北京冬季オリンピックまであと1298日 

(2022年2月4日開会式)

この本を読むことは、あなたの人生における最高の冒険になるだろう。

 

『7つの習慣』はすでに30ヶ国語以上に翻訳され、版を重ね、1,000万部を超える記録的な売り上げを達成している。今回、日本語の全訳が完成されたことで、日本人もこの『7つの習慣』の感動を味あうことになる。

 

『7つの習慣』を勉強することで、あなたは次の結果を期待することができるだろう。

●真のリーダーになり、マネジメントの本質を知る。

●人生における明確な目的と方向性を持つようになる。深いコミュニケーションをとる方法を知ることで、周りの人たちとの充実した人間関係をつくる。

●忘れていた人間本来の暖かさを取り戻し、本当の喜びを生活の中で味わえるようになる。

●他人との協力を通じて、無限の資源を活用する方法を知る。

●家族などの大切な人間関係を築き直す鍵を学ぶ。

 

 

7つの習慣

スティーブン・R・コヴィー著

ジェームス・スキナー  川西茂/訳

1996年12月25日 初版第1刷発行 

1997年10月29日 初版第33刷発行 より引用・転載します

 

 

 

第二部 私的成功

第二の習慣  目的を持って始める

あなたの生活の中心は何か

(続き)  

□お金中心

  もうひとつよく見られる中心は、お金を稼ぐことである。もちろん経済的な安定がある程度必要である。欲求またはニーズの体系の中では、肉体的な生存や金銭的な安定が最も基礎的な位置にある。この基礎的なニーズが最低限満たされない限りは、ほかのニーズに目を向けることはできない。

  ほとんどの人は、生活する中で経済的な不安や心配に直面することがあるだろう。社会の激しい変化が私たちの経済状態に影響を与え、生活の安定を揺るがしてしまうことがある。そのせいで私たちは無意識の内にも、不安や心配を感じることがある。

  お金を稼ぐことには、気高い動機も考えられるだろう。例えば、家族を養うことやほかの人を助けることがそうだろう。それは確かに大切なことである。しかし、お金を稼ぐことを生活の中心におき、そればかりに集中すれば、自滅を招くことになるだろう。

  私たちの生活を支える四つの要素(安定性、方向性、知恵、力)を思い起こしてほしい。私の安定性が基本的に雇用、収入、あるいは資産に依存しているとしよう。そこで多くの外的な要因が私の経済的な状況に影響するから、そのすべてに対して私は神経質になり、また防衛的にならざるを得ない。

  自尊心が資産の評価額に依存しているとすれば、その資産に影響を与えるものはすべて脅威になる。しかも、仕事とお金そのものは何ら知恵、方向性を与えてくれるものではないし、そこから生まれる力と安定性は極めて限られている。お金中心の限界は、人間関係などの大きな問題に直面したときに明確になる。なぜなら、お金を生活の中心におく人々は、家族などの大事な事柄をすべて後に回し、周りの人は皆、「仕事の大切さを理解してくれるだろう」と思い込んでいるからである。

  私のある知人が子供と一緒にサーカスに出かけようとしたところ、職場からの呼び出しを受けた。しかし、彼はそれを断った。妻は仕事に行った方が良かったのではないかと言ったが、彼はそれに対して次のように答えた。

  「仕事はまたあるだろう。しかし、子供たちと一緒にこの時間を楽しむのは一回きりなんだ」

  彼の子供たちは一生涯、父親に優先されたことを覚えているに違いない。それは彼らに対する模範と教訓だけでなく、心に染みる愛の表現であった。

 

□仕事中心

  仕事中心の人はワーカーホリックになってしまい、健康、人間関係、その他の大切な生活の要素を犠牲にしてまで働きがちである。彼らの基本的なアイデンティティーは仕事からくるものであり、それを次のように表現する。「私はサラリーマンだ」「私は会計士だ」「私は○○社の課長だ」など。

