三女の話に行く前に、次女の中高時代をちょっと振り返って、記録にとどめておくことにしよう。

 

中学校に入る前、小学校6年生の時にO女子大付属中を受験したんだけど、この準備が大変だった。

 

まず、海外に赴任していたことを証明する書類が必要。

 

そして、家族も一緒にいたことを証明する書類が必要。

 

また、何年生の何月から何年生の何月までどの学校に通っていたのかも証明する必要があった。

 

順不同で北京・上海・山東・江蘇と、15年間に4か所任地を変わった私に帯同し、家族も各地の生活に対応したため、通った学校だけでも3校になってしまう。

 

家族は皆日本に帰国、中国に残っているのは私一人。

 

学校の書類を全て入手するために、現地に行って懐かしい校舎を見ながら成績証明書と在籍証明書を作ってもらう。

 

でもね、すぐできるとは限らないのよ。

 

で、仕事を休んで現地で一泊とか。

 

とにかく必要な書類はすべてそろって、出願完了。

 

しかし本人は「お母さんが一生懸命になってるから受験するけど、行く気はない」と言っている。

 

親も面接試験があるので、私も一時帰国。

 

子供本人の試験はごく簡単なものだったらしい。

 

原稿用紙2枚ぐらいの文章を音読する、という試験だったと。

 

でも「原野」という単語が、意味は分かるけど読めません、と答えたという事だった。

 

親の面接。

 

面接官の先生は、北京や上海のことは全く触れず。

 

「この、山東省○○市ZZ市XX鎮YY村というのは、名瀬市が二つあるんですか?」

 

「学校は何語だったんですか?」

 

「食べ物は何だったんですか?」

 

「空港はあるんですか?」

 

まるで未開の地に家族で漂流したみたいな扱い。

 

文明国家だからね、中国は。

 

確かに何にもないとこだったけど。

 

結局合格して、次女はせっかくできた友達と別れるのは嫌だ、と言ってずいぶん渋ってたけど、結局O女子大付属中に行った。

 

続きはまた今度。