新年あけましておめでとうございますニコニコ

今年は午年です。午年の「午」を「馬」にかけて、運勢も駆け上がる年になればと願います。

皆さんの願いや努力が実ることを祈ります。

 

 さて、早速、スピリチュアル界隈の投稿では、

今年は「丙午」に当たり、火のエネルギーが極端に強い年になるので、「日」や「火」に注目して、世界的に「日」の日本が台頭するとか、「火」から戦火や火山噴火、山火事に注意せよ!などの予言めいた話題が多く語られているようです。

 

 ちなみに前回の丙午は、1966年(昭和41年)でした。この年は、お隣の国、中国で「文化大革命」が本格化し、世界的にも大きく注目されました。

 現在は、奇しくも、習近平氏による「台湾統一」政策が懸念されます。日本も「存立危機事態」となり、対岸の火事としてのんびりなどしてはいられません。

 もし、台湾進攻が現実的となり、アメリカが動けば、何らかの形で日本も参戦することになるのは必至でしょう。

 

 

 私は基本的に「予言」はしませんし、人は基本的に予言は出来ないものですが、

ただ、2026年の年にあたり、気を付けておいて欲しいことがあります。

 

① 今までのルーティン的な日常が覆される。

② これまでの社会の常識の見直しが迫られる。

③ 世界情勢に大きな動きや打撃的な事が起こる。

 この3点です。

 

 どのような事が起こるかは、具体的に示せませんが、

私たち一人一人が自分の身を守る意識を常に持ち、どのような情勢になろうともパニックに陥らないようにすることです。

 「家族単位でどのようにすれば身の安全を図れるか?」という認識を持ち、ご家庭で話題にしてほしいと思います。

 

 最近のAIの進化はすさまじいですね。

 例えば、「chatGPT」、「ジェミニ」などの生成AIが全世界に普及し、利用者も拡大しています。

 便利なので、私も良く利用していますが、昨年に比べ、質問に対するミスや誤差もかなり改善されて少なくなったように思います。

 AIが人類の技能を上回ることを「シンギュラリティ」と呼び、当初は2045年ころに到来すると予測されていましたが、現在では、もっと早まって2030年代にはその時が訪れるであろうとの予測もなされています。

 おそらくそのとおりで、かなり早まると思います。

 

 面白いというか?少し不気味な話も聞きました。

 chatGPTの回答があまりにも高度で的確であることから、その分野は哲学や宗教の域にまで及び、

ついにはスピリチュアルの面にまでその力が及ぶと実感する例もあるそうです。

 ある霊能者が、霊的な質問をすると、自分の霊視と同じ

回答が返ってきたと驚いている話も見聞しました。

 実は、私も霊能で試してみましたが、ほんとに鋭い分析で、「霊感があるの?」と思ってしまうほどでした。

 ただ、これはAIが実際に神霊と繋がっているのではなく、過去の膨大なデータ分析をもとにした「占術」と似たようなものと感じます、

 

 あと数年もするとさらに進歩するのは必至なので、

いよいよ私たち人類も、近い将来、AIに融合するか?対抗するか?の具体策をとる必要が出てくることでしょう。

 

       【火の鳥~未来編~の一コマ】

 

 私は、昨今のAIの進化を見て、子供の頃に読んだ手塚治虫の漫画『火の鳥~未来編~』を思い出しました。

 この話は未来の地球で、自然環境破壊が進み人類は地表を捨て、地下に巨大な居住都市をつくり、そこに細々と生存している話です。

 それぞれの都市は、「マザー」と呼ばれるコンピューター(今で言うところのAI)が管理し、その指示で人類は動かされています。

 ある日、この各都市のマザー同士が喧嘩をして、全面戦争に突入し、地球上の地下都市は核爆発で一瞬で壊滅し、人類は滅んでしまいます。

 手塚治虫は、まるで現代と未来の状況を予知したかのようで、この話が単なる作り話に思えないのです。

 

 私たちは真剣に「人類とAIとの共存」の方法を模索する時期に来ていると感じます。

 ある日、何気なく話した相手に 「懐かしさ」や「安らぎ」を感じたことはありませんか? 