  彼らの自己イメージと自尊心は仕事と深くかかわっているため、仕事の妨げになる出来事はすべて自分の安定性を揺るがすことになる。方向性は仕事の要求に左右され、知恵と力が自分の仕事の範囲範囲によって限定される。こういう人は仕事以外のすべての生活の領域においては非効果的になってしまうのである。

 

□所有物中心

  所有物は、多くの人にとって大きな動機づけになっている。それには、流行の服、ブランド品、住宅、車、ボード、宝石といった有形のものだけでなく、名声、栄光、社会的な地位などの無形の所有物も含まれる。ほとんどの人は、多くの人生経験を通して、この中心の持つ大きな問題点を意識しているはずである。なぜなら、所有物はあまりにも多くの外的な要因によって左右され、また簡単に失ってしまうものだからである。

  もし私の安定性が私の評判や持っている所有物に依存していれば、それを失いはしないか、盗まれはしないか、あるいはその価値が低下することはないかと常に恐れて、脅威を感じながら生活するほかない。より多くの資産、名声、地位を持つ人の前に出ると劣等感を覚え、逆に自分より資産、名声、地位の低い人に会うと、優越感を感じる。

  所有物中心の人は自尊心が常に揺いでおり、一貫性、安定性、または一定の自分というものを持っていない。いつも資産、土地、地位、または名声を守ることに集中している。株の暴落で全財産を失った人や、選挙に落選して政治家が突然に自殺したという話は、誰でも聞いたことがあるはずである。

 

□遊び中心

  所有物と密接な関係にあるもうひとつありがちな中心は、楽しみや遊びの中心である。今の世の中では欲求をすぐに満たすことができるし、またそうすべきだと奨励されている。テレビや映画が人のそうした期待を高める大きな影響力を振るい、ほかの人が送っている優雅で楽しい生活を強烈なイメージで映し出す。

  しかし、何ら苦労もせず、優雅に生きる生活様式が描かれながらも、それがその人の人格、人間関係、生産性などにどういう影響を与えるかが正確に描かれることはほとんどない。

  度を過ぎない罪のない遊びは、心身ともに休息を与え、家族やその他の関係の育成に役立つものである。しかし、遊びそのものが深い継続的な満足や充実感を与えるものではない。遊び中心の人はすぐ今味わっている楽しさのレベルに飽きてしまい、常に「もっと欲しい!もっと欲しい!」と叫び出す。だから次の楽しみがもっと大きく、もっと強烈で、もっとエキサイティングで、もっと興奮させてくれるものでなければ、満足できなくなる。こうした人たちは完全に自己陶酔(とうすい)状態に陥っており、今すぐここで楽しくなるかどうかで人生のすべてを解釈し評価してしまうのである。

  休暇の取りすぎ、映画の見すぎ、テレビの見すぎ、ビデオゲームのやりすぎ、享楽的なそして無計画な遊び時間の取りすぎなどは、徐々にその人の人生そのものを浪費していく。そうした生活様式によってその人の能力は潜在したままとなり、才能が開発されることもなく、心と精神は鈍り、満たされることはない。安定性、方向性、知恵、力は、連続体のどの位置にあるのだろうか。それは下の方にあり、はかなく一瞬で消えてしまうものである。

  『二十世紀の証』でマルコム・マグリッジは次のように書いている。

  「最近になって、私は時々人生を振り返る。すると、強烈に感じることは、それぞれの生活の場面で有意義かつ魅力的に見えたことは、今になって考えてみると、意味のない馬鹿げたことにしか見えないということである。例えば、成功すること、人に知られたり誉められたりすること、お金を得たり、女性を口説いたり、旅をしたり、まるで悪魔のように世界のあちらこちらに行ったり来たりするような快楽、社交界の虚栄を話したり経験したりすること、すべてそうである。

  今から考えれば、こうした自己満足のための行為すべてが全くの幻想にすぎず、パスカルが『土をなめる』と呼んだほどに味気ないものなのである」

 

