次女は帰国子女で国立女子大付属中に入ったけど、附属高には上がらないと決めたらしい。

 

これまでの経緯は↓↓で確認。

 

あくまでも備忘録なので、読んでいる人はあまり面白くないかも。

 

中二の夏休み明け、おなかが痛くて学校に行けない日が二週間ぐらい続いた。

 

その時私は中国に駐在だったんだけど、急遽帰国して様子を見に行ったり、大変だった記憶がある。

 

これは想像だけど…

 

夏休みの宿題が終わらなくて、学校に行きたくないと思った気持ちが体に出たのかも。

 

中一の時は帰国生だけで一クラスだったけど、中二になるとほかの生徒と混ざったクラス替えがある。

 

当然授業も宿題も区別はなくなるし、成績表も一般扱いで評価される。

 

宿題の量も質も半端ない。

 

夏休みの宿題なんか、OBOGにインタビューして職業とは何かを考える、というものもあった。

 

見る角度が違うよね。

 

将来何になりたいか、ではなく、そもそも職業とは何か、だもん。

 

この学校のOBOGはそれはもう錚々たるメンバーが並んでいる。

 

こういう宿題は確かに夏休みに最適かな。

 

で、終わらなかった宿題はこれじゃなくて、自然科学系のものだったらしい。物理かなんか。

 

結局、「先生が様子を見に来る」とカミさんに言われ、大慌てで学校に行ったらしい。

 

この学校の友達はいい子ばかりで、大丈夫だった?とか、一緒にいてあげる、とか何かと気を遣ってくれていたようだ。

 

こんなことがあって、次女は中三に上がる前に附属高校への進学は考えず、外部受験を決めていた。

 

明確にやりたいことがあって、だから明治に行きたいという事になり、明大中野と明大明治を本命、早稲田本庄をチャレンジ、地元の私立大学附属を実力相応、抑えで都立としたようだ。

 

で、中二の三学期ぐらいから早稲アカに通い始めた。

 

学校は受験対策とか一切しないし、進学指導も全くないから、塾だけが頼り。

 

それまで受験とか偏差値とか考えてなかったから自分の立ち位置を把握していなかった。

 

O女子大付属中に入るためにはたとえ帰国入試でも現地校の成績が悪ければ入学できないので、それなりに地頭は鍛えられていたようだけど、偏差値的な成績はどうなのだろう。

 

模試を何度か受けて、中三になるときには概ね偏差値が66-67ぐらいらしい、という事がわかってきた。

 

2018-19年ぐらいの出来事でコロナ前だったから、今ほど私大附属の人気が過熱してなかったけれども、それでも早稲田明治はかなりの難関。

 

学校の勉強はもちろん疎かにできないけど、ほとんど毎日塾に行かなければならない状態だったようだ。

 

中三の秋まで余り近くにいなかったから詳しいことはわからないけど。

 

次女が中三の秋に私は赴任を終えて帰国した。

 

それまでも一時帰国を利用して一緒に学校の下見や見学に行ったけど、この時期もうできることはほとんどない。

 

ただただ応援するだけ。

 

カミさんと二人で中野に行ったり多摩の方に行ったり、寒い中結構動き回った記憶がある。

 

中三の夏には早稲アカの夏勉強合宿があった。

 

最後まで頑張った次女は、早稲田本庄の一次は合格して二次の面接で不合格になってしまった。

 

明治は両方ともダメ、付近の私大附属高の合格があったから都立は受けず…。

 

もう精神的にボロボロだったんだろうね。

 

カミさんにはいろいろ愚痴をこぼしたり八つ当たりをしてたみたいだけど、私にはあまりそういう姿を見せなかった。

 

ただ一度だけ「内部進学を決めた子たちがクリスマスで後楽園遊園地に行ってるのを見てすごく羨ましく思った」と言っていたことが印象に残っている。

 

受験時期のクリスマスは本当に心を病むよね。

 

次女の高校受験の思い出、備忘録はここまで。

 

大学受験もいずれ備忘録として記録しておこう。