先月は、実母が亡くなった。そのため、久しぶりの帰郷した。実家につき母のそばに座り込む。その後の葬儀は、コロナの影響のため当然と言えば当然だが、家族葬になった。
寂しいと思うが、今はそれが主流のようだ。そして、その理由を何となく理解した葬儀だった。
そして先日、私の義母が亡くなった。急いで夫の実家に自分だけ出向いた。その後に夫、子供たちが夫の実家に行く。葬儀会場で、家族が揃った。そして、夫の親族が集まった。
夫の親族と葬儀会館で過ごした。義母の遺体に手を合わせてしばらく祈る。義母との思いでが次々と思い出す。台所でずっと談笑したことなど小さい思い出がよみがえる。
嫁姑の問題はそれなりにあった。だが、思い出せるのはいい思い出ばかりだった。もう、あの声も聞こえないのはつらい。または悲しいと感じる。
「〇〇ちゃん~~」と私にもそんなこと言う。孫が生まれて大喜びして孫を抱きあげ世話も喜んでした義母のことを次々と思い出す。
初対面でも、誰でもすぐに話して友達になれる才能を持った義母は、当然として私の実母と気が合い、見合いした後につぐに話しだして二次会をやったそうだ。
義母の思い出写真を探しコルクボードに次々と張り出す義家族たち。この写真は、子どもの頃の夫と妹たちだ。そしてこれは、義母の姉と妹だ。という思い出話を聞いた。
見合いに行く前、そして結納の時、義妹の結婚式の写真など思い出を共有する写真を見ると次から次へ思い出すのは義理の笑顔だった。天真爛漫で爆笑しながら話す姿ばかりが思い出した。
葬儀は、義母の親しい親族だけが集まり行った。兄貴も私の義母のために取り急ぎ駆けつけてくれた。みんなが、義母の人柄を知る者だけが集まり哀悼の思いが込められた葬儀だった。