□友達・敵中心

  若い人は特に(若い人とは限らないが)友達中心になりがちである。仲間に受け入れてもらい、帰属意識を感じることが、ほかのあらゆることよりも重要に見えることがある。ゆがんだ、しかも常に変化している社会の鏡が、自分の安定性、方向性、知恵、力の源になり、ほかの人の気分、感情、態度などの変化に対して深く依存するようになる。

  友達中心は、時と場合によっては特定のひとりに集中し、夫・妻中心に似た現象を呼び起こすこともある。特定の人に対する情緒的な依存性は、高まる欲求と争いの悪循環を生み出し、中心においていた人間関係そのものを破壊してしまう結果を呼ぶ。

  また敵を生活の中心におくとどういうことになるだろうか。ほとんどの人はそんなことは考えられないと思うだろうし、意識的にすることもまた、ないだろう。にもかかわらず、敵を生活の中心におくことは、よくあることなのだ。特に争っている相手と頻繁に接する場合は、そうなることが多い。自分の生活に大きく影響を及ぼす立場にいる人に不公平に扱われたと感じたとき、気が気でなくなり、その人を自分の中心においてしまうことはありがちである。敵を生活の中心におく人は、自分の生活を主体的に送るより、相手の行動や態度に対して反対依存的に反応しているだけである。

 

  ある大学で教えていた私の友人は、相性の合わない上司の欠点にこだわっていた。明けても暮れてもその人について考え込み、まるで取りつかれているかのようであった。それは、家族、友人、同僚との関係すべてに悪影響を与えるほどだった。やがてその大学を辞めて、ほかで教えるという結論に至った。

  私は、「本当は、あの上司さえいなければ、この大学で教え続けたいと思っているんじゃないか」と訊いてみた。

  「実はそうなんだ。しかし、彼がそこにいる限りは、私の生活は全部がたがただ。もう耐えられないよ」と彼は答えた。

  「なぜ君はあの上司を生活の中心においているんだい」と私は重ねて訊いてみた。

  彼はこの質問にショックを受けた。それを否定しようとした。そこで私は、たったひとりの人の欠点によって彼の人生パラダイムがゆがみ、愛する人との関係も台無しになっていることを指摘した。

  やがて、彼もその事実を認めたが、彼自身がそういうふうに選択したということは否定し続けた。この不幸なありさまを、すべてその上司のせいに仕立てた。そして、彼自身には責任がないと言い張っていた。

  しかし、話し続けるにつれて、徐々に彼は自分自身の反応を選択する責任を理解し、そしてその責任をきちんととらないということは無責任なことだと悟った。

 

  多くの離婚者はこのパターンに陥ってしまっている。もとの夫または妻に対する怒り、恨み、自己正当化の気持ちに取りつかれている。悲観的な意味で言うと、こういう人たちはまだ心の中では結婚しているのだ。自分自身を正当化するために相手の弱点を必要としているからである。

  友達や敵中心の人は、一切内的な安定性を持っていない。自尊心は不安定であり、他人の気持ちや行動次第で消えてしまうものである。方向性は他人の顔色をうかがって決めることになるし、知恵は社会の鏡や敵中心の被害妄想によって制限されている。こうした人には力はなく、まるで操り人形のように相手に振り回されているだけなのである。

 

□宗教組織中心

  どういう宗教組織であれ、寺院、神社、教会などに行くことと個人的な霊性を保つことは違う。多くの人はあまりにもそうした場所での参拝や行事に夢中になりすぎて、周りの人の切羽詰まったニーズや問題が見えなくなり、その組織の唱えている教義と矛盾した生活を送ることがある。片や、そうした場所にはそんなに頻繁には行かないが、高尚な倫理観にかなった生活を送っている人もいる。

  私が子供の頃からずっと教会に通って分かったことは、集会に参加することとその集会で教わる原則に沿って生活することとは必ずしも同じではない、ということである。教会の活動に熱心な会員でありながらも、その教会の教義を積極的に実行していない人間もいる。

