ロシアン ドラック 1 | 妻が脳炎で寝たきりになりました ~めくるめく介護の冒険~

妻が脳炎で寝たきりになりました ~めくるめく介護の冒険~

「自己免疫性GFAPアストロサイトパチー」という脳炎で妻が寝たきりになり自宅で介護しています。発病から現在進行形までの記録です。
順を追って、傷病手当、行政の障害者支援、介護保険等の情報についても書いていきます。

「それでは私から選ばせてもらいましょう」

 高野さんが言い、テーブルの上に四つ並んだ赤いカプセルから一つを無造作に摘み上げると、缶ビールで一気に飲み込んだ。

 大きく口を開けて、高野さんがカプセルを確実に飲み込んだことを示すと、飯島さん、笹森さん、そして僕の三人もそれぞれカプセルを取り上げ、缶ビールで流し込み、互いの口の中を確認する。

「これでお互い後戻りは出来ないわけだ」

 困ったような苦笑いをしながら高野さんが言った。

 飯島さんも唇の端を歪めてそれに答えた。

 笹森さんは普段から表情のない顔を更にこわばらせている。

 そして僕は‥‥、僕はいったいどういう表情をしていたのだろう。まるで他人の夢を見ている傍観者になったような奇妙な感じだ。

 ここは、郊外にある高森さんがマスターをしている小さなスナックで、カウンターと奥に小さなテーブル席が一つだけある。僕達四人はその小さなテーブル席に膝を付き合わせて座っている。

 今、時刻は午前一時を過ぎたところだ。他に客は誰もいない。今日、月曜日は定休日で店の扉には鍵がかかっている。

 僕達はたった今、ある儀式を行なった。いや、儀式という言い方は適当でないことは解かっている。たが、それが、僕らがこれから行なおうとしている行為のあまりの異常さの、その壁を乗り越えるためのひとつのセレモニーとしての意味を持つことは間違いない。

 ロシアンルーレットという有名な賭けがある。リボルバーの拳銃に一発だけ弾を込め、二人以上で交互に自分のこめかみに銃口をあて引き金を引いていくゲームだ。賭けに負けた瞬間に全てが終わる。 さっきの赤いカプセル四つのうち一つに致死量の青酸カリが入っていた。ただ、カプセルが特殊なもので胃の中に入っても90分は溶けない。言うなれば、ロシアンドラックといったところか。

 もちろん、お遊びでこんなことをしているわけじゃない。さっきも言ったようにこれは儀式であり、なにより、このゲームの結果もたらされるひとつの確実な死が僕達には必要なのだ。

「それじゃあ行こうか。時間がない」

 腕時計を確かめて高野さんが言い、皆、我に帰ったように立ち上がった。

 スナックを出て、少し離れた所に駐車してあった高野さんの車に四人で乗り込む。通りには人影はなく、水銀灯だけが白々しく真夜中のアスファルトを照らしていた。

 目的地まで約七分。

 誰も無駄口を叩くものはいなかった。

 後部座席に座った僕はこれからやろうとしていることより、今、一緒に車に揺られている三人と運命を共にすることになった不思議さを思っていた。

 最初、僕の前に現われたのは飯島さんで、わずか二週間前のことだった。

「幡多努氏のことでお話があるのですが」

 アパートのドアを狭く開いた僕に向かって、飯島さんはいきなりこう言った。


 一週間後、僕達四人は高野さんのスナックで始めて顔を合わせた。「まず、初めに皆さんのことを勝手に少し調べさせていただいたことをお詫びします」

 飯島さんは今日と同じように、小さなテーブルを囲んだ私たちの顔を見渡してそう言った。

「皆さんももうご存じのように、私を含め、ここに集まった四人にはひとつの共通点があります。いや、共通の目的があると言ったほうがよろしいでしょうか。

 もちろん、私は皆さんのことをごく内密に調査しましたし、皆さんも今日ここでこのような会合を持つことは誰にも話されていないことと思います。また、これから私が提案することの性質上、互いの自己紹介は氏名のみに留めておくほうがいいでしょう。私たちはあくまでも見知らぬ他人同志なのです。

 私たちは全員が共通のある一人の男を憎んでいます。殺したいほど。いいえ、百回殺しても飽き足らないほど憎んでいます。

 各々が彼にどのような仕打ちをされたか。どんな憎しみを抱いているかはここでは紹介しません。私はなにも被害者友の会を作ろうというのではありませんので。

 だが、殺したいと思うことと実際に殺してしまう事は違います。殺しても飽き足らないほど憎んでいても、普通、私たちは実際に殺してしまう事はしません。ある一線が超えられないのです。ある一線、それはヒューマニズムというような甘いものではありません。もし、ヒューマニズムを実践するならあのような男はむしろ一番に抹殺すべきです。人を傷つけないこと、殺さないこと、これは我々が文明人であるほど強力に、心の基礎的な部分に組み込まれたルールなのです。