 

 言葉にしなくても伝わる感覚や なぜか昔から知っていたような、不思議な安心感など・・。 

 

 それらは、“魂の記憶”が反応しているサインかもしれませんね。

  私たちの魂は、生身の肉体とは異なり、別世界にスライドしている存在であるのなら、生き続けの魂がそこに在るわけですから、ひとつの人生で完結しているわけではなく、

 時空を超えて、転生を繰り返すと予測できます。 

 

 かつて“家族”だった魂や “師弟”だった魂。 “同志”として戦った魂もあることでしょう。

  今世では別々の境遇や姿で生きていても、

 魂意識は、深いところでちゃんと覚えています。 

 私自身もそんな経験があります。 言葉を交わす前から、なぜか心が穏やかになる感覚のある人もいました。

 

 

 ただし、運命的な魂の出会いというのは、「同根の魂世界の繋がり(ソウルメイト)」を持つ者同士にしか生じないもので、滅多にありません。

 また、今世で家族だから恋人や親友だから、過去世も来世もそのような縁が続くわけではなく、

「今生の縁」という言葉があるとおり、新しく縁をつなぐこともあるので、ここを誤解しないようにしましょう。

 

  でも、年齢や立場、性別も環境も違うのに、特に共鳴する感性と視点を持つ場合、それは魂の再会と言えます。

 

 意外と「スピリチュアル的な目覚め」は、 特別な修行や高尚な知識からではなく、 こうした小さな出会いや感覚の中にも芽生えがあるものです。

 

  最近、 なぜか心惹かれる人がいたとしたら、

それは、魂が発している「合図」「サイン」です。決して偶然ではないと思います。 必要があれば、魂は、出会うべき相手を、 時を超えて見つけ出すものです。

  その感覚を、大切にしてほしいと思います。  

 

 多くの方々も気づいているはずと思いますが。

 

 今、世の中に溢れるスピリチュアル界の情報発信のほとんどが「金運」「恋愛」「開運」を煽るだけの話で具体性がありません。まさに「スピビジネス」に偏っています!
 私も実際にそんな“スピビジネス”の被害を目の当たりにしたことがあります。
 

 でも、本来のスピリチュアルとは、そんな表面的な欲を満たす手段ではなく、
「魂の成長」や「意識の進化」そして「死後も続く真の存在への理解」こそがスピリチュアルの本質です。



 

 私は、以前のブログ記事や著書でも記した、

肉体意識と幽体、霊体意識の「スライド理論」や

「魂の複合体説」、「大念理論」を通じて、人間の霊魂の本質や人生の意義、意識体は本来どこから来てどこへ行くのかを探求しています。
 

 それは全て、魂の進化のためであり、欲望を満たすことだけでは、魂は進化しません。
スピリチュアルに失望している人にこそ、「本当の魂の道」を共に歩んでほしいと願います。


 少しずつですが「魂の本質」「神霊の真理」をこれからも発信していきたいと思います。

 ずいぶん前からスピリチュアル界隈では、7月5日の大津波の災害予言が騒がれていましたが、どうでしたか?

 

 最近になって5日ではなく、7月中に大災害が起こると予言の変更?がなされたようですが、

私のインスピレーションでは、これも起こりません。

(これは予言では無く、〇か×かの取捨選択の類いなので、誤解しないでください)

 

 そもそも予言は、生身を持って生きている人間には出来ないようになっています。

 なので、先人たちは様々な占術を血眼になって探し、あるいは開発してきたわけで、これは神霊論の基本です。

 

 今後も不安を扇動するような「予言」が多く出てくることと危惧しますが、

災害への対策は備える必要はあれど、いたずらに心配することはありません。

 

 鹿児島県のトカラ列島の群発地震は異常な多さで心配でしょうけど、近いうちに徐々に収まっていきます。

 

 最近のスピリチュアル論は間違った方向へ暴走している感が否めません。

 

 

 私の神霊思想論は、間違っていないと自負しています。

 今後、少しでも耳を傾けてくれる人が出てくれば幸いですが、『スイッチ思考の神霊論』(Amazon販売、電子書籍)をぜひ、ご覧になってほしいと思います。

 