  宗教組織の中心では、イメージや見かけが重要視されがちで、個人の安定性がなくなってしまう偽善的な生活になりがちである。方向性は周りの人の価値観に左右されることになり、宗教組織を中心におく人はほかの人を見て「活発」と「不活発」、「自由主義」と「保守主義」などといったレッテルを貼ることが多い。

  宗教組織そのものは、方針、プログラム、活動、人などによって構成されたものであるから、それだけで人に深い継続的な安定性あるいは内的な価値を授けることはできない。その宗教の教える原則に沿って生活することにはそうした結果をもたらす力があっても、組織だけでは駄目なのだ。

  宗教組織そのものは、人に安定した方向性を与えることはできない。宗教組織を中心にする人は、生活を区画しがちで、寺院、神社、教会などに行く日にはある行動・態度を示し、残りの一週間は違う行動をとる。この一体化、誠実、廉潔(れんけつ)の欠如はさらに安定性を危機にさらし、人にレッテルを貼ったり自分の偽善的な行動を正当化しようとする欲求を強めることになる。

  宗教組織を手段としてではなく目的としてみることは、私たちの知恵を奪い、生活のバランスを崩す結果を招く。寺院、神社、教会などは力の源について教えることはあっても、その力の源になることはない。神と人間を会わせるひとつの手段だという位置づけがより適切だろう。

 

□自己中心

  現在、最もよくみられる中心は自己中心だろう。その中で最もよく目につく形はわがままであり、これはほとんどの人が心の中で信じている価値観に違反するものである。しかし、多くの自己実現のアプローチや手法を分析してみると、その核心には自己中心があることが分かる。

  自己という極めて限定された中心には、安定性、方向性、知恵、力はほとんどない。イスラエルにある死海のように、入ってきたものを与えようとしなければ、やがては活気がなくなり、次第に淀み、活力を失ってしまうのである。

  その一方、人に仕え、価値を生み出し、有意義な形で貢献することにより自己の成長を目指すことは、自分の安定性、方向性、知恵、力に劇的な改善をもたらすことになる。

 

  以上は、多くの人が生活の中心におきがちなものである。自分の生活の中心を認識するより、ほかの人の生活の中心を認識することが容易である。誰でもお金を最優先している人と知り合ったことがあるだろう。悪化した人間関係において自分の立場を正当化するために多くのエネルギーを浪費している人も、知っているだろう。そういう人をよく見つめれば、上辺(うわべ)の行動だけでなくその行動の裏にある中心的なパラダイムが、必ず見えてくるはずである。

 

 

 

 

内容紹介
全世界3,000万部、国内180万部を超え、今も読み続けられるビジネス書のベストセラー『7つの習慣』は、人生哲学の定番として親しまれてきました。

今回スティーブン・R・コヴィー博士没後1年を期に、『7つの習慣』が本来持つ「人格主義」に基づき、原書に忠実に訳し直しました。
よりわかりやすく理解しやすい完全訳の『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』。
豊かな人生を望むすべての人にお届けします。
出版社からのコメント
『7つの習慣 成功には原則があった! 』が、スティーブン・R・コヴィー博士没後1年を期に新たに訳し直され、『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』として刊行いたします。

