数字が覚えられない彼女と、数字が世界の中心な彼。 | うっかり女子でもちゃっかり生きる♪ADHDタイプ・あめのちはれ(雨野千晴)の失敗しても大丈夫!なブログ☆

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頭の中が多動なADHDタイプ・超うっかり者の私でも、毎日楽しく生きられます♪失敗しても大丈夫♥
うっかり女子でもちゃっかり生きる私のゆかいな日常を綴ってます( ≧∀≦)ノ

私、

数字が覚えられないんです。
(・∀・)





どのくらい覚えられないかっていうと、


今の家の電話、ちょーゾロ目な簡単番号なんですけど、



4年間覚えられなかったんです
(・∀・)






つーか、たぶん何もなかったらそのまま一生覚えられなかったと思うんだけど、
(´∇`)




ハルが生まれて、やたら書類に電話番号書かなきゃいけなくて。



そこでやっと覚えたYO!
(・∀・)v









あとね。


教員って、職員番号ってのがあって(自治体によって違うかな?)


私、

8年間使った自分の番号



覚えられないまま終わったYO!
(・∀・)









(・∀・)




ちなみに勤務校番号ってのもあって

私は8年間同じ勤務校だった&
4桁の簡単な数字なんだけど


それも覚えられなかった
(・∀・)




ナハハ(´∇`)








一方、うちの自閉っ子はね。




数字を愛してやまない男なんです。
(´∇`)





それ、どのくらいかっていうと



例えば彼の旅の思い出は、常に数字を中心に記憶されていて。



2年前に行った親族旅行の、誰がどの部屋番号だったかまで覚えている











というくらいね。(´∇`)


「また札幌に行って24-○○に乗りたいねー♥」

とかさ。


母の車のナンバー(・∀・)



スーパーでハルを見失ったら



たいていエレベーターの前で数字の虜になってる









とか。






旦那のiPodに入ってる主要な曲の時間を秒単位で記憶してる

とかね。


「4分21秒の曲聞きたーい\(^o^)/♥」



って言われてもわかんねーよ。
(・∀・)











彼の世界は、数字を中心に回っている。







先日、


「僕と世界の方程式」


という映画を見た。






公式サイトはこちら



数学オリンピックを目指す少年・少女たちの合宿が主な舞台で



それに参加する自閉スペクトラム症の男の子が主役の

実話を元にしたお話。




彼の世界の中心にも、数字があって。



食事は決まった時間じゃなきゃイヤ、とか

ポテトの数は素数じゃなきゃダメ、とかね。




そして



共感覚のある彼が見る世界は


光や色の見え方が

私たちの見るそれと少し違っていて

(と、いっても「私たち」だって本当は一人ひとり違うのだけれど)




場所に色がついて見える。

光に強く惹き付けられる。



そんなふうに描かれていた、彼のフィルターを通して見える世界。





あぁ、ハルにも世界はこんなふうに見えているのかもしれないな、



って思った。









ハルは1、2歳の頃

抱っこをすると

いつも天井の電気を見上げていた。



よく「赤ちゃん、首大丈夫?」と知らない方に声をかけられるくらいにね。(笑)






常にイナバウアー状態。


(・∀・)





そして



光るものに強く引き付けられる彼の
初めて覚えた言葉は「で」だった。



電気ので」 ね。
(・∀・)


電気ので についてはこちら



毎日のように散歩した公園で、ハルは遊具には一切遊ばず


いつも遊具を下から見上げ

その隙間からこぼれ出る日の光を
飽きることなく見つめていた。















自閉のあるお子さんの中には


水が流れる様子に強く引き付けられる子もいる。





彼らには、どんな美しさが見えているのだろう。





画像はお借りしました
http://my-house-shintiku.seesaa.net/s/article/289337032.html




「自閉」って

自分に閉じ籠っている、みたいな字面なんだけどね。







実は閉じているんじゃない。


開きすぎるくらいに感覚がオープンになっているのだ


って、何かで読んだことがある。






確かに、自閉のある方は


光るものに

音に

感触に


そういう、特有の刺激に

敏感な方も多い。





それは、今の社会では生きにくさに繋がることもたくさんあるだろうと思う。




ハルは今でも、エアータオルのあるトイレにはものすごく警戒している。

音が怖いんだよね。

きっと私が感じる以上に
おそろし気な音として、彼の耳に響くのだろう。









自閉のある方は、汎化が難しいとよく言われる。



どーゆーことかって、

例えば

これも

これも

これもコップでしょ?








