いつまでそっちの世界にいるの?決めるのは、自分。 | うっかり女子でもちゃっかり生きる♪ADHDタイプ・あめのちはれ(雨野千晴)の失敗しても大丈夫!なブログ☆

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頭の中が多動なADHDタイプ・超うっかり者の私でも、毎日楽しく生きられます♪失敗しても大丈夫♥
うっかり女子でもちゃっかり生きる私のゆかいな日常を綴ってます( ≧∀≦)ノ

こんばんみー!
職場の研修帰りにジャケットのままストーリー個人面談行ったら


「うっかり感がない」
と言われた雨野千晴です♥
( ≧∀≦)ノ




( ・∀・)







この間、ハルとバスに乗っていたとき



ハルはいつものように、車内アナウンスを
所々繰り返していました。

※自閉の特性の一種、エコラリアっていいます。




それで思ったんだけど。




前は、乗り物に乗ったり、エレベーターに乗ったりすると



ハルが突然

「三階です!
ドアが開きます‼
( ・∀・)

とかいうのが恥ずかしくて



私は

「小さい声で」

言わせることをハルに仕込んだり

エレベーターに乗るのがイヤで、エスカレーターに乗っていたときもありました。





「この子、なんか変」


そういう目で人から見られるのが怖かったんだと思う。たぶん。



自分の「変」には誇りを持ってるのにね。私。
( ・∀・)







とにかくそんなふうに思っていたのだけど



なぜか最近はそーゆーの、あんまり気にならなくなって。







ちょっと声が大きくて周りにご迷惑かな、というときは

「もう少し小さい声にしよう」

とは声をかけるけど



あんまり気にならなくなったし、

別に恥ずかしいとも思わなくなったのね。




そーゆーこと、

昔の自分は、「あきらめる」ことだと思ってたの。










話は変わるけど、私超幼児体型で



よく、

「私胸が小さくて~(*/□\*)」

とか言ってる女子を見て



「は!?それで胸が小さいとか言うなし‼(怒)」


とか意味不明に、心中ひそかに切れるほど。
( ・∀・)(笑)





思春期から、人にもその絶壁胸について言われたし

自分でも

「いや、マジで私実は男だったってこと…ないよね…( ・∀・)」


って本気で悩んでたこともあったくらいなんだけど。www




そんなある日、マンガ雑誌の背表紙に載ってた何かの相談コーナーに



「胸が小さいと、彼氏ができないんじゃないかって心配です」


みたいな思春期女子からの相談が載せられてたのね。




それの回答が

「そんな胸の大きさで女性を選ぶ男性は、あなたのためにならないのでこちらから願い下げ、くらいに思っていれば良いのです。」

みたいな感じだったのね。





それ読んだとき、中学生くらいだったと思うんだけどさ。


今でもはっきり、そのときの自分の感想を覚えてるの。



「はぁー!?

何きれい事言っちゃってんの?






いや、それ、負け犬の遠吠えってやつでしょ!

ただのあきらめでしょ‼」




って。( ・∀・)









障害者の感動秘話を扱ったチャリティー番組を見ても




「いや、それで幸せですって

障害ない方がいいに決まってんじゃん。


それ、妥協しただけでしょ?」



って思ってたのね。







子どもの頃の私にとって

当たり前に人々が持っているであろう

と思っていたもの。



それを持っていない人は


どんなに幸せそうに見えても、本当には幸せじゃないんだ。


幸せの基準を下げただけなんだ。


あきらめただけなんだ。








明確に言語化してたわけじゃないけど
中学生の私は、そんなようなことを感じていたんだよね。




それでね。


ハルの自閉の診断が出てから


私はどこかで「あきらめない」って思ってたんじゃないかなぁって思って。





ハルが2才の頃、大学病院ではじめて診察を受けて

あっさり「自閉症スペクトラム」と診断がついたとき。






私が先生に聞いたのは


「ハルは話せるようになりますか?」


ということだった。







何回目かの診察のときには


「ハルはどのくらいの感じで成長して行くのでしょうか?