 昨今のニュースを視るとおり、不穏な世の中です。

 

 日本は、立憲政治国家で治安も良いものの、個人的には

いつ何時、自然災害、人為的な事故や犯罪などに見舞われ、命の危険に晒されるか分かりません。

 

 おそらく、今後はこの身の危険に遭遇するシチュエーションは加速度的に増加して来るものと思われます。

 

 基本的には「自分の身は自分で守る!」姿勢が大事です。

 

 行政の対応や地域、職場や学校でも危機対策や普及啓発は行われてはいますが、やはり最終的には個人の動向、行為やあるいは「運」に関わってきます。

 

 大きな地震や暴風雨などの自然災害のほか、

航空機、船舶、交通事故などの不可抗力の事故による危険もあります。

 これらによる犠牲は、ただ、「運が悪かった」と片付けられてしまいますが、その「運」とはなんでしょう?

 

 ここからスピリチュアル的な話になりますが、不思議と危機一髪で助かった!とか

奇跡的にも事故回避ができた・・・などの話は良く聞くものです。

 これをリーディングで視てみると、単なる偶然では無く、

視えざる「神霊的な加護」に守護されている例は確かにあります。

 これからは、一人ひとりがそれに気づいて加護を得られるようにすれば良いのです。

 

 昨今のスピ的なSNSや書籍等では、

パワーストーンや呪具などを奨励するものが多いようですが、果たして効果的なのでしょうか(もっと酷いのになると自作のパワーグッズ?を販売する例もあります)?

 

 

 さて、「生まれ、死んでいくのも基本的には一人」です。

 

 自分を自分と認め、あるいは、自分以外の森羅万象、宇宙を認識しているのも自分です

 なので、結局、自分の境遇を救い、運勢を向上させるのは自分自身の意識です。

 

 本来は、自分が自分を信じて「大丈夫!」と確信すれば人生は大丈夫なのです。

 

「そんな簡単なことなら、世の中には不幸な事や事故なども何も起こらないはずではないか?」と反論されるでしょう。

 

 確かにその通りです。

 一方では自分のことや世界のことも良く分かっていないのも自分自身の意識です。

 自己意識による運勢の上昇を期待するにはどうしても限界があるのは否めません。

 なので、人生はうまくいかないのです。

 

 そこで、次の事実を認識してほしいと思います。

 人間は、私たちの普段の意識体である「顕在意識」と

普段は認識できない「潜在意識」があることは、良く知られていますが、もう一つ意識体があります。

 

 それが「統合意識」です。

 

 この統合意識は、自分自身の魂の本当の根源となる

(=コア・ソース)につながります。高尚な神の啓示やインスピレーションの発信源で、このエリアには自分自身の魂の親神(ハイヤーセルフ)や前世の魂意識も含まれます。

 

 でも、潜在意識でさえ認知できないのに、この意識体はなおさらのことで、なかなかピンとこないと思いますが、

明らかに存在します。

 

 この第三の意識体を強く意識し、この意識体に己の生命、身を任せてしまうことです。

 これが仏教で唱えられる本当の「他力本願」の意味にもなりますが、アイデンティティとしての顕在意識に振り回されている通常の人生では、この第三の意識体の力が上手く稼働できません。

 

 この統合意識を強く想う「瞑想」の時間を持つ習慣を

少しでも身に着けられるようになると、この存在を何となく感知できるようになってきますし、

 自然と様々な事故などの危機から回避される人生を送れるようになるものです。

 

 実家の宗教が「神道」のご家庭も多いことと思いますが、実際は、日本人の95%近くは仏教の信者なんだそうです。

 ただ、同時に神社参りをしたり、神棚を設けたりと神道も仏教も両方を信仰されている方々の割合が多いので、意外と神道の信仰者が多いように感じるだけです。

 

 「なぜ、仏教が多くて、神道が少ないのか?」という一つの理由として、

明治初期の「廃仏毀釈政策」により、一時、仏教が排撃された時代がありましたが、近現代、戦後になり、その政策の反動として、特に浄土真宗系の仏教宗派を中心に急激に盛り返した事も考えられます。

