先日、たまたまテレビで「池上彰のニュースそうだったのか」を視聴しましたが、
「お盆」についての特集が組まれていました。
その番組内で、20代~30代の若者を対象にした
「お盆にお墓参りをしたことがありますか?」のアンケート調査で「したことが無い」との回答が半数を超えていたのが驚きでした。
私と同世代の磯野貴理子さんも同様に驚いていたのが印象的😅でしたが、
私が子供の頃は「お盆=お墓参り」が当たり前で、
家族で墓参をして、迎え火、送り火をしたり、仏前にたくさんの提灯を灯すものでした。
そのようなイベントを通して子ども心ながら、ご先祖様への思いを馳せることができました。
ところが、地域性にもよると思いますが、
お盆は、ただ休む日、遊びに行く日としか捉えていない若者が増えているのは確かなようです。
その背景には、現代は忙しくて帰省できなかったり、
墓じまいと言ってお墓を持たない選択もあるなど、時代の流れや価値観の変容などの様々な要因が考えられます。
また、スピリチュアル界にも「先祖供養は不要だ」とする論理も見られるようです。
しかし、最大の理由は「別に先祖供養をしてもしなくても生活には何の問題も支障も無いから・・」との
半ば諦念的な考え方ではないのかな?と思います。
確かに、お仏壇も無く、お墓参りに行かない人でも普通に生活していますし、
むしろ何も信仰心など持っていない人の方が、人並み以上の良い生活やそれ以上の運の良い人生を歩んでいる例はごまんとあります。
この問題の解答は、その人の倫理観や宗教観に委ねるしかないのですが、スピリチュアルの視点で視ると、
やはりご先祖の供養はしっかり行った方が吉です。
人間の「陰徳」については、以前、私のブログで「本当の陰徳は、家系上のご先祖が神霊への崇敬等を積み重ね、善業を積んだ徳」と述べましたが、
先ほどの運の良い人たちは、これを知らずに食いつぶしている状態に視えます。
奢ることなく、感謝の気持ちを持って、
さらにご先祖への供養心を持たないと、いずれ人生運も家運も傾くことになります。
仮に、その人自身の人生が最後まで運良く過ごせても、
死後にその分を償わなければならないし、子孫にも悪影響を与えることでしょう。「絶家」と言って、完全に子孫が根絶やしになる場合もあります。
最近の世の中を見ると、絶家になったご家庭が非常に増えて来た感がします。
また、若い頃は勢い盛んだったのに、晩年は不幸に見舞われ失意に沈んでいる人も多くなったような気がします。
特にこれからの時代を担う若い人たちには、
人生を支えている根本は何か?をしっかりと考えなおす機会を持って欲しいと思います。