石田順裕/そんなときもあるやんか 2.0 -5ページ目
こんにちは、石田です。
今日は、私の原点とも言える、ロサンゼルスのリトル東京にある「ボロ宿」の話をさせてください。
宿の名は「ダイマルホテル」。
一階にあるラーメン屋さんの横にある、くすんだガラスの扉を開けて、細い階段を上がっていく。そこが私の拠点でした。
部屋は二段ベッド、トイレもシャワーも共同。日当たりも悪く、お世辞にも「綺麗な場所」とは言えません。
正直に言いましょう。
私がここを定宿にしていたのは、格好いい理由ではありません。当時の私には、ここ以外の宿に泊まれるような余裕がなかった。ただ、それだけのことでした。
実は、そのホテルのすぐ目の前には「都ホテル」という、立派なホテルがありました。
有名な大手ジムの選手たちは、そこに泊まり、ジムのスタッフが用意した車で送迎される。
一方の私は、ボロ宿から毎日、自分で電車やバスを乗り継いでジムへ通っていました。
窓から向かいの立派なホテルを眺めながら、彼らに対して猛烈な「劣等感」を感じたこともありました。
「いいなぁ、羨ましいなぁ……くそ、今に見てろよ」と。
でも、今の私を作ってくれたのは、間違いなくこの「ダイマルホテル」の方だったのです。
管理人の中国人の「おばちゃん」は、最初は無愛想なのですが、仲良くなると一変。まるでお母さんのように、手作りのご飯を振る舞ってくれました。
そしてそこには、私と同じように日本からやってきて、自分の人生と必死にもがいている「仲間たち」がいました。
美容師を目指す人、寿司屋で働く人、ラーメン屋で必死に働く人。
皆、慣れない異国の地で、何者かになろうと必死に足掻いている日本人ばかりでした。
時には友人が車で送迎してくれたり、寿司屋で働く仲間が持ち帰ってくれたネタを、狭いキッチンでみんなで囲んだり。
それを食べながら、夜遅くまで将来の夢を語り合う。
あの時間は、どんな高級レストランのフルコースよりも、私の心を強く、温かくしてくれました。
もちろん、日本に帰ってからは、それぞれの道があり、連絡を取り合っている人はほとんどいません。
でも、それでいいのだと思います。
あの「何者でもなかった時間」を一緒に過ごしたという事実だけで、私たちは十分つながっていたのですから。
実は最近、楽しみなことがあります。
当時、その宿で一緒に過ごした、北海道出身でスタントマンを目指していた先輩。
帰国後は疎遠になっていましたが、今は地元に戻られているとのことで、今回、私が紋別まで会いに行くことになったのです。
あの暗い部屋で、一緒に夢を見ていた仲間と、何年もの時を経て再会する。
これこそが、人生の醍醐味ではないでしょうか。
もし、あの時私が向かいの立派なホテルに「用意された環境」で泊まっていたら、こうした「縁」も、自力で道を切り拓く「強さ」も手に入っていなかったかもしれません。
窓から光が入らない部屋だったからこそ、仲間の存在が、暗闇を照らす光のように感じられた。
お金も何もない場所だったからこそ、自分自身の情熱を、フルに充電することができた。
もし今、あなたが「周りと比べて自分は恵まれていないな」と落ち込んでいるのなら、どうか自分を誇ってください。
不器用にもがき、自分の足で一歩ずつ進んだ経験こそが、将来あなたを支える「最強の武器」になるはずですから。
私の強さは、あの日当たりの悪い、でも最高に温かかった「リトル東京のボロ宿」で、間違いなく作られたのです。