小学校では特別支援級を選んだ方が良いのでしょうか?」



って聞いたのを覚えてる。






ハルの自閉の度合いがどのくらいのところなのか、私は知りたかったんだね。




早期療育に熱心な方の中には

「小学校入学時に、普通級へ入る」

ところをゴールとしてる方も多い。

それが悪いわけじゃない。


そこからいろんな経験をしたり

自分が生きていくためのたくさんのスキルや
自己を表現する手段を得るお子さんだっている。


でも、



私はたまたま学校で働いていたから、


普通級の中でも


生き辛さを抱えている、集団に馴染むのが難しかったり

活動内容がその子の課題と大きく離れていて

学校から足が遠退いていくお子さんも見てきた。





だから、それがゴールだとはどうしても思えなかった。


その子に合った、ハルに合った場所で過ごせることが一番いいと思ってた。





その気持ちはね、今振り返っても、全然嘘じゃなかったって思うんだけどね。





でも、どこかでそれが


「あきらめ」

って思ってた自分もいたのかもしれない。



だから、心の準備をするために

その質問をしたのかもしれない。












色々な療育機関に通って

ABAのセラピストさんと自分と、二人三脚でホームセラピーをして




ハルの言語力は格段に上がった。






でもね。







単語の受容・表主


2語文

3語文

疑問詞の受容・表出

受け答え





一人称を

「ハルは」

から

「僕は」







応答は

語尾の繰り返しでなく

「うん」か「ううん」













それで、このプログラムの最高到達点は

「診断が出ない」

となることを

ゴールとしてる。










ねぇ。





それってさ、












ハルじゃなくない?