日本語に翻訳されて17年。ベストセラーの「7つの習慣」を、なぜ新たに訳し直さなければならなかったのか。そしてどう変わったのでしょうか。


●不透明な時代だからこそ人格主義! 
今回の『完訳 7つの習慣』刊行に際して、著名な方々にインタビューさせていただきました。その中で、皆さんから言われる共通のポイントは、実は「副題が今までオリジナルのものではなかった」ということをお伝えしたことに対する反応です。それは「人格主義の回復」ですとお話すると、皆さん「なるほど! 」とうなられるのです。この言葉を聞いて、それは今の時代の流れに合っていると確信しました。「人格主義の回復」はコヴィー博士本来の意図であり、そのミッションに基づいて『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』を世に出すことは非常に大きな意味があると考えています。
●変わらない軸で激動の時代を乗り切る
人格主義の土台となるのが、時代を通して変わらない軸となる原理原則です。コヴィー博士は、今回の『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』に収録した「はじめに」の中で、時代が変われば「7つの習慣」も変わるのかという問いに対して、いや、これは原理原則なので、時代が変わるからこそ、逆に変わらない軸となり支えとなっていくと答えられています。むしろ今日の激動の時代だからこそ、多くの人たちが変わらない軸を必要としており、「7つの習慣」が日本人に受け入れられた結果として、現行版が168万部にもなったのだと思います。
●コヴィー博士の想いをきちんと伝えていくこと
今回やりたかったことは、『7つの習慣』というブランドの浸透より、コヴィー博士をブランドとして確立することです。アメリカではピーター・ドラッカーとスティーブン・R・コヴィー博士の知名度はあまり変わらないのですが、残念ながら日本での知名度に大きな差があります。コヴィー博士の名前をきちんと伝えていくこと、そして『7つの習慣』を知っていただく必要があります。コヴィー博士が考えていた本当の「7つの習慣」を伝えるため、またコヴィー博士というブランドを確立するため、コヴィー博士本来の哲学や思想を一番大切するために、新たに訳し直したのです。
●原著に忠実にかつ老若男女にもわかりやすい翻訳
新たに翻訳し直す際の基準は、とにかく原書に忠実ということです。とは言いながら読者は日本人ですから、日本語としてわかりやすいことが大前提となります。この2つを軸に、習慣名も含めて聖域は持たずに完全にゼロベースで、コヴィー博士が本当に伝えたいと思っていることが伝わる訳になるよう徹しました。もう一つの指針として、現行版はビジネスパーソンを意識して翻訳され、それはサブタイトル「成功には原則があった! 」にも反映されていますので、今回はより幅広い読者にも理解できるわかりやすい訳を心がけました。私たちは、「7つの習慣」を子ども向けに展開した『7つの習慣ティーンズ』やより一般読者向けに展開した『まんがと図解でわかる7つの習慣』など、かなりプロダクトラインも増え、多岐にわたって『7つの習慣』を紹介しています。そういう点でも、老若男女すべての日本国民が親しめる『7つの習慣』という点も意識しました。
●コヴィー博士の意図を生かした習慣名に変更
コヴィー博士本来の意図を伝えるために、習慣名も2つを除いて変えました。まず第1の習慣「主体性を発揮する」は原著では「Be Proactive」であり、「Be=なる」というニュアンスを生かして「主体的である」と訳し直しました。そして、第2の習慣は原著の「Begin with the End in Mind」に込められたコヴィー博士の意図を汲んで「終わりを思い描くことから始める」に変更しました。第3の習慣も原著の「Put First Things First」に込められた想いを生かして、「最優先事項を優先する」としました。第4の習慣「Win-Winを考える」は変わりません。大きく変わったのが第5の習慣です。原著の「Seek First to Understand, Then to be Understood」の「Seek」の「求めていく」というニュアンスを出して「まず理解に徹し、そして理解される」としました。第6の習慣は今では「シナジー」が一般的であり、また原著の「今生み出す」というニュアンスを生かして「シナジーを創り出す」に改めました。最後に第7の習慣「刃を研ぐ」は現行通りです。
●さらに多くの人に読んで実践していただくために
日本で『7つの習慣』はベストセラーとして紹介されていますが、まだ本当の意味では浸透していないと思います。これから10年、20年先の何百万人というお客様、今日生まれたような赤ちゃんが20年後に『7つの習慣』を手に取るような未来を考えていくと、現在の販売部数はまだごく一部だと思っています。よりわかりやすく訳し直すことで、幅広い読者に理解していただけるようになりましたので、一層の普及に弾みをつけたいと考えています。読みやすくなったことによって「7つの習慣」がより身近になり、途中で挫折することなく日々の行動に生かすことが容易になったと確信しています。

 

 

 

 

7つの習慣 目次

第一部 パラダイムと原則について

インサイド・アウト(内から外へ) ― 3

  人格主義の回復 ― 8

  真の成功とは ― 12

  見方が変われば世界が変わる ― 15

  大きな改善を望むならパラダイム転換 ― 24

  見方があり方を決める ― 28

  原則中心のパラダイム ― 29

  成長はプロセスである ― 34

  問題の見方が問題である ― 41

  インサイド・アウトという新しい考えのレベル ― 45

 

