映画 月 感想 | うっかり女子でもちゃっかり生きる♪ADHD不注意優勢型・雨野千晴☆いつもココロはあめのちはれ☆

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頭の中が多動なADHD不注意優勢型・37歳で診断された超うっかり者の私でも、毎日楽しく生きられます♪失敗しても大丈夫♥自閉っ子&ADDタイプ兄弟子育て中シンママです。うっかり女子でもちゃっかり生きる私の日常を綴ってます(^O^)/

相模原の事件をモチーフにした映画 月 について
不快に思っているという人はこの投稿は見ないでください。コメントもしないでください。



あの映画を見て雨野がどう思ったかを知りたいという人だけ読んでください。
ネタバレ含むので先入観なく見たいという方もそっと閉じてください🙏
 


今朝ハルを修学旅行に送り出した時に見えた月🌛

 
  
 
さて
 

結論から言うと私は見れてすごくよかったし
制作に携わった全ての方にリスペクトを感じました。


2回見に行きました。
たぶん間に合えばもう一回見たいと思っています。
 




はじめにこの映画の話を聞いた時

え?なに話題作り?すご。。。え?え?

と脳がバグりました。
 

でも、ちょっと考えたらわかるけど
目立ちたいためにこの題材を
扱うわけないですよね。

だってなにをどう表現しても
撮る前から批判されるのは決まっているような
ものじゃないですか? 
 

企画をプロデューサーから提案された時
監督・脚本の石井裕也さんは
このような思いだったそうです。

===オフィシャルサイトより抜粋
この話をもらった時、震えました。怖かったですが、すぐに逃げられないと悟りました。
=== 
 
 

映画の主人公は作家で
過去に東日本大震災をモチーフにした小説が
ベストセラーになり

そのあと、書けなくなってしまったという
設定。(宮沢りえ)
 

それ以降書けなくなってしまったのは
編集に求められるままに
希望と美しい部分だけを描いたから

というような描写があったり

目立ちたいから震災を書いたんですよね?
と主人公が問われるシーンもあった。

それはそのまま、
この映画自体に置き換えられるようにも思った。

それでも、この作品にかかわった人たちは
これを作る、という覚悟を持って
話を受けたのだと思う。


監督はこの事件にかかわる手に入りうる全ての資料を取り寄せ、多くの施設に足を運び、話を聞き

映画内で扱っている入所施設のエピソードは
全て実在する施設で実際にあったことだけを
描くことにこだわったそう。

植松聖をモデルとした「さとくん」を演じた
磯村勇人さんは、障害がある方が過ごす事業所
3箇所に入らせてもらったとパンフレットに
書かれていた。
 



実際に障害のある方と関わって働いている人が
「うちの施設・事業所はこんなじゃない」
といった批判を発信しているのを多く目にしました。

もっとあたたかい交流を描いてほしい

というものもありました。
 
 

でも、そういうのって他に世の中にたくさんあるよね?
この作品はなんのために撮られたかって

事件に内在する私たちの課題を
一人ひとりがどうとらえるか、
どう考えて向き合って生きていくか

そのための題材を覚悟を持って提起された
ってことじゃない?

っていうのが、私が思ったこと。
 
 

そして、これは実際にあったことを
題材にしているけれど
フィクションなので

描かれている全てのことには
作り手側の意図した意味があると思う。
 

例えば

施設のまわりにミミズや虫が
たくさん出てくるシーンがある。

話せない障害者は心がない
生きている意味がない

という主張の「さとくん」

それを批判する主人公に

あなたはゴキブリ殺しますよね?
それと同じです

とさとくんが反論するシーンがあり

そして、事件当日施設に入る前に
「さとくん」がミミズを踏みつぶす。

彼はそうやって線引きをしている
 

あなたは命の線引きをどこでしてるの?
って、問われてるように
私は思いました。

 




私も、同じことを考えたことがあるんです。

みんなちがって、みんないい

それってほんとなの?

じゃあ、ねたきりの、
重い障害を持ってる人は?
話せない人も?

その問いを自分の中にみたとき
恐怖しかなかったし
誰にも言えなかった。



でも、今、私は確信を持って
障害の有無にかかわらず
その人の幸せはその人の中にある
他人が決められるものではないと思ってるし

私は虫を殺すこともあるけど
本当は、虫も、植物も
全部そうなのだって思ってる



私がそう思えるのは
それを体現してくれている人に
出会えたからなんだよね。



多くのさまざまな人との出会い
障害のある人、障害の有る人とかかわる人
そこから在り方や価値観や視点を
シェアしてもらう機会があったから。
 
 

そうじゃなかったら?