だけど、そうは見えない。

ひとつずつが、違って見えている。



なんでかって、ハルは

このコップの縁の、美しいカーブを見ている。


反射して煌めく光を見ている。


ツルツルした、手ざわりにも意識が向いているのかもしれない。






だから、ABAでは

絵カードで「コップ」という言葉を獲得させたら


実物をたくさん見せて


これも、これも、これも


どれもコップなんだ、ということを教える。





よく、お店に連れていって

そこで

「これもこれもコップ」

「これもこれも皿」

って、やったりした。







うちの台所の引き出しね。


昔は、食具を大きさで分けて入れてたのね。


スプーン・フォーク大
スプーン・フォーク小

みたいにね。








でも、今はこんな感じ。









「大きいのも、小さいのも、木でできてるのもプラスチックのも、ぜーんぶフォーク」


っていう汎化を

ハルと一緒に片付けながら練習してたときの名残りでさ。






ひとつひとつが別々のものに見える。





それは、もう少し違う表出の仕方だと



ひとつひとつの事象が別のものとして捉えられる、共通のものとして認識されない




「それ前と同じでしょ!?同じにやってよ!」

「え!?どこが!?どこが同じなの!?」

みたいなところでトラブルになることもあったりして


社会生活を営む上で、たいへんな思いをされる方もいるかなぁと思うのだけれどね。




それを踏まえてもねぇ。




私はね、


豊かだなぁって思ったんだ。








ハルにも

映画の彼にも




混沌も

恐れも

たくさんあるだろうけれど






その中にもね、



それぞれに見えている、美しい世界がある。













映画の主人公のお父さんは

物語の冒頭に、事故で亡くなってしまうのだけれど


本当に素敵なひとでねぇ。







数字を通して

彼とコミュニケーションをとっていく。



手持ち花火で素数を描きながら

その光の残像を一緒に楽しんだりね。




そうすると


手をさわられるのに苦手がある彼も

自然とお父さんと手を握っている。



彼の世界と

お父さんの見ている世界は違っているけれど

重なる部分もあるんだ。








「わかりあえなくても、愛し合うことをあきらめちゃダメだ。」


お父さんが最後に少年へかけたのは、確かそんなセリフだった。







私には、ハルの見ている世界は見えないし

彼の中にある美しい数字の世界を感じることはできない。



だってそもそも数字に興味がない。どころか、覚えられない。(・∀・)




きっと、彼にも数字以外が興味の対象な私の世界はわからないのだろうと思う。




でもねぇ、それって自閉だとか、数字を覚えられないとか、そーゆー際立ったところの話だけじゃなくてね。






本当の本当に、自分以外の誰かが見ている世界なんて、誰にも見えないのよ。




その人が経験したことと、どんなに似ていることはあっても


わかるわかるー!って思うことはあっても


全く同じ

は、

ないの。


一人ひとり、違っているんだから。





だけどね、全く同じ は経験できなくても


自分には自分の世界があるように

相手には相手の世界があって

それを尊重することはできる。






大切な人とは

交差する部分を

擦り合わせて

探すことも、きっとできる。




そして



自分の世界を大切にできる人は

相手のことも大切にできるんだって





私は思っている。








まずは、


自分


だね!















春になると、いつもの散歩ルートに咲く花がある。







昨日FBで投稿したら、「ハルニレですね」って教えていただいたのだけれど。





私とハルは、「白いお花」と呼んでいて





春が過ぎると


「白いお花、かれちゃったね。」




秋になると


「白いお花、咲いてないね。」




冬になると


「白いお花、春になると咲くね。」






白いお花が咲く場所で、いつも立ち止まり
確認していたハル。





いつも咲いていない



ということが

不思議だったのかもしれないね。









春になって

いつもの場所に、たくさんの花を咲かせたハルニレ。




前は、通る度に

一緒に咲いている花の数を数えていた。



それで、たくさんになると数を数えるのが苦手な私は



「今日はいっぱい咲いてるね!たくさんだ!」


なんて言っていた。







昨日、ハル&ヒロとこの道を通っていて

ハルが「白いお花、咲いてるね!」と

数を数えだした。






えー、そんなにたくさん咲いてて
風に揺れてて


数えられないでしょ。(・∀・)




そんなふうに思って私は見ていたのだけれど




ハルは

葉の裏側に咲いているものも

器用に確認しながら


重複なく
順序よく

花の数を数えていった。










「15だね!」

と言ったハルの笑顔を見ながら

思ったんだよね。




あーそうか。

ハルにはこのハルニレの花の、ひとつひとつが見えているんだ。



たくさんのハルニレ


じゃなくて


一つひとつがね。



きっと、それぞれの違う部分がちゃんと見えているんだなぁって思った。





私はたぶん、そんなふうには数えられない。










私さぁ、それ、


素敵だなぁって思ったんだよね。














世の中は多数派使用にできている。






だから、左利きの人はちょっと不便なときがあるかもしれない。

文字の成立ちも、改札も、なんでもだいたいが右利き使用にできている。





だけど、右利きの方が左利きより偉い訳じゃないし

左利きの人が劣っているわけじゃもちろんないって思うよね?





いわゆるマイノリティって、そういうことで


不便はあるけど


全然ダメじゃないんだよね。






むしろ、その多様性に
私は豊かさを感じるんだ。






世界はグラデーションでできている。







そしてそれはグレースケールじゃない。


色とりどりの、鮮やかなグラデーション。











ハサミだって、今は左利き用が売っているんだからね。



きっと、やりようはある。

短所は長所にもなりうる。












違いがあるからこそ、世界は輝きで満ちている。