ベター・ハーフ
ニッポン放送 × 鴻上尚史
風間俊介
松井玲奈
中村 中
片桐 仁
東京公演 本多劇場
2017.6.25-7.17
愛知公演 ウインクあいち
2017.7.21-7.22
福岡公演 久留米シティプラザ久留米座
2017.7.28-7.30
大阪公演 サンケイホールブリーゼ
2017.8.5-8.6
ごあいさつ
初演は2年前、2015年4月でした。こんなに早く再演できてとても幸福です。作品に対する思いは変わっていないので、初演の「ごあいさつ」をもう一度、です。
初めて戯曲を書いたのは、中学2年の時でした。その戯曲にも、恋愛エピソードは書きました。主人公はケチな旅館のオーナーで、その息子がライバル旅館の娘にほれて、お互いの親から反対されるという話です。
はい、思いっきり『ロミオとジュリエット』をパクっていますが、まさに中二病そのものの若造には、シェイクスピアさんの構造を自分の物語に取り込めることだけで、ものすごく興奮したのです。
以来、40年ほど、ずっと恋愛を書き続けています。恋愛物語ではないものでも、ちいさなエピソードで、いろいろと恋愛を描きました。
そんなわけで、恋愛相談もたくさん受けてきました。「名選手、必ずしも名監督ならず」という格言のように、イケメンぶりぶりで、もてまくった人物が恋愛指南の達人、というわけではなく、ぶさいく村まれ、恋愛の氷河期を生きのび、恋愛干ばつに耐え、不屈のラブ・ファイターとして戦った方が、実践的なアドバイスができるのです。って何書いてんだが。
50歳を超えると、相手がどんなに深刻な三角関係や片思いに悩んでいても「相手の恋愛が1年以内なら、どんなに恋愛テロをしかけてもムダ。が、1年過ぎて、2年から3年でなんとかなるから。3年以上なんて、まあ、続かないから。じっくりと3年まてば、チャンスは絶対にあるから」とアドバイスするようになりました。
50歳を過ぎるまでに、いっぱい、いろんな恋愛を見てきて「恋愛には終わりがある」と思うようになったからです。ちなみに、二十歳代終わりに「恋愛の始まりには理由はない。けれど、恋愛の終わりには、理由がある」なんてセリフを書いています。
問題は、時間がたつうちに、だんだんと相手に対するケアが薄くなってきて、恋愛獲得のチャンスを逃すことです。ちょうど、ずっと魚が釣れないので、だんだんとウキを見るのが雑になり、魚の当たりを見逃す見逃すのと似ているでしょうか。
相手のことが大好きで、じっと相手を見続けていれば、1年か2年で、「あれ?なんか雰囲気が変わったぞ。ひょっとして別れたかな・・・」なんて見抜くことができるのです。
と、書くのは簡単なんですが、これが難しい。根気や忍耐力の問題ではありません。大好きなのに、まったくこっちを振り向いてくれない相手を、1年も2年も見続けることはつらすぎるからです。根性の問題以前に、愛されない相手を愛して見続ける、ということは、本当に哀しいのです。
で、どうなるかと言うと、大好きなんだけど、あんまりこっちを見てくれないから、無理に忘れようとして、無視したり、ケンカ売ったりして、苦しみから逃げようとするのです。で、気がつくと、チャンスを逃している。なんてことが起こります。
僕は昔、これで6年、人生を棒に振りました。1年待ち、2年待ち、見続けることに疲れ、嫌になって無視し始めると、相手は3年たって恋人と別れ、淋しさに震え、そこに次の男が慰めには入り、カップルになる、という分かりやすい展開でした。すべてを知った時は、はっきりと手遅れでした。慰め、大切にし、アプローチする時期に、何もできなかったのです。僕は、本当にその人のことが好きだったので、「よし、次の3年を待とう」と決心しました。が、1年待ち、2年待っている間に、「もう、つらくて待てない。これ以上見たくない。もう嫌だ」と、ぶれた時に3年がたち、気付いたら、相手は恋人に振られ、別の男に口説かれて、カップルになっていました。3年に1回のチャンスを、2回も逃したのかと思うと、なんだか、ものすごく切なくなりました。
昔から、恋愛を時間の視点で見ていただろうかと思えば、そうではなかったような気がします。昔は、「恋愛する現在」だけに集中していたような気がします。永遠に続くとは思っていなくても、終わることに対しては無意識だったと思います。いったい、いつから恋愛と時間を同時に考えるようになったのか。恋愛の反対語があるとしたら、時間なのかもしれないとも思います。
