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ことの成り行きについていけなくて。。。
 
今朝、
ぎっくり腰をおこしたことは、みょうに納得でした。
 
 
 
 
6月15日未明、母が亡くなりました。
 
 
母にとって、
この1年間は、
とても哀しいことの連続でした。
 
3月11日の大震災で、
心がざわつくような日々の暮らし、
 
4月半ば、
幼いころからの大親友が亡くなり、
 
6月27日、
夫(父)が亡くなりました。
 
 
予てから入退院を繰り返していた母の妹が、
今年2月に、予断を許さない状態に陥り、
何度も病院を見舞う、
そのさ中、
 
母のかかりつけ医から、
総合病院での検査を指示され、
膵臓癌が肝臓に転移していることが判明しました。
 
医師と相談の上、
母には、
膵臓のことは伏せて、
肝臓が悪いことだけを伝えました。
 
 
その直後、
母の妹が亡くなりました。
 
 
母の郷里は北国、
今年の大雪で、
妹の納骨は、
雪がとける5月まで待つことになりました。
 
5月半ば、
息子(弟)が納骨を済ませてくると、
母は、
「妹だけは私が看取ってやらやくちゃと思っていたの」
と、云って、
ほんとうにホッとした様子でした。
 
 
ですが、
そのころから、
足がむくみはじめました。
 
むくみを取るため、
医師から利尿剤を処方されましたが、
腰の悪い母は、
頻繁にトイレに行くことが大変なので、
利尿剤の服用を嫌がり、
足のむくみはひどくなるばかり。。。
 
医師から、
足のむくみを取るための入院を勧められました。
 
 
 
見舞いには、
大好物の甘いもの。
 
「喜月のも中」に、目を輝かせ。
「紀之善のみつまめ」を平らげて。。。
 
入院は、おそらく1週間くらい。。。かな。
 
そう思って、
退院してからの介護などを、
弟と相談していました。
 
 
ですが、
むくみは引いてきたものの、
食欲が減り、
会話も少なくなって、
状態は、あまり好転していきません。
 
 
13日に、
部屋の片付けと掃除を兼ねて、
泊りがけの支度をして、実家へ行きました。
 
夜、
病室を見舞うと、
びっくりしたような、嬉しそうな顔を見せました。
 
 
14日、
梅雨の晴れ間、
テレビでは「洗濯するなら今日しかない!」
というので、
朝から、大洗濯!
 
母を見舞うと、
目を開けるのが億劫なようで、
ときおり、
手をはらうような動作でしたが、
話はちゃんと聞こえていて、
意識はしっかりしていることは伝わってきました。
 
夜、見舞ったときは、
口を開けて呼吸していましたが、
苦しそうな感じではなかったのですが。。。
 
22時ごろ、
病院からの連絡で、
心拍数が増し、血圧が下がってきたので、
自宅で連絡を待つよう指示されました。
 
 
日付が変わって15日、
連絡を受け、
夜中の2時半ごろ、かけつけると、
 
話に合図するように、
閉じたままの瞼の奥で眼を動かして、
意識はある様子。
 
苦しそうではなかったけれど、
口を開けて、浅い息を繰り返していました。
 
徐々に心拍数が減っていって、
血圧はふれなくなり、
03:07
文字通り、眠るように逝きました。
 
 
 
16日通夜、17日葬儀告別式。
式場は、父と同じ場所。
父のときと同じように、
ごく親しい近親者だけがあつまりました。
 
 
弟は、
歌が好きだった母のために、
急きょ、式場に流すBGMを用意しました。
 
石原裕次郎「夜霧よ今夜もありがとう」
西田佐知子「アカシアの雨に打たれて」
越路吹雪「ろくでなし」
。。。など、20曲あまりの懐かしい曲ですが、
 
 
最初は、
オーティス・レディング「ドック・オブ・ザ・ベイ」
 
当時、
弟はメモを渡され、
「このレコードを買ってきて」
と、母に云われたそうで、
 
やるなあ。。。お母さん!
 
 
 
入院する2~3日前、
訪れた人に、
「お父さんが目の前をうろうろしてるのよ」
笑って云っていたそうです。