最近、楽しかったこと。岸本佐知子さんのエッセイ。

 

最近、嬉しかったこと。長年恨めしかった頬シミを、ついに撃退したこと。

 

最近、感動したこと。劇場版、鬼滅の刃。

 

最近、驚いたこと。さっき発見した、子供の日記。

 

 

 

驚いてしまった子供の日記が、これ。

 

 

 

 

画伯!!!

 

 

東北から関東を襲った先日未明の地震の後に書いたようだけど、その挿絵の画伯っぷりよ。

 

 

ちなみに全文はこんな感じ。

 

 

 

 

 

揺れたのは「ごろごろする自分の寝相のせいだと思った」とか、「まさか余震とは思わなかった」とか。小学1年生にしては、なかなか文才があるのでは。「ママ、好き」「ママ、ありがとう」というハートの挿絵と折り紙をいっぱい貼り付けた激甘のお手紙はよくもらうけれど、こんなまともな文才があるとは知らなかった。

 

他のページも見てみたら、日記はほとんど書いていなかったけれど、地震の前のページはこの記述。

 

 

 

 

 

年末から習い始めたサッカー教室で活躍できたことが、余程嬉しかったらしい、感激が迸る記述。

 

「1年生の習い事は完璧だと思います」だって!

可愛いすぎか!!

 

坊は年末からサッカーを習い始めたのだけど、同じチームには、長くサッカーを続けている子とか、お父さんが子供サッカーチームのコーチという子もいて、レベルが高い。他のチームは知らないけれど、見ていてうまいなと感心するチームメイトが何人かいる。

そんな中で、始めたばかりの坊は、練習試合でボールに触ることすら難しい日々が続いた。しかも子供というのは結構残酷なので、下手とみるとマウントとってくるタイプの子もいる。だから坊は、この2ヶ月、ばかにされて悔しいと拗ねることも多かった。Youtubeを見て、ボールの撮り方とか、二人でイメトレしたりした。細かいドルブルやインサイドやアウトサイドの基本のボール扱いを繰り返したり、階段をぴょんぴょん昇降して脚力をつける努力もした。でも、うまい子は圧倒的にうまくて、なかなかボールに触れない日々。

そんな苦節の日々からの、この日の活躍。

 

余程、嬉しかったんだなあ。

「完璧だと思う」だって。

 

こんな風に一本気に記すことが、だんだんできなくなってくるから、文章を書く時に変に技巧に走らず、こんな素直な表現を守って欲しいな。

やたら小さな字で書いているのは、書きたいことがたくさんある気がするして小さく書いたら、スペースが余った、というそういうオチなんだろう。

 

 

 

その前のページは、うんと遡って、半年前の8月。

 

 

 

「悔しかっただろう」は、その前の日記の最後の一文。

気にせず続きの行に書いているので、おかしなスタートになっている。

 

日記というより、私への呼びかけみたいな、おかしな文体になっている。

それはともかく、色々とかな遣いの間違いがあるのを、自分で修正しているのが面白い。

 

 

 

 

 

笑うわ!!!

 

おそらく半年ぶりに日記を書こうとして過去の記録を見直した時に、「俺、間違ってる」って思って直したくなったんだろうな。

几帳面な子供です。

 

 

 

 

ちなみに、文頭の「悔しかっただろう」につながる日記が、こちら。

 

 

 

 

夏に行ったキャンプで、クワガタを見つけた時の嬉しかった気持ちと、「もし見つけられなかったら、どんなに悔しかっただろう」という想定を書いている。親バカかもしれないけれど、こういう過去の出来事に相反する仮定って、小学1年生が書くものなのか。これはすごい能力なんじゃないか。

1年生になったばかりの頃は、簡単な絵本ですら自分で読むのを面倒くさがって私に読んでもらいたがったのに、いつの間に自らこんな文章が書けるようになったのか。

 

嬉しいような。

寂しいような。

誇らしいような、泣きたいような。

 

平日休みの午後。

おやつに約束していた焼き芋を焼きながら、ふと発見した日記に揺さぶられて、鼻の奥がツンとする午後です。