がんによる手術を受けてから1年が経ちました。
手術の痕は、うっすら赤い筋が残っている程度。定期的にフォローアップに通い、今のところ転移やもう片方の発症もなく、普通に過ごしています。
仕事も今まで通りできるし、日常節活もがんになる前と同じ。
でも、がんの告知を受ける前と後とで全く見える、感じる世界は変わりました。
高校の教科書で読んだ志賀直哉の「城の崎にて」の一節、「生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかった」の意味が自分なりに分かる気がします。(高校の当時はさっぱり分かりませんでした…)
ちょっと長くなりますが、今までブログに書かなかった(書けなかった)当時の気持ちを振り返ってみようと思います。
ステージⅠなら5年生存率95%、仮に転移したとしてもセミノーマなら化学療法が効くので治療可能。ただし進行が早いので早期の治療が必要。
告知を受けてから自分で医療系のサイトをいくつも調べました。だいたい同じことが書いてあります。
頭では分かった。 しかし、怖い。
潰瘍性大腸炎もEGPAも難病の宣告はそれなりにへこみましたが、幸い軽症で寛解導入もできたので自分の場合、命まで考えることはありませんでした。
今回は違う。治療をしなければ命に関わる。
最初に妻とひろ君のことを思いました。それから実家の両親や弟のこと。なんて言おうか。自分が死んだらどうなるだろうか。
たばこも吸わないしそんなに齢でもないのに、なぜ自分が?(これは多くのがん患者が最初に思うことらしい。)
同病の人のブログが途中で更新が止まっていたりすると不安になる。(だから今は読まないことにしている。)
テレビで著名人ががんで亡くなったニュースが流れるとチャンネルを変える。
スーパーで家族連れが楽しそうに買い物をしていると、もう自分にはあんな未来はないのかもしれないと思ってしまう。
取り乱すことは無かったけど、一人だけ奈落の底に落ちた気分でした。
退院した後、職場の上司は傷が痛むだろうから無理しなくていいと言ってくれたけど、実は仕事で忙しくしている方が気が紛れて楽でした。
告知、手術から1か月後に病理検査の結果が出るまでそんな感じでした。
それから不安は波のように大きくなったり小さくなったりしながら、3か月間隔のフォローアップを受け、徐々に和らいでいきました。
いや厳密に言うと、不安が和らいだというよりは、不安と共生できるようになったということでしょうか。
今も僕の身体の中にはがん細胞がくすぶっている、と思っています。
手術から2年間ぐらいは転移や再発(もう片方に発症)のリスクが高い、と言われているからというのももちろんですが、
いかに「猛獣」を身体の中でこのまま眠らせておくか。
そのためには、身体の声に耳を傾け、ストレスに耐えてまで無理して頑張るという働き方、生き方を改めるということが要ると思うようになりました。
そう思わせてくれたのは、不安から逃れようと読み漁ったがんにまつわる何冊かの本との出会いでした。
あまりに長くなりそうなので、本のことはまた別の機会に書こうと思います。