うちの家内の父方の実家ではお米を作っている
それはかなりブランド米で市場に出回らないほどだ
たまに貰えるのだがこれがすこぶる美味い
作っているおじいちゃんおばあちゃんは80近いのに
物凄い元気である
それはこの美味しいお米を食べているからかなと想像したりする
しかし最近驚愕の事実を知ってしまった
子供や孫には新米をくれる祖父母は古古米を食べているのだ
古米で無く古古米だ
そして毎年毎年古古米を食べているのだ
なんかこれを聞いただけで泣けてくると同時に
ナショナリズムを強く感じた
祖父母に何故古古米を食べているのか聞いてみると
「もったいない」
という返事が返ってくる
この「もったいない」という日本語は
実はいまや英語にもなっている「MOTTAINAI」
何故この日本語が英語になったのか?
理由は簡単である
英語圏には「もったいない」に相応する言葉が無いからだ
言葉が無いと言う事は概念が無いということ
個人主義や拝金主義では「もったいない」はいらないのだ
自然を大事に自然と調和し自然に神を見出した
日本文化だからこそ生まれたこの「もったいない」と言う言葉
争いに疲れた現代に最も相応しい言葉ではないだろうか
いのちを頂くから頂きますと言い
いのちを頂くから勿体無いと言う
そんな素敵な国に生まれたことを今更ながら誇りに思う