公園に行っても、遊具で一切遊ばず

その周りをぐるぐるぐるぐる

いつまでもまわって








見上げた遊具の隙間から

溢れ射す日の光を

いつまでも眺めていたハル。







エレベーターの前に行くと

表示される数字をじっと見て

そこから動かなくなってたハル。







排水溝を見つける度に

しゃがんで

中を覗きこんでいたハル。














言葉を獲得して


遊具の使い方も理解して



滑り台を「楽しい‼」と何回も滑ったり









排水溝の中に

「水があるよ!」

って教えてくれるようになった









そんなハルの様子や

やりとりできる喜びは




もちろん、私にとって大切なものだし





療育は、ハルの世界を広げてくれたんだって思う。







だけどね、




言葉を持たないから



興味の幅が狭いから



その人が不幸かっていうと












そうじゃない。







ハルを通していただいた、たくさんの出会い。





そこから私が思うことは





ゴールはひとつじゃないってこと。







幸せの形は


一人ひとり違っているんだってこと。







そんなことを感じていた矢先、





渡邊義紘さんの個展についての記事を目にしました。







ここに、答え合わせがきっとある。








そう直感的に感じて、記事を見つけた翌日

私は渡邊義紘さんの個展へと向かいました。






+PLUSという、家具と文房具のメーカー会社。


そのショールームの一画に、渡邊さんの作品は展示されていました。


















↑渡邊が来場された際、15分ほど、即興で作り上げた作品。






作品の緻密さ、躍動感、渡邊さんの生き物への強い興味関心。

渡邊さんの「好き」の気持ちが生み出した作品たちに

感動するとともに



私は渡邊さんのお母様からのメッセージに
心奪われました。






以下、お母様のメッセージより、抜粋です。







幼いころは、一日中、虫を探し追いかけての日々。

虫の次は、川や海の生き物、空を飛ぶ鳥たちに魅了され、全ての生き物に興味を持ちました。


※中略


彼は、言語でコミュニケーションを取るのが困難ですが、自ら作り出す作品を通じて、沢山の人とコミュニケーションを取ることが大好きです。







言葉表現に困難さを抱えるがゆえのご苦労、

パニック時のご本人、ご家族のたいへんさ





そういったことはもちろんあって

そこには、ご家族や、ご本人にしかわからない辛さがあると思う。





でもさぁ、




それ、




みんなそうなんだよね。










五体満足でお金にもそんな困ったこともない、学校での勉強はわりとできる方だった私は


子どもの頃からずっと不安を抱えていて


数年前には、死にたいとさえ思っていた。







私が会いに行った、たくさんの素敵に輝く人たち。




そして、セッションやカウンセリングなどで


私に会いに来てくださる人たち。





全てを含めると

たぶん100名くらいの方に、ここ一年でお目にかかって




その中で、生きてきてしんどさを感じたことが一度もない



悩みは何もない



っていう人は、




一人もいなかったよ。










それさぁ、







人と、比べられないんだよね。






障害があるのにがんばって生きてる人がいるんだから


五体満足の自分はこんなことで辛いなんて思っちゃいけない。



って、




誰基準?





あなたが辛いと思ったなら、

それは辛いんだよ。





で、




その五体満足でないその人は




今すごくハッピーを感じているかもしれない。






人と比べることに、意味ないんだよね。



だって、自分がどう感じるかなんだから。







幸せもね。






誰かと比べることに、意味はないの。






コミュニケーションだってさぁ。

渡邊さんの作品から受けた感動。






この人は、きっとそれぞれの生き物の筋肉の付き方、動き方、ひょっとすると鳴き声なんかも


全て頭に入っているんだろうなぁって思って。







生き物が、好きなんだね。







それ、スピーチされるより


ずっとずっと、伝わった。







ハルがオウム返しばっかりしてて



この子は何考えてるんだろうって思ってたときも




遊具の隙間から溢れる光に

心ときめいているだろうことは





その眼差しから


繋いだ手の平から


伝わっていた。














言語によるコミュニケーションが


全てにおいて優れてるかというと


決してそうではないんだよね。






音楽や

ダンスや

アートや

スキンシップ



非言語コミュニケーションの方が
伝わることだってある。











ハルの療育。



たくさんの経験をハルと私にもたらしてくれたもの。









全てをやめる予定は今のところないんだけどさ、


ABA個別療育は、3月で卒業しようと思っています。











ねぇ、







障害の程度が重いとか

軽いとか

発達障害の診断があるとか

ないとか

傾向はあるけど診断の範疇じゃないとか。





そんなのは、



あなたが感じる辛さや幸福を決定付けるものにはならないよ。










幸せの形は、人それぞれなんだ。




あきらめって言葉も、きっとときには大切なんだけど




私にとっては。


障害があっても

言葉が話せなくても

胸が大きくても小さくても

子どもがいても、いなくても





幸せを感じられるっていうこと、



それは、妥協やあきらめ




じゃなくて。





それぞれの形の幸せを、その人が感じているってこと






動物園に行った記念に「好きなものひとつ選んでいいよ」って行ったら、
迷わずサングラス選んだハル。

動物園的かどうかは、一切関係なし。
( ・∀・)





他の人からどう見えてるか

他の人がどう感じるかなんて

関係ないんだよね。





その人が幸せを感じているかどうか。






あなたが、

私が、



どう感じるか。








それだけなんだよ♥




(ちなみに、胸が大きい方がいいなーという憧れは全然変わっていませんが(笑)

スラリとして見えるのが私の体型の素敵なところだと

今は思っている♥( *´艸`) )





それってそれって…









人の数だけ幸せの形があるって…







すっっごく豊かで

すっっごく素敵な世界じゃない?





どっかの誰かの基準で自分の幸せを計るのか






それとも、そんな無制限の

自由で豊かな世界に生きるのか








決めるのは、自分だよ。









それを私に教えてくれた


たくさんの人との出会いと


ハルに





感謝をこめて。




脳性麻痺の康文さんから教えてもらったこと

号泣する三十路女!療育園の子どもたちが教えてくれたこと







☆イベント情報☆

満員御礼ありがとうございます\(^o^)/♥








12月11日は

うっかり女子のクリスマス忘年会♥

めっちゃ楽しみでーす\(^o^)/♥