(前から続く)
ヨーロッパと同じユーラシア大陸の東側にあった中国は、ヨーロッパ並みの航海と植民地化に、なぜ手を出さなかったか?
に関しても、「地理」が要因であると、説明できるそうです。 とまで書きましたね。
アメリカ大陸に何らかアクセスするのに、大西洋を横断するのと、太平洋を横断するのでは、後者の方が大変だったから・・・
一理あるかもしれませんが、そういう事情ではないようです。
中国に関しては、ユーラシア大陸内部に位置しているという地理的事情から、技術革新が進んでおり、
外洋に出るという政策では、ヨーロッパよりも実行力の面では進んでいたそうです。
そのはず、中国は 前日記「世界観!! その3」の■① に書いたとおり、食糧生産を世界で最も早くスタートさせた地域で、数千年レベルで、ヨーロッパ地域よりも先技術革新は進んでいたそうです。
ヨーロッパ側の方も何とか追いついた理由もあります。
中国とほぼ同時期に食糧生産を始めたメソポタミア文明が出た地域、今でいうと、イスラエルからインドあたりまでの南西アジアの地域でしょうかね?
ここの一帯は、今でこそ、もう砂漠化してしまっていて、食糧生産なんていうイメージはありませんが、その原因は森林の伐採しすぎ。
人類が死んだ土地にしてしまったようです。
なので、ペルシアとか、アレキサンダー大王の国家で有名だった国家は、勃興・滅亡を繰り返しているうちに、徐々に西の方に移動し、結局ヨーロッパ地域が中心になった歴史になっています。
ヨーロッパが死んだ土地にならなかった理由は? 降雨量が多いために、植物の再生能力があったからだそうです。
同じく中国が砂漠にならなかった理由は? ヨーロッパと同様、乾燥していない地域が多かったからだそうです。
まだ中国の方が有利に見えますね。実際、技術革新は世界のどこよりも中国は進んでいたそうなのです。
コロンブスの「アメリカ発見」の数十年前までは。
当時、中国は、数百隻の大型船を数回、アフリカ東岸まで遠征していたそうです。
そのまま、行けば、バスコ・ダ・ガマのアフリカ遠征と逆のルートで、アフリカ最南端を経由して、ヨーロッパに達してた可能性もあります。
織田信長が暗殺されていなかったら・・・と似た想像力で、その後の歴史と現世界の姿をイマジネーションしてくださいませ。
実際は、そうならず、コロンブスの「アメリカ発見」の数十年前・・・中国では、1433年のアフリカ遠征を最後に、外洋航海が禁止され、造船所も解体されました。
なぜ?
中国国内で政権交代が発生したからだそうです。
おそらく新政権の政策では、外洋航海よりも国内で発生した問題解決を優先したかった?
一方、ヨーロッパは中国に遅れながらも、コロンブスが外洋航海の資金援助の君主への申し入れに必死でしたが、Yesと答えてくれたのは、5人目の君主。
ここで、中国とヨーロッパの、極端な違いが出ていますね。
かたや統一国家、かたや不統一で国バラバラ。
つまり
かたや、一人の君主の命で全体が一方向だけに進んでしまう。
かたや、意見も行動もバラバラで、誰かが、誰もが進まなかった方向に進んでみる。
これが、ヨーロッパと違って、中国が大航海時代に登場しなかった理由のようです。
「地理」はどこで出てくる?
中国の地域が一国家に統一できていることや、民族と言語の種類も少ない理由と、
ヨーロッパはいまだかつて、ナポレオンですらも国家が統一されたことがなく、言語の種類も多いことの理由で登場します。
中国とヨーロッパの地理上の違い・・・
中国は比較的、のっぺりとした地形で、海岸線もなだらか。平定が比較的楽な地形だったのではと。
一方、ヨーロッパの場合は、地中海、イベリア半島、バルカン半島、ブリテン島、アイルランド島、アルプス山脈とか、中国と比べれば起伏の多さと、海岸線の複雑さで、相当な数の国家と言語が出て当然の地形だそうです。
多いときには、1000近くの国家があったらしいですから。
単一国家の場合は、その君主単独の決断で全体が動きますが、複数国家の場合は、考え方が君主によってバラバラであるがゆえに、自然と多様性のある動きができ、あらゆる選択肢を並行して実行してみることができ、成功・失敗の実績を互いに見て把握することができる・・・
まるで生物遺伝学上の生き残り術に・・・似てません?
ヨーロッパが大航海時代に入り、政治的権力ゲットの先手に出れたのは、土地が後押しした「自然の流れ」に近いものだったということです。
感慨深いのは、人類がどう行動しようが、歴史に影響を与えているのは「自然」と「地」というカードだというところが凄い気がして仕方ないのですが、みなさんどう感じていらっしゃいます?
逆に歴史を動かしたものは他にあるでしょうか?
日本は、どうだったのでしょうね?
(続く・・・しつこい?)