重い障害を抱えておられる方の輝き 「ごめんなさいね おかあさん」の詩は悲劇なのか それとも | うっかり女子でもちゃっかり生きる♪ADHD不注意優勢型・雨野千晴☆いつもココロはあめのちはれ☆

うっかり女子でもちゃっかり生きる♪ADHD不注意優勢型・雨野千晴☆いつもココロはあめのちはれ☆

頭の中が多動なADHD不注意優勢型・37歳で診断された超うっかり者の私でも、毎日楽しく生きられます♪失敗しても大丈夫♥自閉っ子&ADDタイプ兄弟子育て中シンママです。うっかり女子でもちゃっかり生きる私の日常を綴ってます(^O^)/

ご訪問ありがとうございます!
はじめての方は、「はじめに①」「はじめに②」の記事から読んでいただけるとありがたいです(^O^)/

☆☆☆


先日、まったくご紹介することも念頭になく書き始めた記事で

ヒッチハイク体験談からまさかのこちらの本をご紹介することとなった、脳内多動ミラクルがおきたわけですが。
(スクールバスについて、自分の記憶違いだったところがあったので、少し書き直しました。)



記事の中で、康文さんの書かれた詩「ごめんなさいね おかあさん」をご紹介するとともに


これは決して、悲しいお話、悲劇に涙する話ではなくて。

障害を悲観したものでもなくてね。


今より福祉サービスもほとんど何もないみたいな時代でも

重度の脳性麻痺をわずらった一人の少年が、自分の思いを力強く発信したという、希望の物語だと

彼の思いは時を越えて、

今の時代を生きる、私たちに語りかけているのだと

私は思っているのです。


という感想を添えました。



そしたら、この記事を読んでくださった方が、こんなコメントをくださいました。

(以下、コメント抜粋)



パッと読むと悲劇なんですが、それを発信と捉える感性にビックリしたので…

どうしても私自身が物の見方が二極化しやすいもので、深いなと思いまして。






この康文さんの詩について、康文さんの担任の先生であった向野幾世さんの書かれた本「お母さん、ぼくが生まれて ごめんなさい」。


お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい (扶桑社文庫)/扶桑社

¥700
Amazon.co.jp



私もね。

前にも書きましたが、はじめにこの本を一読したときには

そんなふうには全く思っていなかったのです。




康文さんやご家族の苦難、障害があるゆえに感じてこられた悲しみ、辛さ

世間や社会へのどうしようもない憤り


そんなようなことばかりが心に残って

本棚にこの本を置いておくのがしんどくなり、処分してしまったのです。




それが今、同じ詩を読んでの感想がここまで違っているというのは

(しかも、この記事を書いたときにはまだ再購入した本は手元になかったので

始めに一読したときの記憶を手繰っての感想です)