私の中にも、さとくんがいるって
私は本気で思っていて

同じような環境で働いていたら
自分だってなにをするか
どうなっていたかわからないって思う

 

多くの人は、
入所施設に行ったことさえ
ないと思う



私は5年前、初めて行った入所施設の
場所の遠さにまず驚いた。
 
 

バリバラの玉木さんにインタビューしたとき





僕がいた入所施設はおにぎり一個買いに出かけるためにも
書類に何個も判をもらわなきゃでれない
そんなんおかしいでしょ?

って話を聞いたときも、え?ほんとに?
ってびっくりした
 



いろんな改善、改革にトライして
あたたかな、地域に開いた入所施設を
作ろうと奮闘しているところがあるのも知っているし

すばらしいところもあるのかもしれない
 



でも、今、この瞬間にも
息の詰まるような状況で
冷たい、ひどい仕打ちを受けている人や

そういう空気の中で苦しみながら働いている人
そういう場所もあると思う
 

気をつけて見ていれば
虐待のニュースって
しょっちゅう出ている

(それは障害者施設に限らないと思うけど)
 


でも、多くの人はそれを普段
感じずに生きている

目に見えるところにない
関わる機会がない

あんなに大きな事件があったことも
毎年7/26の報道を見て
ああ、そういうことがあったなぁ
怖いなぁ

って、終わる人もたくさんいると思う

だから、多くの人に
あなたはどう思う?

って、投げかける手段として
映画という方法をとったのだと思う





先月、兵庫で行われていた
芸術祭のボランティアに参加した。


主催者の方にお話を伺う機会があり

アートってなんなんですかね?
評価されるものとそうでないもの
何が違うんですかね?

という話をしたとき



その方は



多くの人の心を動かすものには
癒しとか、そういうものでなく

自分の中にある狂気や葛藤みたいなものを
アートとして表現したものが
多いんじゃないかと思う
 
と話してくれた

(そしてその芸術祭には
 そのような迫力ある現代アートが 
 町中に展示されていた)














 
誰の中にも多かれ少なかれあるものが
呼応して、みた人の心を震わせる部分も
あるのかなと思った。
 




映画の中では芸術表現がひとつキーになっていて
「さとくん」は絵がうまくて
犯行を決意する前には

壁一面に生き物がいきいきと泳ぎ、飛ぶ
ダイナミックな絵を描いているシーンがある




恍惚とした表情で鼻血を出しながら作品をつくる様子が描かれる
 
そして事件を起こした日も
鼻血を出す描写があった


ヒトラーも画家を目指していたけれど
美術学校に落ちてしまった
あいつも美術教師にでもなってれば…
と、さとくんのことを話す、
職場の先輩のセリフがあった
 

音楽やアートやお笑いは
自分の狂気を社会に馴染む形に
昇華させている手段なんだって
書いてた人がいたのを思い出した




主人公の夫はさとくんと対称のような
描かれ方をしている人物で(オダギリジョー)

ポジティブで、あたたかで、
そしてなかなか仕事にならない
自作アニメをコツコツ作っている

彼の日常に狂気性はない



だけど、ラストに
小さな賞を受賞するシーンがあって

いろいろ考えさせられた。
 

ここに書ききれない、もっともっと
たくさんのモチーフがエピソードとして
複雑に絡み合って、つながって、紡がれていて
宗教とか、出生前診断とか、etc.etc... 
 
作り手はどう考えて
こう描いたんだろう
このモチーフを入れたんだろう

それを紐解きに行くように
もう一回見たいと思わされる

そして
それについてどう思う?って
自分にも問われる。
 




あと、俳優陣がほんとにすごい
ちょい役にもすばらしい俳優さんがたくさん出ていて
そこもすごく見応えがある




この人はこの役をこう表現するのか、という。
あらすじを追っているだけでは見逃してしまう部分も
もう一度見たい、と思う

だから、私は普段は同じ映画を2回みることって
ほとんどないんだけど(いろとりどりの親子とチョコレートな人々だけかも)
3回目を見に行こうと思ってる。






障害のある人の役を
障害のある人たちが自分の意思で
演じていて、
(注:プロの役者さんが演じている役柄もある)

それがきっかけで
休みがちだった通所施設に
毎日来るようになったという方もいる

それだけでもこの映画を撮った意味があったのかも、と
共演した二階堂ふみさんがインタビューで話されてて
(二階堂さんの演技もすごかった)

ふだん障害のある方や事業所や施設に
関わる機会のなかった俳優さんや制作スタッフが
同じ仲間としてひとつのものを作り上げたということと、

その仲間の変化だけでも作った意味があった
と思う俳優さんがいるということにも

たくさんのチャレンジの中で
この映画の生み出したものなんだと思った。
 

生産性のないものは排除される
そういう空気感をこれからどうしていくのか
自分はどう思うのか

原作も読んでみたいと思ったし
事件の記録も改めて
調べてみようと思った

 



以上、雑感。
パンフレットは買うの、おすすめ。

本じゃん?って言うほどのページ数


ちなみに

私も生活支援員です。