人生の扉を開く「7つの習慣」 ― 50

  習慣の三つの要素 ― 52

  相互依存への道 ― 54

  『ガチョウと黄金の卵』の教訓 ― 61

  人・物・金、鍵はバランスにある ― 63

  組織の目標達成能力 ― 66

  この本の活用方法について ― 71

  変化の扉を開く ― 72

 

第二部 私的成功

第一の習慣  主体性を発揮する ― 77

自己責任の原則 ― 78

  社会通念というゆがんだ鏡 ― 80

  刺激、反応、そして選択の自由 ― 82

  人生の責任を引き受ける ― 86

  頭と率先力を使いなさい ― 92

  作用するか、作用されるか ― 94

  言葉が「自己達成予言」になる ― 96

  影響の輪と関心の輪 ― 101

  すべての問題は影響できる ― 108

  影響の輪を広げる ― 110

  「持つ」か「なる」か ― 113

  成功は失敗の彼方(かなた)にある ― 117

  生活の主導権を取り戻す ― 119

  三十日間のテスト ― 120

  「第一の習慣 / 主体性を発揮する」-応用の提案- ― 122

 

第二の習慣  目的を持って始める ― 124

自己リーダーシップの原則

  成功のはしご ― 126

  すべてのものは二度つくられる ― 129

  意図するか放任するか ― 131

  リーダーシップとマネジメント:二つの創造 ― 132

  人生の新しい脚本 ― 136

  個人的なミッション・ステートメント ― 141

  中心から変わる ― 145

  生活の中心におくもの ― 148

  あなたの生活の中心は何か ― 160

  原則中心の生活 ― 168

  個人的なミッション・ステートメントを書く ― 178

  家族のミッション・ステートメント ― 192

  組織のミッション・ステートメントの大きな力 ― 195

  「第二の習慣 / 目的を持って始める」-応用の提案- ― 204

 

第三の習慣 重要事項を優先する ― 206

自己管理の原則

  自由意志の力 ― 209

  時間管理の四つの世代 ― 211

  生き方を変える第二の領域 ― 213

  ノーと言える喜び ― 222

  第二領域に入るためには ― 226

  新しい時間管理のツール ― 229

  時間管理への旅立ち ― 232

  原則に忠実、スケジュールに柔軟 ― 237

  第四世代の進展 ― 242

  デレゲーションによりPとPCの双方を高める ― 243

  使い走りのデレゲーション ― 245

  完全なデレゲーション ― 247

  第二領域のパラダイム ― 257

  「第三の習慣 / 重要事項を優先する」-応用の提案- ―258

 

第三部 公的成功

相互依存のパラダイム ― 265

  信頼残高という名の財産 ― 270

  信頼残高をつくる六つの大切な預け入れ ― 274

  愛の法則と人生の法則 ― 289

  P(目標達成)の問題はPC(目標達成能力)の機会である ― 295

  相互依存の習慣 ― 296

 

第四の習慣 Win Winを考える ― 297

人間関係におけるリーダーシップの原則

  人間関係の六つのパラダイム ― 301

  Win Winを支える五つの柱 ― 317

  「第四の習慣 / Win Winを考える」-応用の提案- ― 346

 

第五の習慣 理解してから理解される ― 348

感情移入のコミュニケーションの原則

  人に影響を与える鍵は人に影響されることだ ― 351

  相手を本当に理解するためには ― 354

  処方する前に診断する ― 361

  四つの自叙伝的な反応と感情移入 ― 364

  理解することがWin Winの扉を開く ― 378

  エトス・パドス・ロゴス、効果的なプレゼンテーションとは ― 381

  一対一、相手の目を通して人生を見つめる ― 385

  「第五の習慣 / 理解してから理解される」-応用の提案- ― 388

 