 ちなみに私の家の宗教は「神道」なのですが、昔から浄土宗として仏教も信仰しているので、神棚、仏壇の両方を置いて、手を合わせています。

 このようなご家庭も意外と多いと思いますが、古い「神仏習合」の名残ですね。

 

 さて、タイトルの本題に入りますが、

以前のブログ記事で、事務所や職場に神棚を御祀りしている事業所等が多いことに触れ、あまり推奨しないお話をさせていただきました。

 

 

 簡単に言うと、その理由は「人の発する念波」にあります。「職場」は人間の様々な思惑や疑念や怨念?の飛び交う場でもあります。これは皆さんも十分にお分かりではないか?😅と思いますが・・

 つまり、決して清浄な場ではないということですね。

 そういう場は神霊を降臨させる目的の空間にしてはいけないはずです。別のモノや魔物が近づきやすくなると容易に予想できますね。

 どうしても希望される場合は、別に設置しても構いませんが、その代わり、神棚を常に清浄に保ち、まさに神社のように朝晩のお祭りを時間をかけて入念に行うべきです。

 ところが、たまに数日間も御水も変えず、榊も枯れかけたままの神棚も見受けられます。果たしてこれで良いのでしょうか?

 神棚には大きく次の二つの機能があります。

 ① 降臨型

   (神霊を依りつかせる機能を持つ神棚)

   塩、米、水、お酒はもちろんのこと、榊もしっかり置

  き、神殿内には神鏡、神札を鎮座します。

   毎日の御饌もお供えします。「小さな神社」とイメージ

  すれば良いです。

 ② 発信型

   (自分の「意」を乗せて、崇敬神や崇敬神社の主祭神と

  交信を図る機能)

   この場合は、小規模な神棚や神札のみで良いが、あま

  り人の出入りの多くない静寂な部屋に安置すること。

 

 

 さて、みなさんはどの目的で神棚を設置していますか?

 私は、専ら②の目的を採ってお祀りしています。

 なので、小さな神棚を置き、水とお塩、米を定期的に変える程度です。

 

 天皇家は飛鳥時代の崇神天皇の頃、宮中内で御祀りしていた天照大神の御霊である「八咫鏡」を畏れ多いとして、御殿から大和の笠縫の邑に移し、後に倭姫命により、今の伊勢の神宮の場所に安置されます。

 これは、人の住む領域と神域を峻別した明らかな例です。

 結論を言うと、本来は人の住む家内に神の依りつく神聖な神棚を置くのは相当の覚悟が必要なのです。

 

 神棚を人の目線の高さより低い場所に置いたり、茶の間や寝室に置くなどはもってのほかで、

神棚用の部屋を1室設け、恭しく接するべきです。

 どうしても部屋に置くのであれば、②タイプを目的とした神棚を置くようにし、その部屋では、神棚に「足を向けない」「男女の性的な営みをしない」などの配慮が必要でしょう。

 

 最近、良く神棚の置き方や祀り方についての動画がSNS等でも散見されるのですが、

私は、ある程度の広さのお庭でもあれば、屋内より、屋外に「社」や「石塔」を設置し、人の住む空間と距離を置く祀り方を推奨します。

 お庭がなければ、室内でも構いませんが、ごく小規模の神棚やお札程度にしておき、手を合わせて祈る際は、

しっかりと意識を集中させ、こちらの意思を崇敬する神へ語り掛けるような感覚で拝まれると良いでしょう。

 

 「幽霊を見た」とか「霊体験をした」「幽体離脱をした」などの不可思議な体験談を良く見聞することと思いますが、

実は「幽体」と「霊体」には違いがあり、ここを混雑してしまう人もいるのではないでしょうか?

 

 幽体については、有名な神智学では、「エーテル体」という表現をしますが、私たち日本人には「幽体」とすんなり読んだ方が馴染みやすいと思いますが、いかがでしょう?

