先日は埼玉県熊谷市の貸棚本屋「太原堂」で開催された、ガルシア・マルケス著「百年の孤独」の読書会に参加させていただきました。
ノーベル賞受賞作家の、57年前に書かれた、南米の架空の町「マコンド」を舞台にした、ブエンディア一族の百年超に渡る盛衰を描いた大河小説です。
「文庫化されたら世界が滅びる」と言われた名著で、何故、そう言われていたかを推察すると、同じ名前の登場人物が多数出てきたり、意味不明の超常現象が全編にわたって出てきたりして、難読な本として知られているので、皆、「(死ぬまでに)いつかは読みたい」と思われている本が、文庫化されて誰もが手に取りやすくなると、「死ぬ前に読みたい本を、皆、読んでしまった」から転じて、「世界が滅びる」になってしまったんだと思います。
そんなわけで、自分も少々構えて、ネットで手に入れたブエンディア家の家系図(文庫にも簡略な家系図は付いていますが、もう少し詳しいやつ)を見ながら読み始めました。
家系図を見ながら読んだせいか、先祖と同じ名前の子孫が出てきても全く混乱することがなく、すらすらと読み進めることが出来ました。
でも、先に家系図を見ているので、誰と誰が結婚するとか、誰と誰の間に子供が出来るというのがあらかじめ全て分かってしまい、そこは失敗でした。
これから読まれる方で、より物語を楽しみたい方は、家系図を見ないで読まれることをお勧めします。
それで、読書会ですが、その日は午前中に妻をショートステイに預けてから行ったんですが、そこで手間取ったり、高速道路で事故渋滞に巻き込まれたりで、昼の部一時間遅れで到着しました。
読書会は十数人の方が参加されていて、すごく盛況でした。
太原堂読書会は、読了していなくても参加OKの緩い会なので、読了された方は4人のみのようでした。
自分が来る前にどんな話が出たか分からなくて、しばらく聞いていましたが、物語の内容自体の話は全く出なくて、ちょっとがっかりでした。
自分はすごく面白く読めたので、ストーリーや登場人物一人一人の話を、ページを一枚一枚めくるように話し合いたかったんですが、皆、物語自体には興味がないの?といった感じでした。
太原堂読書会は、未読OKの緩いところが好きではありますが、読了した人がどんどん語って、読んでない人は聞き専でいてもらうくらいの感じが、未読の人にとってもその本に興味があってきたんだろうから楽しめるのではないかと感じました。
僕は、大勢の話の場では、自分が口を出すタイミングが分からない人なので、しばらく聞いていましたが、このままでは、「百年の孤独」自体を語ることなく読書会が終わってしまうと思い、差し出がましく口を出し始めました。
【以下ネタバレあり】
「レベーカはともかくアマランタは、なんであれほど恋焦がれていたピエトロ・クリスピを振ったのか!」とか、
「母であるウルスラが後年、アマランタやレベーカについて(心の中で)語った想いの真意とは」とか、
「5年続いた雨の中、入り嫁のフェルナンダ・デル=カルピオが、じめじめした屋敷の中で際限なく愚痴を言い続け、旦那としては本当に気が狂いそうになるだろうけど、彼女の身の上を考えれば、その愚痴の内容も共感できる。しかし、彼女の子供たちに対する仕打ちは、今でいうと本当に毒親だ」とか、
参加者は女性が多かったので、特に女性が興味が持ちそうなエピソードについて少し話しました。
僕が話すと、読了らしい方が少し乗ってきたので、やっぱり読了の人はそういう話をしたかったんだと思いました。
大佐の話や、ろくでなしのブエンディア家の男どもの話、ビラル・テルネラ、ペトラ・コテス、2種類のジプシーや数々の奇跡、メルキアデスとは何者という話などは時間もなく、出来ませんでした。
でも、題名にもついている「孤独」についてだけは、僭越ながら語らせてもういました。
物語は、三人称、つまり作者が、物語世界をすべて見通せる神の目を持って語っているわけですが、ところどころ、物語の未来の風景をまるで幻視のように読者に見せてくれます。
主にその幻視の場面において、登場人物の心情が作者によって語られるとき、
『初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思い出したにちがいない』(新潮文庫版P9)
というように、作者は登場人物の心情を、ところどころで『ちがいない』と、推察するような書き方をしています。
なぜ、作者は創造物である登場人物の心情を、『思い出した』と、言い切って書かないのか?
それは、神さえも人の心のうちを知ることが出来ないという、人の絶対的な孤独を、そこで表しているからだと思います。
ブエンディア家の男たちが、皆、どこか寂しげな瞳をしているのも、その絶対的な孤独を宿命のように背負っているからだと理解出来ます。
あと、アマランタが晩年、悲惨な境遇で暮らしている年老いたレベーカを想うとき、
『憎悪や愛からではなく孤独から生まれた、はかりしれない憐憫によって、レベーカを悲惨な泥沼から救えたに違いなかった』(新潮文庫版P426)
と後悔する場面があります。
所詮はみんな孤独なんだからという、はかりしれない憐憫、更にいうなら諦念のみが、最後に人を救うのかもしれません。
ラストで、全てはメルキアデスの羊皮紙とともに、塵に帰ってしまいます。
所詮は全て塵に帰ってしまう宿命を持った、一族の物語
そこで読者は初めて、この物語全体の底に流れていた、無常観の理由を知ることになります。
読書会は夕方の部もあり、夕方の部は7人参加で、5名読了でした。
夕方の部では、昼の部よりは内容について話せたかなと思います。
