八丈小島の旧集落 | 雑草のブログ

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島の、山の中腹にあった、八丈小島の旧集落。


2つあった集落のうち、八丈島側の方の集落に行きました。


もう一方の旧集落には、




この、山を越えるか、船で海経由で行くかしか、ないそうです。今もかつても。


で、この山の上部は、なんかゴルフ場みたいに見えるけど、


実際は藪がみっしり生えていて足の踏み場もなく、山経由で行くのは今は不可能らしいよ。






これは、旧小中学校の校門。


丈夫な作りだったらしく、立派な門構えは残っています。






かすかに、校名が書いてあるのが分かります。




この門を潜り抜け、学校の旧校庭へ。






旧校庭です。あまり広くありません。山ばかりなので、仕方ないでしょう。


ここで、運動会とかしたんですって。


あとね、もう1つの集落にも学校があって、一緒に運動会したりとかもあったらしい。





ネイチャーガイドさんが、八丈小島について書かれている書籍を紹介してくれた。





八丈小島の壮絶な生活について書かれている本とのこと。絶版だそうです。





もう一冊。



この本に、我々が立っている、旧小中学校の写真があります。





これです。




で、今この建物はどうなっているかと言いますと、






わっかりますかあ?


画面左の所が、上の写真の昇降口だったところです。ううーん。





実際は、集落は、この旧校舎の上、丘みたいになっているの分かりますかね。


そこに集落というか、住宅街の様なものがあったそうな。





でもね、見た感じ、あんまり広くはないんだよ。本当に集落なんてあったのか疑っちゃうくらいよ。










これは、おそらく、昔島に唯一あった、発電機、だと思う、との事でした。(ガイドさん談)





昔、島には電気はあるにはあったが、この1台だけで電力をまかなっていたらしい。


みんなで小さな電力を大事に大事に使うため、


日が暮れたらとっとと寝て、夜が明けたら起きる、と言う生活を、離島ギリギリまでしてたんだって!


だってさ、昭和40年って言ったら、東京オリンピック直後だよ!


オールウエイズ三丁目の夕日だよ!高度経済成長期ですよ!


そんな時代に、八丈小島の人は、自給自足の生活をし、貨幣も使ってなかったっていうからあーた。





八丈島に移った後、八丈小島出身の人は、八丈島の人に馬鹿にされたり、


なんたって働き口がないから、八丈島に移っても生活は大変だったらしい。


八丈小島に帰りたい、って思い直した人も少なくなかったとか。


でも、戻るというのが、現実的ではない事は、分かっていただろう。






こっからは、どうでもいい話ですが、


雑草は、故郷がなつかしい、と言う気持ちがあんまりない。


今故郷に住んでますが、出来れば戻りたくなかった。


今でも、可能なら、かつて住んでいた亀戸に戻りたい。


都会ってやっぱり便利だというのは本音だし。いろんな意味で亀戸は本当に住みやすかった。


雑草の地元が都心からそれほど離れてないから、故郷への愛が少ないのかもしれませんが。


だからさ、今現在島に住んでいる人は、なぜ島を離れず住んでいるのか、という疑問がずっとありまして。


それを知りたくて、離島の旅行に良くいく、というのもあります。


でもやっぱ、理屈じゃないのかも知れないね。故郷が好きなのに理由なんてないもんね。


まだまだ勉強し足りないです。





さて、それでは、いよいよ下山?し、船着き場に戻ります。