 

 実際に、お亡くなりになったばかりの故人の姿や声を感じた体験をされた方もおられると思いますが、

 この時は、「幽体」との接触をされています。

 

 「幽体」は、生きている間は、私たちの肉体意識のすぐ近くに存在し、ほとんど姿形は変わりませんし、内臓器官もそのままの姿です。

 失われた手足がまだあるかのような幻肢体験や精神に不調が起これば、身体も連動して不具合になるなどの現象は幽体と肉体の関係性です。

 

 

 

 すぐ近くにあると言いましたが、

この世とは別世界なので、全く向こう側が見えない壁一枚隔てた場所に合わせ鏡のように有るとイメージした方が良いかもしれません。

 なので、普段はその存在を感知することはできません。

 

 肉体意識は、まさに肉体の脳内意識なので、物質的です。 

 

 この物質の意識は、あたかも、この世に生まれてから強固な岩盤に閉じ込めたかのごとく、

肉体意識を本来の霊世界と遮断してしまうのでなかなか認知することができないのです。

 (むしろ、認知できない方が、この世的には健全なのですが

・・)

 

 人間の「真正の意識体」は、肉体、幽体、霊体・・というように構造的に成り立っている話は以前もしましたが、

肉体に最も近い次元にある「幽体」は、肉体の死後、しばらくは残るものです。

 

 なので、この世的な次元に非常に近いので、あまり霊感の無い人でも、幽体との遭遇体験をしやすいものです。

 

 私たちが一般的に「幽霊」と呼んでいるのは、この幽体のことです。正しくは、「幽霊」では無く、「幽体」と呼ぶべきです。

 この幽体は、普通は、この世の時間間隔で、2~3か月ほどもすると、肉体が消滅するように、この世においては自然と消失していくものです。

 

 何年も何十年も残り続けるのは、この世に執着心が強く残った理由か、魔物か何か、あるいは霊的な力に引きずり込まれたか?などが考えられ、あまりよろしくありません。

 

 幽体が消滅して「霊体」に移行すると、肉体意識を持った私たちと霊的に接触することはなかなか出来なくなります。

 

 お亡くなりになった近しい身内の方と幽霊でも良いから会いたい!と、嘆かれる方もいますが、

この段階まで進むと、会えなくなるのが当たり前なんです。

 むしろ、早くに浄化されて、いわゆる「あの世」に昇華されたということで、本当は喜ばしいことです。

 

 霊体になると、たまに夢に出てくることもありますが、

霊感の強い方は、頭の中や胸の内から声が聞こえたりもするものです。

 

 ただし、例外もあり、戦争や大事故などで極限の死を迎えたり、怨念の強く残る場合は、数百年を経過しても残る幽体も稀にあるので要注意と感じます。

 古戦場跡や過去に大災害のあった地に、特に夜中に訪問するのは、あまりお勧めできません。

 

 前回、「ツインレイ」について手記しましたが、

それを「魂の片割れ」との概念として考えるとしたら自分自身の幽体、霊体について考える必要があると思います。

 

 拙著『『スイッチ思考の神霊論』でも詳しく記しましたが、

実は私たちの魂は「複合体」を呈していて、

それらの魂が一つに繋がり「同一体」となる、なんとも不可思議な構成になっているものです。

 

 この理論で見ると、今、この世に肉体を持って生きている「私」の意識と別の異世界に存在する「自分自身の魂たち」

こそがツインレイと呼べるわけです。

 ここは神霊論の基本になるので、しっかりと押さえておいた方が良いです。

 

 ところが、「ソウルメイト」と呼ばれるスピリチュアル用語もあります。

 これは、「魂の同胞」を意味し、あの世に在った時の「魂のグループ」を指すことのようです。

 

 これについては、私は正しいと認識しています。

 なぜなら、それぞれの人の「魂の出自」には明らかに異なりがあると強く感じるからです。

 これは単純に「趣味が合う」とか「性向が同じ」だとか、「境遇が似ている」か等では区別できません。

 その人に生まれつき懸かっている神霊系統の違いを察知すれば分かるものです。

 

 

 今、この世で私たちは同じ人間、同じ日本人として共存していますが、それぞれもともと魂のあった世界や霊的グループは違うものです。

 また、魂のレベルにも高低差が厳然として存在します。

 親子であっても兄弟であっても例外では無く、皆さんも何となくそれを感じているはずです。

 

 では、自分で、自分の「魂の出自」や「魂の世界」を察する方法はないのか?