やっぱり、初めに読んだときと、今との、自分の在り方が違うというか。

自分の心の持ちようが違うので、同じ詩、同じ本に思うことや、そこから拾ってくるものも、違ってくるということなんですね。



実は私、ここ最近ずっと考えてきたことの中に、この500%自己開示ブログにも書けなったことが(はるちゃんネタ以外にも(;´▽`A``)あります。




自分について、深く知っていけばいくほどに

いろんな方にお逢いして、その魅力を感じるほどに思うのは


「全ての人には、その人特有の輝きがあって

それは特別な人に限られたものではない」


ということ。



どの人にも、私にも、あなたにも

ていねいに磨いていけば、ますます光り輝く宝石となるような

その原石が必ずあるのだと、私は確信しています。




私のこの思いは、たくさんの方との出逢いによって形作られてきたものですが


その大事な出逢いのひとつ、脳内多動記事でもご紹介させていただいた、上岳史さん。


上さんが、講演会でこのようなことをおっしゃっていました。



「能力のない人は、いないと思っています。あなたの特徴はなんですか?特徴は、強みです。」 
って。


その力強いお言葉に、私はすごく心動かされました。それで、あの記事にも引用させていただいたんですね。



でも、そのとき感じていたことがもうひとつあります。



この方、民間の療育施設を運営されておられます。

対象は、発達障害、自閉症スペクトラムのあるお子さん達が主だそうです。

障害の程度としては、軽度のお子さんが多いとのこと。




それでね。



私がそのときから、自分の中でも言語化されていなかったけれど

密かに感じていて

最近では、わりとはっきりとした形を成してきていた思い。




それは、



その「すべての人」に、いわゆる重度の障害を抱えておられる方は含まれるのか、ということ。



重度の肢体不自由の方、

重度の自閉症方、

そういった、意思疎通も難しいというような方々。



そのような方々に対しても、自分は「その人特有の輝きがあって」と言い切れるのか。




これは、今書いていても本当に恐ろしい思いです。

この思いを持ちながらも、誰にも話すことはできませんでした。

自分自身の中で、この問いが迫ってくるようになってから



その答えが、もし「含まれない」だったら、自分はどうすればいいのか。

それが怖かったのです。


でも、きっとそんなことはないはずだっていうことも、どこかで思っていました。


思いながらも、やはり突き詰めていって、答えを出すのが怖くもあり

ただただ自分で自分に、ぼんやりと問うている状態でした。





そんなときに、思いがけず(まさかのヒッチハイクからの(笑))自分の中からでてきたもの。

それが、康文さんの詩だったのです。


「自分なんか」と思って生きてきた私。いつもより良くなるために、今いる自分を否定し、どこかにいるもっと素晴らしい自分を探すようにして生きてきた私。


そんなところから


今ある自分はそのままでいいんだ

自分が自分らしくあるということはどういうことなのか、それは

自分の内側に、自分自身に尋ねていくものなのだ 

考えが変わってきた今。


この康文さんの物語は、私の目にそれまでとは違った意味を持つものとして映ったのです。



ごめんなさいね おかあさん

ごめんなさいね おかあさん
 
ぼくが生まれて ごめんなさい
 
ぼくを背負う かあさんの
 
細いうなじに ぼくは言う
 
ぼくさえ 生まれてなかったら
 
かあさんの しらがもなかったろうね
 
大きくなった このぼくを
 
背負って歩く 悲しさも 
 
「かたわの子だね」とふりかえる 
 
つめたい視線に 泣くことも
 
ぼくさえ 生まれなかったら








康文さんは、重度の脳性麻痺で肢体不自由、言葉を口にして、何かを伝えることはできません。

そんな彼が14歳のとき、いかにしてこの詩を作ることができたのか。




康文さんの養護学校の先生、向野先生は、

この詩の誕生の2年前に

前任の言語訓練担当の先生から担当を引継ぐことになりました。



どんなに重い障害の子とでも、心を通わせてきた向野先生も

「言語訓練」としてそれを専門に取り組むのは初めてで、とまどうばかりだったそうです。



「一語でも、一音でも、子どもたちに言葉を発してもらいたいという一念でしたが、無力な私は、障害の前に立ち往生するだけでした。」
(「お母さん、ぼくが生まれて ごめんなさい」より)


ところがそんな折、先生は海外旅行に行かれます。

その先で、「ことば」が通じない人達との「ことば」を超えた、「こころ」の交流があり、先生の中に以下のようなひらめきがあったのです。


(以下抜粋)

一語でも、一音でもと言語訓練をしてきたが、違うんじゃないか。

いま私は、一語も一音もわからない相手と会話して笑いあっている。

わかりあっている。これこそ”ことば”だ。

”ことば”の前に”こころ”の通い合いが大事なのだ ~後略

そんな気づきを得、非言語コミュニケーションでのやりとりをご経験されて、帰国された先生は


養護学校(今の特別支援学校)の子ども達、ひとりひとりに合ったコミュニケーションのスタイルを探っていかれました。

ジェスチャー、文字盤を使って、口に箸をくわえてタイプを打つ、などなど。




康文さんは、3歳のころからお母さまと使っていたトイレのサインがありました。

それを日常にも取り入れて、

目をぎゅっとつぶる→はい 舌を出す→いいえ 

のやりとりが成立していました。


そこに加えて。

先生は康文さんのからだの緊張やアセトーゼ(不随意運動)も言葉なのだと気づかれたのです。


康文さんを抱きしめて話をすることで、康文さんの体の反応を全身で感じる。

そうすると、康文さんがからだを硬くしたり、柔らかくしたり、足を突っ張ったり、手を上げようとしたり、一語一語、反応するのが感じられたそうです。

全部が全部、ことばなんだということが、抱きしめているとよくわかったと。



そんなふうにして、言語訓練を重ねる中で、詩づくりに取り組むことになった先生と康文さん。



あるとき、養護学校の子ども達が作った詩に、ボランティアの学生がメロディーをつけて、チャリティーコンサートを開くという企画が持ち上がりました。


何事にも挑戦することに意欲的だった康文さんは

この時も、先生の「挑戦してみる?」の問いかけに、「キャー」といって喜びの声をあげました。

詩の作成当時の様子を振り返り、向野先生はこのように語られています。


「思い浮かぶありったけの言葉を、『やっちゃん、こうか? こうか?』 とあげるんです。

山のような言葉の組み合わせでしたね。出だしは『ごめんね』も『ごめんなさい』もノー。

『ごめんなさいね』で、やっとイエスなんです。

『ごめんなさいね、おかあさん』だけで、一カ月ぐらいかかりました。」


冬のさなかに全身に汗をためて、その命の丈を託したことばを選ぶ作業。

思いの半分もことばにかえられず、いらだって泣いてしまった日もあったそうです。




この詩は、そんなふうにしてできた詩だったのです。



この詩には、「生んでくれてありがとう」と言えない、お母さんに、自分の誕生にたいして「ごめんなさい」と感じていた、康文さんの計り知れない悲しみが書かれているかもしれない。


