スピリチュアルに興味関心のある方は、

「霊道(れいどう)」という言葉を良く聞くと思います。

 

 「霊能力が開花すること」と「霊の通り道」の二つの意味がありますが、今回のタイトルは後者の方です。

 

 「あなたの家には霊道が通っているから霊の障りが多い」など、霊能者の忠告の一つに使われるようですが、ホントにそんなものがあるのでしょうか?

 

 霊は、気体のようにフワフワしていたり、

電気信号のような一瞬の移動をするように思われていて、「道」なんか必要ないのでは??と思うのですが、

結論を言うと「霊道」は確かにあります。

 

 私は、この霊道は、幽体や霊体が、

「この世の物(物質)」の間を移動をする際に使用される特定のレールのようなものと感じます。

 

※ この世の物(物質)は、不変では無く、肉体も含め、全て変化して滅して行く儚いものなので、神霊世界に対比して低い存在と思っていましたが、

スピリチュアル世界を長く探求して行くと、そうでは無く、神霊世界と深いかかわりを持ち、それらを繋ぐ重要な存在だと気づかされます。

 

 

 

 

 私たちの日常生活での「道路」は基本的に点と点を接合する線のようなものですが、

同じように霊的存在にとっても点から点へ移動する際の導(しるべ)として利用されるもののようです。

 

 霊道については、スピリチュアリストによって

解釈がまちまちで、「霊界の道がこの世に反映されたもの説」も見受けられますが、

それだと、次元が違うので、実際はこの世の私たちの生活にはほとんど影響が無いはずです。

 

 霊道が通っている場所には、色々な霊現象も見られることから、この世の物質世界とリンクしているわけです。

 ちなみに、私は今の居宅に移り住んで生活を始めたばかりの頃、夜中に寝床に横になり目を瞑ると、

私の身体の上を、第二次世界大戦の頃の日本兵の列が行進する様を何度か霊視したことがありました。

 身長が30cmほどのミニチュアサイズに視える兵隊数十人が一列になって歩んでいく霊視です。

 軍服の様子から南方に遠征した日本兵のようです。

 

 

 

 

 すぐに「霊道」と分かりましたが、良く調べてみると、

居宅の西側、約1キロメートルの地点に「忠霊塔」が建っていて、さらに居宅の東側数キロメートルの地点にも別の

「忠霊塔」が有り、この二つの忠霊塔を直線で真っすぐ結ぶ線上に私の居宅があると分かりました。

 完全に英霊の通り道になっていて、

これは霊道が点と点を結ぶ線のようなものだと良くわかる参考例の一つです。

 こういう場合はどうすれば良いか?と言うと、

私たちには霊道は簡単に変えようが無いので、この霊の移動に停滞、詰まりを生じさせないようにするしかありません。

 

 恐れるあまり、お札などを置いたり、貼ったりするのはかえって逆効果です。

 もし、なんらかの霊道があると分かった場合は、

お住いの家屋の四隅をお塩で清めて、風呂場や洗面所、

台所、トイレ等の水に関する場所を良く掃除して、お塩やお米、お酒で清めれば良いです。

 

 忠霊塔に関わる英霊の御霊は、戦場で、残酷な殺戮に加担したとは言え、不可抗力です。祖国のために戦い、父母、兄弟、家族を思い、亡くなった方々なので、障りや祟ることはありません。

 過度なお札やお守りを置くことは、逆に霊的な停滞や詰まりを引き起こすものです。

 私の場合は、その後、霊視現象は見られなくなりました。  

 とは言え、特にお盆が近くなると、今でも居宅を通るようですが、何の霊障も無く、私は全く気にしていません。

 

 

 次に、少し話を変えますが、警戒すべき霊道もあるので、その見分け方を紹介します。

 まず、ご自宅を中心に半径約500mの範囲に「墓地」「寺院跡」「神社仏閣」「水場(用水路、貯水池、池など)」「河川」がないか?を確認します。

 

 それら建造物、史跡と「水場」「河川」を直線で結びます(用水路や河川のように流れを伴い、長く伸びるものは、

墓地や寺院跡、神社仏閣などの建造物から

伸ばした直線が、その河川、用水路域に、ほぼ直角に当たるように線で結びます)。

 

 その「建造物や史跡」と「水場、河川」の線上に、

自宅が建っていれば、霊道の通り道に当たっている可能性が大です。

 このように、水場に関する直線上は「霊道」になりやすいと感じます。

 もし、該当するようでしたら、何も霊障が無くても、

先ほどのように家屋の四隅と「水に関する場所」を清めてください。

 そして、常に、玄関の掃除や整理整頓をして、

お部屋の換気を良くして、家内を清潔に保つことです。

 これだけで、かなり違ってきます。

 

 霊道は、複数伸びているものなので、どこの地域や場所にも必ず存在するものです。

 いたずらに恐れる必要はありません。