今、毎週見ているテレビドラマは「オルトロスの犬」と「こち亀」。
「ブザー・ビート」と「任侠ヘルパー」も評判がよさそうなので観ておけばよかったと思う、今日この頃です。
最初「オルトロスの犬」を観て思い浮かんだのが、リアル「神の手を持つ男」天才脳外科医「福島孝徳」先生です。
テレビのすごい日本人とかの特集でも度々取り上げられている人なので、ご存知の方も多いと思いますが、
30数年間にわたり、世界中で毎年600人以上もの手術を行い、患者の命を救っている方です。
それも、その多くは他の医者が見離したような患者の難しい手術ばかりだと言います。
福島先生は大変な努力でその技術を習得し、しかも文字通り365日、難病に苦しむ患者のために手術しておられます。
自分が思ったのは、「オルトロスの犬」のどんな病も怪我もふれただけで治してしまう設定は、
リアル神の手の事実の前に、いかにも絵空事のように感じられてしまうのではないかということです。
一方で努力して神の手といわれる技術を身につけ、不休で患者を治し続ける男の現実。
生まれながらにして持った超能力でどんな病も治してしまうというフィクション。
果たしてフィクションは圧倒的な現実のもつリアルという壁を越えられるのか、
それとも所詮は薄っぺらな作り事に成り下がってしまうのか。
フィクションの世界が大好きな自分は注目してみていました。
そして「オルトロスの犬」の展開は自分の想像を超えて進んでいきました。
まず、神の手を持つ男、竜崎(以下タッキー)がその能力を出し惜しみする!出し惜しみする!!
そして女刑事役の氷川あさみも、自分の娘の病気をタッキーに治してもらいたくて仕方がないくせに、
「あなたの(タッキーの)力なんかには頼らない」なんて言い出す始末。
自分なんかがそんな能力を持っていたら、全国、全世界の病院を行脚して片っ端から治しまくっていくでしょう。
現実にそうなったら、その力を利用しようとする有象無象が群がって大変なことになるだろうし、
医者とか皆(福島先生も)失業してしまうことになるだろうけど・・
もしタッキーがすごい努力をしてその能力を身に着けたとしたら、彼もその能力を出し惜しみすることなく使っていたように思います。
しかし、彼の能力は神によって与えられたもの。
なぜタッキーは自分の能力を出し惜しみ?するのでしょうか。
物語前半では、タッキーは能力を出し惜しみすることで、その能力の価値を吊り上げようとしているようにも見えます。
だが物語が進むにつれ、その答えは、オルトロスの犬で「神の手」と対比する能力、碧井先生(以下錦戸亮)の持つ「悪魔の手」の存在を通してメタファーとして語られていくことに気付きます。
タッキーは、自分が「神の手で死ぬはずの人間を生かすこと」は、錦戸亮が「悪魔の手で人を殺すこと」と同じことだと考えているのでしょう。
タッキーと錦戸亮がその能力を使うということは、彼らが死ぬ人間と生きる人間を選べるということです。
しかし、本来、それを選ぶことが出来るのは神だけです。
それはおいそれと使えないな・・と思います。
問題はこのメタファーが視聴者に伝わるかですが・・
タッキーが「神の手」の能力を大安売りで使っていたら、「フィクション」は「現実」に負けてしまったと言えるかもしれません。
しかし、タッキーが出し惜しみしてくれるおかげで、
「オルトロスの犬」はフィクションとして、現実とは違う次元の世界で昇華しようとしているように感じます。