キリスト教とはなんであろうか?
たかだか2000年前くらいに弟子たちが始めた宗教ではある。
しかし、私が思うに、他の宗教とは異なるように思う。
「神」という存在はたいての宗教にある。
ここで、「宗教」と言っていまうと、新興宗教や、カルトなどのことで今問題になっているので、語弊があったり、タブーとされているようなイメージを持たれてしまうかもしれないが、
あえて、
「極めて個人的な信仰」ということで考えてもらいたい。
異端とかカルトという言葉がある。外国語にもそれに相当する言葉があると思う。
正統からそれたグループ、または、教祖と呼ばれるような人間を神のような存在に洗脳させ、カリスマとして崇めるようなグループ。
両方あわせもつグループもあれば、片方だけのグループもある。
後者は、かならず犠牲者が出てくる。時間の問題だ。
いいように利用される。金銭的、肉体的、精神的、人格的に破壊されていく。
悲しいことかな、「キリスト教」と名称を付けるグループの中にも今やこういう者が増えた。気がついた人や救出された人は幸運だが、その後の人生がめちゃくちゃになる人も多い。
私も経験者だ。全てそのせいにするわけではない。しかし、「信仰」と「宗教」という言葉にはひどく拒否反応がでたものだ。
いまでも影響は消えたと思えない。それだけ、精神的なキズは深かったと思う。これはその人じゃないとわからないことではあるが、共感していただける方もきっといらっしゃると信じる。
「宗教」という言葉以外になんかいい言い方ないものか。。。
どこかの専制君主の国や独裁の国も広い意味ではその言葉が比ゆ的に使われる。
「一神教」だからよくないのさ、という人もいる。はたしてそうだろうか。。。?
問題はどこにあるのか、学者でも研究者でもないが、私自身の普通な目線として考えてみたい。
to be continued...