ずっと疑問だったことがあります。

それは、
「わたしはなぜ、みんなのように母から自立
 できないのだろう。」
ということ。

「大好きな母と『一卵性親子』というように
 仲がよいのは嬉しいけれど、
 もうとっくに卒業していなくてはおかしい
 はず…。」
ずっと思ってきたことでした。


先日の溶連菌さわぎを経て、
遅ればせながら、やっとやっと
腑に落ちました。

「結婚して家族をもって、
 わたしが一緒にやって行くのは
 夫なのだ。」
と。

本当に、
四十後半(晩婚の高齢出産です★)にもなって何言ってるの!?
ですが、
これまで覚悟が決まっていなかったのです。

「夫は本当には会話もできないし、
 共感もしてくれない。
 とても二人ではやっていけない。」
と感じて考えて、
手伝いに来てくれている母に都合よく依存し、
優しい夫であるのをよいことに、なぁなぁにして逃げていました。

それが、溶連菌さわぎで状態も最悪ななか、
夫婦で協力して乗り越えたことを振り返ってみて、
「これが本来の夫婦の形
 なんだ!」
と、強く強く感じたのでした。


母の名誉のために記しますが、
ずっと、
「あなたたちは会話が足りない!
 わたしを間に挟まないで、夫婦で
 協力しなさい!」
と言われてきていたのです。




甘えも多分にあったと思いますが、
わたしは母を大切にしたかったのです。

早くに父を亡くした可哀想な母を、
ずっと我慢我慢の人生だった可哀想な母を、
いちばん大切な存在の座から引き下ろすなんてできない。
わたしが自立して離れてしまったら、母が可哀想。
そんなふうに思っていたように思います。

人のことを勝手に「可哀想」って思うこと、
大嫌いです。
でも、大切な母に対して、大嫌いなことをずっとしていたのだなぁ…。




一方で、
わたしはナリ心理学の読者でもありますが、
わたしをこう育てたのは、母です。

自らの美徳とする我慢をする代わりに、小さな頃から、特に父が早くに亡くなってからは、いろいろなことの愚痴をわたしに言い続けてきた。

主な愚痴の対象である、祖父や祖母と闘う姿は見せてくれなかった。

心配性で、わたしのことを先に先に決めたり、片付けてきた。

これらのことは、
子どもであるわたしに影響を与えてきました。

そう思うと、
自分も子育てすることが怖くなりますが、
事実です。

これらの連鎖は、わたしの代で止めます。





これまでは、
わたしの中にはずっと母がいて、いつも
「母はどう思うだろう」
と気にしてきました。

でも、これからは
「わたしがどうしたいか」
で物事を決めます。

そして、家庭のことは
夫と二人で話し合ってやっていきます。


遅ればせながら、
わたしもやっと自立したオトナへのスタートが切れる
そんな気がしていますニコニコ