 法律が罰してくれることもあります。ですが悪党は法律を味方に付け、逆にそれに守られています。

 どんなくずの命も私たちと同じ、いえ、くずの命のほうが守られているのが現実です。

 それでも私が意を決して殺人を犯したとします。動機の線からたちまち私は捕えられ牢獄にぶち込まれることになるでしょう。それはここにいる他の三人の方も同じだと思います。

 いいですか。問題はふたつあります。いかにして、一線を踏み越えるか。もうひとつ、犯人として追求されるのをどうかわすか。 ‥‥‥幸いこちらには四人の人数がいます」

「誰かが代表で殺せばいいと言うのか」

 それまで腕を組んで黙って聞いていた高野さんが聞いた。

「いいえ、違います。ですが一人に犠牲になってもらうのならそうです。私たちがアリバイの面で協力し合っても全員に動機があるのですから信用されるわけがありません。それにいかにして一線を超えるか。代表に選ばれたとしても、そのことが一線を超えられる材料になるとは限りません。第一、復讐と言うものは自ら、相手に自分がどうして殺されるのか思い知らせてからでないと意味が無いではないですか」

「もういい、わかった。それで君に何か考えがあるんだろう」高野さんがじれたように遮った。

「はい。四人で犯行を行なっても、犯人となるのは一人だけですむ方法が‥‥。犯行前、私たち全員が毒を飲むのです」

「なに!?」

 僕達は全員、聞き返した。

「犯行前、私たちは全員、薬のカプセルを服用します。ですが毒が入っているのはそのうち一つだけです。カプセルは胃の中で約一時間半後に溶解するものを用意しておきます。誰がジョーカーを引いたのかわかるのはその時です。その間、私たちは四人で犯行を終え、すぐに別れて自宅、もしくは自分の定めた死に場所に行き、審判の結果を待つのです。あらかじめ自らの犯行を告白する遺書を用意しておくのを忘れてはいけません」

「面白い」長い沈黙の後、最初に声を上げたのは高野さんだ。

「つまり、ジョーカーを引いた一人に罪を被ってもらい、彼は犯行を行なった後に自殺したということになるわけだな」

「ええ、そうです。それにカプセルを飲んでしまえば、もし犯行を行なわないと、ジョーカーを引いた場合、犬死することになってしまいます。いやでも一線を超えられるわけです」

「でも、その計画では一人を殺すために、僕達も四人のうち一人死ななきゃならないということですよね?」僕は飯島さんの言うことがまだ良く飲み込めなかった。

「俺は奴を殺れるなら死んだってかまわねえ」笹森さんが俯いたまま地の底から響くような声で言った。

「ああ、でもこの計画なら残りの三人はおそらく警察の追求を逃れて、自由でいられる。私は奴に思い知らせてやれるなら、差し違えて死んでも惜しくない。だが君や、飯島君はまだ若い。これは私と笹森さんの二人でやるべきだと思うがどうだろう」高野さんが言った。

「待ってください。この話を持ち出したのは私です。幡多氏に復讐したい一心で考えたことなんです。私は絶対に降りるわけにはいきません」飯島さんが言った。

「僕もです。僕は今まで逃げてきました。でもあいつだけは許すわけにはいきません。もしあいつが殺されるにしても、あいつに僕の父さん、僕の家族にしたことを思い知らせずに死なせる訳にはいきません。僕にもやらしてください」僕も慌てて言った。

「そういうわけでこれは四人で実行するしかなさそうですね」飯島さんは高野さんに向かって言った。

「皆が同じリスクを負うのです。ジョーカーを引いた人には気の毒ですが、同情はなしとしましょう。ルーレットには弾丸が四つ入ります。そのうち実弾一つ。青酸カリもしくはなるべく皆さんが手に入れやすい毒薬がいいのですが、これを入れたカプセルは私が用意しておきます。決行はなるべく早い方がいいでしょう。一週間後の月曜日、幡多氏は自宅で一人になる予定です」飯島さんは一人一人の目を見ながら言った。

 僕はこの時、この途方もない計画に酔ってさえいた。それは他の三人についても同じだったように思う。昔、日本には仇討ちという制度があった。復讐を遂げるためには自分の死もいとわない考え方だ。見事、本懐を遂げたものは英雄視されたという。自らの死を掛けた復讐には日本人の美意識を刺激するものがあるのかも知れない。 僕達は一週間後の再会を誓って別れた。