成の初めに大学進学)は、御三家女子大は早稲田より難しかった。
私は男だから受験できなかったけど、でも女でもあきらめるレベルの超スーパーエリート。
因みに御三家女子大とは津田塾・日本女子・東京女子。
今40代後半以上の年代は同じ感覚だと思う。
要するに社会の最前線で活躍し、かつある程度責任のある立場にいる人たちが「女子大御三家すごい」という感覚。
だからかなり喜んだけど、残念ながら他はすべて不合格だった。
この時現状を認識しましたね。
入試レベルだけ見れば、御三家はG-MARCHに及ばないのかもしれないということ。
しかし、歴史は古いしOGも豊富だから、決して悪くないよ。
入学式での学長のあいさつは忘れられない。
このこともどっかで書こう。