「ベター・ハーフ」というのは、ギリシア時代に生まれた考え方です。天国でひとつだった魂は、現世で男と女の二つに分かれたというのです。プラトンさんが紹介しています。だから、現世で自分の魂の半分と出会うと、それがベター・ハーフだというのです。英語圏では、恋人とか夫婦のことを、ちょっとおしゃれにこう言います。
自分にとってのベター・ハーフは誰だろうと考えたことはありますか?どんな人がベター・ハーフなんだろうかとか、私のベター・ハーフはどこに行ってしまったんだろうかとか、天国から私は半分だったんだろうかとか、考え出すとキリがありません。
終わりがないから、僕も40年、恋愛を書き続けています。恋愛は恋愛問題でありながら、人間関係の問題だったり、コミュニケーションの問題だったり、人生の問題だったり、美意識の問題だったり、生き方の問題だったりするのです。だからこそ、やっかいで楽しくてつらくて大切なんだろうと思います。
あなたはベター・ハーフに出会いましたか?まだ出会っていませんか?出会ったけれどベター・ハーフには恋人がいましたか?ベター・ハーフと別れましたか?ベター・ハーフを探す旅に出ていますか?
今日はどうもありがとう。ごゆっくりお楽しみ下さい。んじゃ。
鴻上尚史
大丈夫、なんとかなる
今日一日に出会った全ての人々に感謝
いい夢を見て下さい
おやすみなさい
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≪口だけで、描く男。≫
脊髄損傷で寝たきり。
首から下がまったく動かない。
それでも、
プロの絵描きになることを本気で目指している。
製本職人の祖父の影響で
紙とペンを玩具に幼い頃を過ごす。
言葉より先に絵を描く事を覚えた。
絵を描く事は日常の一部で
欠かす事の出来ない大切な事だった。
幼い頃に父を亡くし、
それ以来、
不安定な精神状態を
落ち着かせるのも絵を描く事だった。
高校生の頃にドロップアウトする。
その間も精神を安定させるために
ただひたすら描き続けた。
しかし、数年後に社会的に復帰してからは
絵に対して真摯に向き合うことが出来なくなった。
描かないままそのうちに
いつか描けるようになるだろう、
またその時に描けばいいと思いながら
大学生活を過ごしていた。
21歳の春、絵と同じくらい自分とって大切で、
生活の中心になっていた
スノーボードの事故で首の骨を骨折し、
脊髄損傷で首から下の体の自由を失う。
いつでも描けるだろうと思っていた絵を描く事が
本当に出来なくなってしまった。
筆を口にくわえて絵を描いている
作家が何人もいるのは知ってはいたが、
もう動く事が出来ないと認る勇気が無く
自分は筆をくわえる事は出来なかった。
寝たきりになってから全く描けないでいたが
最近になって描く事に対する欲求には勝てないと感じ
口だけでPCを操作し描き始めた。
今思う事、『なぜ描ける時に思う存分描かなかったのか。』
自己紹介
はじめまして。
flatman.です。
スノーボードによる事故のため、
頚椎部脊髄損傷(C4・C5)
(cervical spinal cord injury)で
首から下の自由を失いました。
病院のベッドで寝たきりです。
それでも口だけでPCを操作し、
絵を描いています。
CDのジャケットデザインを
やらせていただいたりしています。

Tシャツ販売しています。
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覗いてやってください。

新しいデザインは、
こちらで『SeC』というブランドで
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宜しくお願いします。
まずはメッセージを頂けると
大変ありがたいです。
E-Mail: flatman.art@sj9.so-net.ne.jp
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