妻が脳炎で寝たきりになりました ~めくるめく介護の冒険~

妻が脳炎で寝たきりになりました ~めくるめく介護の冒険~

「自己免疫性GFAPアストロサイトパチー」という脳炎で妻が寝たきりになり自宅で介護しています。発病から現在進行形までの記録です。
順を追って、傷病手当、行政の障害者支援、介護保険等の情報についても書いていきます。


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昨日は、埼玉県大宮市にあるシェア本棚「夢中飛行」さんで開催された、宮本輝「幻の光」の読書会に参加させていただきました。

最近、是枝裕和監督の、映画監督デビュー作「幻の光」がリバイバル上映されたらしく、今回、課題本に選ばれたようです。

以下、読書会ではこんなことを話しているという内容を、僕が思い出せる範囲で書いてみます。

ネタバレあるので注意してください。


・小説の舞台となっている能登は、正月に地震があり、地震の復興もなかなか進まないなか、大雨の被害も受けて、本当に大変だという話から・・・

・能登の海にある「幻の光」は優しげな光で人をふらふらと引き寄せるが、そのさざ波は、暗く冷たい深海の入り口である。
元夫は線路を大阪方面に歩いていた。元夫が見る夜空の下は、大阪キタの繁華街の明かりで「幻の光」のように光っていて、引き寄せられたのではないか。

・元夫が死ぬ十日前に自転車を盗まれ、別の自転車を盗み返している。そのころ自転車は高価であり、盗みをしてしまったことについての罪悪感があったのでは。ちなみに元夫は、盗みをした甲子園に背を向ける方向に線路を歩いている。


・人は何の理由もなく、死に誘われるように死んでしまうことがあるのかも知れない。

・「幻の光」に決して惑わされないような、しっかりと現実を見て生きる二人の女性、漢さん、とめのさんがゆみ子に与えた影響。

・元夫のやぶにらみの目は、本当に斜視なんだろうけど、「幻の光」が表す、この世でない別の世界を見ている暗喩であるのではないか。

・ゆみ子は、理由も分からないまま元夫に自殺され、また、死体の損壊が激しく、死に顔も見れていないので、実感がわかず、いまだに亡き夫に問いかけている。
ゆみ子が能登で見かけた、おそらく自殺しようとしている元夫に似た男性。その男性が死に場所を探す後ろ姿を実際に見たことが、元夫の死に姿を見られなかったことの代償になったのではないか。
そのことでゆみ子は元夫が亡くなった実感を持ち、大泣きしたあと、どこか吹っ切れた感じがする。

・吹っ切れた後、民雄の機嫌を取るために、民雄の死んだ奥さんに嫉妬する素振りをみせるゆみ子のしたたかさ。

・能登でおそらく自殺しようとしていた男性も、死ぬ前の元夫と同じようにコーヒーを飲んでいたのは、二人を重ね合わせるための符号。能登の男性がやぶにらみだったのは、ゆみ子が男性と元夫を重ね合わせたための思い込みかも知れない。

・終わり近くで、ゆみ子は初めて、元夫が何故、自殺したのか?その問いを、初めて人に(今の夫である民雄に)訊くと、民雄は「人間は、精が抜けると、死にとうなるんじゃけ」と答えた。
何らかの答えが与えられたことで、今まで悔しさと哀しさの中で生きていたゆみ子は、それらを乗り越えて生きていく。

・関西弁のしゃべり言葉がリアル。

・ゆみ子が幼いとき、おばあさんがふらふら道を歩いていき、そのまま行方不明になり、10年後、死亡したことになった。
ゆみ子の元夫が、理由も分からず線路上をふらふらと歩いていて、電車にはねられ死亡したことと重なる。

・ゆみ子の尼崎と能登での生活が重なり合うことがいくつかある。
ゆみ子は子供のころ国道沿いの長屋に住んでいた。薄い壁越しにひっきりなしに車の走行音が聞こえていたはずであり、能登の絶え間ない海鳴りと重なる。
ゆみ子は尼崎で自宅アパートの前のラブホテルの清掃員をしていたが、能登でも家で民宿をすることになった。

・日本海は何故か、太平洋側と比べ暗く寂しい雰囲気がある。能登が舞台になったことで、演歌の世界観が感じられる。

・ゆみ子の母が工事現場で働いていた風景は、まさに美輪明宏のヨイトマケの唄の世界。トロッコを押す母親が男性に尻を蹴とばされていたのは、今のパワハラ、セクハラが許されない社会とは隔世の感がある。しかし、昔の尼崎らしいエピソード。




読書会初参加で、同じテーブルで話していた人が、Xで、「感想を言い合えるってこんなに楽しいんだと思った。ネットでレビューを読むだけでは味わえない楽しさがあった」と書いているのを見つけ、
「やっぱそうだよね!」と同意しました。