それは、康文さんだけでなく、今よりもっと福祉が行き届かなかった時代

多くの障害を持った方たちが抱えておられた、共通の思いかもしれません。



でも、それを伝えたい、詩にしたいと願った康文さんは


ときに憤り、涙することもありながらも

本当に力強く、生き生きと

自分の思いを表出できる、伝えられるという喜びに

満ちていたに違いないと、私は思うのです。




そして、このようにして誕生した康文さんのこの詩は

そのコンサートで、同じようにハンディのあるお子さんたちの、輝くばかりの詩と共に発表されました。


舞台上にはお母様と康文さんも登壇し

輝くスポットライトの中に身を置きました。


コンサートは大成功をおさめたのです。



康文さんや子ども達の力強い思いは

そこだけに留まらず、

その後、このコンサートはレコード化され

テレビでも取り上げられ

日本中に広まることとなりました。




それから、時が経ち


人々の記憶は薄れ

私が図書館の払い下げコーナーで手に取った

1978年に出版された向野先生の書かれた本は

そのときすでに、絶版されていたものでした。



けれども、そのような時の隔たりを経てなお、康文さんの「伝えたい」という思いは、力強く人々の中に息づいていたのです。


私が再び手にした、2002年に復刊された「お母さん、ぼくが生まれて ごめんなさい」。


復刊のきっかけは、新聞に寄せられた、読者からのある投書だったそうです。

(以下、復刊に至るまで からの抜粋)

「母への感謝を綴った詩に涙」

美術館なんて趣味に合わないし、書道なんてつまらない」という女子高生の一団の言葉が、美術館でボランティア監視員をしていた私の耳に入り、思わず口にしました。

「あそこにお母さんのことを書いた書があるの。お願いだからあの作品だけは読んでいって」と。

女子高生たちは不承不承、私の指した書を鑑賞しました。すると一人がすすり泣き、そこにいた生徒全員が耐え切れずに、泣きだしたのです。

その書は、生まれたときから母に抱かれ背負われてきた脳性マヒの人が、世間の目を払いのけて育ててくださった、強いお母さんへの感謝の気持ちを綴った詩でした。

「今の健康と幸福を忘れていました」と女子高生たちは話し、引率の先生方の目もうるんでいました。


この文中の、「お母さんのことを書いた書」というのが、康文さんの「ごめんなさいね おかあさん」だったのです。


そしてこの投書に対して、「どんな詩なのか読みたい」という読者からの声が多く寄せられ、

それが復刊のきっかけになったそうです。




時を経てもなお色あせず、人々の心に響き続ける康文さんの詩。


そこにある、私たちに訴えかけてくるものの根底には、


この時代の、障害の重さゆえの悲劇、というよりも


やはり康文さんが抱いた、「自分の思いを伝えたい」という思いの強さだと、私は思います。


そう思えば、やっぱりこの詩は私にとって

「悲劇の詩」ではなく、「希望の詩」なのです。





そして今、私は確信を持って、思います。


「全ての人には、その人特有の輝きがあって

それは特別な人に限られたものではない」





全ての人。

それは、障害のある人も、重い障害を抱えておられる人も。


この地球に生きる、すべての人にその輝きがあるのだと。



私は康文さんが与えてくれた希望を胸に

これから迷いなく、それを信じていこうと思います。





余談ですが。

この本の中には、康文さんの15年が本当に生き生きと綴られていて

その障害ゆえに、悲しい思い、辛い思いをされたことはもちろんだと思うのですが

一貫した明るさというか、好奇心旺盛で、魅力的な日常の様子がたくさん描かれています。


例えば、康文さんには、お兄さんと弟さんがおられるのですが

お兄さんが康文さんを抱えて、寝ている弟さんの上にまたがり

「やっちゃんいいか、さあ、出せ」と合図して、弟さんによだれを吹きかけるとか(°∀°)b


笑いどころもあって、しかもその笑いのレベル、絶対マネできないしWWW

康文さん!時を超えて師匠と呼ばせていただきます!!(・∀・)



この本、みなさんぜひお手にとってくださいね!!わたしゃアマゾンで1円でゲットできましたよ!!!この感動が1円!!!!!や・す・す・ぎ・るо(ж>▽<)y ☆



☆☆☆

たくさんの方に読んでいただければ…と思い、ブログランキングに参加しております。

下のバナーを押していただくと、自閉症児育児のママさんやパパさんのブログランキングを見ることができます。

加えて、このブログにランキングポイントが入るようになっております。

ポチッと押していただけると、はげみになります!よろしくお願い致します(^-^)/

マイバナー、作ってみました♪
にほんブログ村 子育てブログ 自閉症児育児へ
にほんブログ村

こちらのランキングにも参加してます♪

育児 ブログランキングへ