第六の習慣 相乗効果を発揮する ― 390

創造的な協力の原則

  コミュニケーションのアドベンチャー ― 393

  カオスの彼方(かなた) ― 395

  ビジネスにおける相乗効果 ― 399

  一プラス一は千六百?! ― 402

  第三の案を探し出す ― 405

  マイナスの相乗効果 ― 410

  相違点を尊ぶ ― 415

  「成功」を妨げるブレーキをはずせ ― 418

  自然界のすべてが相乗効果的である ― 424

  「第六の習慣 / 相乗効果を発揮する」-応用の提案- ― 427

 

第四部 再新再生

第七の習慣 刃を研ぐ ― 431

バランスのとれた自己再新再生の原則

  再新再生の四つの側面 ― 433

  あなたの思いが相手を活かす ― 452

  再新再生のバランス ― 455

  「7つの習慣」における相乗効果 ― 458

  上向きの循環 ― 461

  「第七の習慣 / 刃を研ぐ」 -応用の提案- ― 465

 

再びインサイド・アウト ― 466

  世代を越えて生きる ― 474

  流れを変える人になる ― 477

  個人的な追伸 ― 480

 

付録

  引用文の人名録

  様々な中心から発生する見方・捉え方

 

  

 

 

 

 

大丈夫、なんとかなる 
今日一日に出会った全ての人々に感謝 
いい夢を見て下さい 
おやすみなさい


 

 

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆ *:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆ *:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆ 

ポチッとな→ http://profile.ameba.jp/flatman175/

≪口だけで、描く男。≫

 

 

flatman.『グロブログロググ‐‐タジログ‐‐』

 

脊髄損傷で寝たきり。
首から下がまったく動かない。


 

それでも、
プロの絵描きになることを本気で目指している。


製本職人の祖父の影響で
紙とペンを玩具に幼い頃を過ごす。
言葉より先に絵を描く事を覚えた。
絵を描く事は日常の一部で
欠かす事の出来ない大切な事だった。

幼い頃に父を亡くし、
それ以来、
不安定な精神状態を
落ち着かせるのも絵を描く事だった。

高校生の頃にドロップアウトする。
その間も精神を安定させるために
ただひたすら描き続けた。

しかし、数年後に社会的に復帰してからは
絵に対して真摯に向き合うことが出来なくなった。

描かないままそのうちに
いつか描けるようになるだろう、
またその時に描けばいいと思いながら
大学生活を過ごしていた。

21歳の春、絵と同じくらい自分とって大切で、
生活の中心になっていた
スノーボードの事故で首の骨を骨折し、
脊髄損傷で首から下の体の自由を失う。
いつでも描けるだろうと思っていた絵を描く事が
本当に出来なくなってしまった。

筆を口にくわえて絵を描いている
作家が何人もいるのは知ってはいたが、
もう動く事が出来ないと認る勇気が無く
自分は筆をくわえる事は出来なかった。

寝たきりになってから全く描けないでいたが
最近になって描く事に対する欲求には勝てないと感じ
口だけでPCを操作し描き始めた。

今思う事、『なぜ描ける時に思う存分描かなかったのか。』



 

自己紹介

はじめまして。
flatman.です。
スノーボードによる事故のため、
頚椎部脊髄損傷(C4・C5)
(cervical spinal cord injury)で
首から下の自由を失いました。
病院のベッドで寝たきりです。
それでも口だけでPCを操作し、
絵を描いています。

 

flatman.『グロブログロググ‐‐タジログ‐‐』



CDのジャケットデザインを
やらせていただいたりしています。




 

 

Tシャツ販売しています。
もしよろしければ、
覗いてやってください。




アップ新しいデザインは、
こちらで『SeC』というブランドで
アップしています。

 

 



 

仕事のご依頼を頂けると、とても嬉しいです。
宜しくお願いします。
 

まずはメッセージを頂けると
大変ありがたいです。
   

E-Mail: flatman.art@sj9.so-net.ne.jp
 

 

 

なかなかブログの返信コメントができません。
本当に申し訳ありません。