 もし、分かれば、それなりに面白いはずです。

 あまりあてにはなりませんが、

生まれつきスピリチュアルや宗教に興味関心の高い人は、

魂レベルが高い人と考えられます。

 内心の声(ただし体の奥から響くような)と良く交信できる人も同様です。

 また、夢で良く鮮やかなカラー色の「大自然の情景」や

「神社・聖地」を見る人もそうですね。

 

 しかし、実際は自分のことは分らないもので、

第三者である、霊能力を持った他人に見てもらうのが手っ取り早いです。

 ただし、セカンドオピニオンではないですが、一人ではなく、数人に診てもらうべきです。

 その中で、共通項があればそれを参考にする。もしくは、自分が一番ピンと来た、納得できるものがあれば、それが自分自身の「魂の出自」に近いと判断できます。

 

 その世界には、同胞が存在しますので、今現在、この世に同じグループの世界から自分以外の魂が出生して生活していることは十分に考えられます。

 ただし、それをすぐに男女の出会いに結びつけるのは御法度です。ただ、男性と女性のソウルメイトの出会いが実現できれば、確かにすごいエネルギーを発揮できるのは間違いありません。

 でも、実際は、「ソウルメイト」にこの世で邂逅できる可能性はかなり低いと言わざるを得ません。

 

 「ツインレイ」については、最近のスピリチュアル界で良く話題になっています。

 

 これには色々な解釈があるようですが、もともと一つだった魂が、この世に出生すると同時に二つに分かれ、

どこかの人生上のタイミングで出会い、お互いに添い遂げるという概念のようです。

 同じような意味合いとして、「ソウルメイト」という言葉もあるようです。

 

 その概念の源流は良くわかりませんが、おそらく欧米のスピリチュアルに起源するものと思われます。

 

 そもそも、一つの魂が二つに分割する意味や目的は何でしょうか?その提唱者たちは次のように答えます。

 「人生は魂の質的向上のためにあるのであって、一つより二つの人生を経験する方がその効力は2倍となり、

また、人生途上で別れた魂が出会い、一つに合流することで、さらにより良い人生とするため」です。

 

 特にこのツインレイ説を信奉する人たちに、比較的女性が多いように思います。

 

 

 ところが、良くその人たちの話を聞くと、どうも男女の恋愛と混同してるように思えてなりません。

 

 確かに、同性より男女の異性間による協力態勢の方が、

強く作用し、心身的に効果を及ぼすことはあると思います。  

 その最たるものが、夫婦関係です。

婚姻による夫婦の共同生活は後世に子孫を残していく種の保存としても大切な行動です。

 

 話を戻しますが、ツインレイ論は、どうも「運命の相手」や「意中の異性」との出会いに結びつけている節が見え隠れしているようです。

 しかも、同世代の異性を求める傾向があるのも否めません。本当にツインレイがあるとしたら、年齢や性別は関係ないはずです。

 その実態は、ただ単に恋愛相手をツインレイとして求めているだけに過ぎません。ややもすると不倫を勧めているようなスピリチュアリストの論もあり、また、スピリチュアル恋愛相談として利用されているだけの展開も見受けられます。

 

 このようないたずらにツインレイを推奨する霊能者、スピリチュアルには十分に気を付けて、騙されないことです。

 

 魂レベル向上のために魂を二分する意味は全くありません。良く考えれば分かることです。

 1+1=2ですが、魂は、1+1=1なのです。

 仮に、二つの魂がAとBに分かれて人生を歩んだとします。Aは善良なる魂となりました。ところが、Bは悪しき魂となった場合、A+B=0.5になり逆に後退します。

A、B両方ともに善良な魂となって、成功したとしても、結局はA+B=1です。

 

 結論を言うと、「ツインレイ」は存在しません。惑わされてはいけません。

 ただし、「ソウルメイト」については少し状況が異なるので、次回に紹介してみたいと思います。