昔から「自分で調べる。自分で考える。自分で判断する。」という思考にこだわって来た。このブログでもそのことについての記事を書いたことがある。しかし現代社会ではそういう思考と真逆のことが起きているのではないか、という疑念が払拭できず、その理由を考えていた。そう思わせる一番の要因はSNSの発達である。何故SNSはこの思考を妨げるのか、そのことについて考えてみたので以下に記す。

本題に行く前に「自分で調べる。自分で考える。自分で判断する。」についておさらいしておく。

(1)自分で調べる。ネットで調べるときも可能な限り元の記事に当たること。Wikipediaは引用記事なので元記事ではないことに注意。当然、まとめサイトやまとめ記事も調べる上では原典とはならない。
(2)自分で考える。考えられないのは十分に調べてないからで、徹底的に調べたり試したりすればその過程でおのずと考えるようになる。
(3)自分で判断する。人がいいと言っているから、という自分で決定することを放棄したような判断をしてはいけない。

※何故このようなことが大事なのかと言うと、主体を失うような言動をしている人は、雰囲気にのまれやすい・イメージ戦略に嵌りやすい・周囲に流されやすい、といったことを招きやすく、それらは結果としてファッショ・全体主義に走るからである。つまり「全体の利益を個人の利益より優先する」状況になる。

さて本題。

ネット、ならびにSNSの発達によって情報を取得するのは容易な時代になった。しかしそこに盲点がある。SNSでは自分で調べる前に、最適化された「答えらしきもの」が流れてくる。しかもエコーチェンバーにより自分の嗜好に合わせた偏った情報が多くなる。つまり主体的な調査の前に、判断の方向性が誘導されてしまう。また、情報量が多過ぎるために断片的な情報だけで判断してしまう傾向が生まれる。一次情報に当たる習慣が育ちにくいとも言える。

情報量は、AI生成コンテンツ・断片的なニュースの氾濫・フェイクニュースなど、加速度的に増加しているのが現代の特徴である。要するに、調べて考える必要があるのに、その前で疲れてしまい、情報を適切に処理できなくなってしまう。「調べられない、考えられない」とすれば自分で判断などできるはずもなく、判断を外部に委ねたくなる心理が強まることになる。

しかもSNSでは、「バズる意見=正しい意見」という錯覚、「少数意見=危険・面倒」という圧力、が空気感として存在する。それゆえ「自分で判断する」より「炎上しない判断をする」という行動様式が広がっている。何せ、判断を間違えるとSNSで叩かれるのが実情で、個人はおろか企業までも炎上を避けて「安全な選択」をしている現実がある。

まとめに入る。

SNSの発達速度に比べ、人間の認知構造が追い付かないでいる。その結果、SNSは主体性を奪うツールとして働くことになっている。

主体性をしっかりと持つには、原則である「自分で調べる。自分で考える。自分で判断する。」にこだわるしかない。
*「自分で調べる」上で、 SNSで流れてくる情報を鵜呑みにしないことは重要。基本中の基本として元情報に当たるべきである。
*「自分で考える」には、情報を並べるだけでなく比較・検証・反証し、「なぜそう言えるのか?」を自問自答することが重要。
*「自分で判断する」ことでは、判断の責任を恐れすぎないのが大事。

昔はこの思考法は単に心掛けることで身に付いていたが、現代はトレーニングが必要だと思う。習慣化するためにはある程度繰り返して修練しておくこと、つまり実践することが重要だろう。主体性を身に付けるために努力することが要求されている。