　「Financial Times」は2024年8月12日、「欧州ガストレーダーはロシアの度重なる攻撃の後、ウクライナのガス貯蔵施設を避けている」と題する記事を掲載した（*1）。

　我らがShotaro Tani記者の記事である。

　要は、膨大な余剰のあるウクライナの地下ガス在庫施設を、2023年には多用した欧州ガストレーダーたちが2024年はほとんど利用していない、というのだ。

　ちなみにEU全体のガス在庫能力は、最大であるドイツの26.18bcmを含め、119.8bcmである一方、ウクライナの能力は32.12bcmである。

　（1bcm=10憶立米、LNG換算で73.5万トン相当）

　トレーダーたちがウクライナ在庫施設を今年は活用していない理由の一つとして「FT」記事は、この春からロシア軍が地下ガス在庫施設を狙った攻撃を繰り返していることを挙げている。

　在庫施設そのものは地下深くにあるので無事なのだが、貯蔵するときや利用するために排出するときに使用するポンプなど地上施設が攻撃されるリスクがあるからだとしているのだ。

　筆者はそれよりも、もう一つの理由として挙げている価格の問題だと判断している。

　つまり、2023年には存在した「勝利の方程式」が2024年は見出せないからなのだろう。

　「勝利の方程式」とは何か？

　それは、このようにすれば必ず儲かるというビジネスモデルである。筆者はこれを「コンタンゴ・オペレーション」と呼んでいる。

　「勝利の方程式」を利用できるためには、市場がコンタンゴ、すなわち目先が安くて将来価格の方が圧倒的に高い状態、つまり先高になっていることが必要だ。

　分かりやすい例として、筆者が拙著『日本軍はなぜ満洲大油田を発見できなかったのか』（文春新書、2016年）で記載した、三井物産の子会社「アルカデイア・ペトロリウム」が1990年代末、南アフリカ（南ア）の遊休タンクを利用して行ったコンタンゴ・オペレーションの実例を紹介しておこう（ご興味のある方は、同書「第7章持たざる者はもたざるなりに」の初めの項「持たざる南アの自己防衛策」P-236参照）。

　1990年代末、油価は落ち込み、大手国際石油も生き残り策を模索していた。

　たとえば筆者が付き合っていた「BP」では、ジョン・ブラウンCEOが200人ほどの幹部社員に対し「10ドル時代に何をなすべきか」の異見具申を求めていた。

　だが、市場は10ドルの油価が未来永劫続くとは見ておらず、目先はひどく落ち込んでいるが半年あるいは1年先の先物相場は十分に高い水準にあった。

　その時代に「アルカデイア」のトレーダーたちは、筆者が後に「コンタンゴ・オペレーション」と呼ぶ「勝利の方程式」を見つけ出してきた。

　南アは1948年から長い間、白人至上主義、アパルトヘイト政策を採用していた。人種差別政策である。

　これは国際社会が認めるところではなく、南アは国連からも経済制裁を受けていた。

　その一つが石油禁輸である。

　南アには石炭がある。

　だから石油禁輸そのものが即、エネルギー危機になるわけではない。

　だが、石油がなければガソリンや軽油などの輸送燃料が製造できない。

　そこで南アは、持たざる国のエネルギー安全保障策として、石炭から石油を製造する「石炭液化」模索と、密輸した原油を長期間保管して置くための膨大な原油タンク群を建造して対応していた。

　筆者が原油取引に従事していた1980年代、サウジアラビア等アラブ諸国の原油契約には「アラブボイコットクローズ」（イスラエルには売ってはいけない）と共に、国連決議に基づき南アには売ってはいけないという条項が含まれていた。

具体液には、最近LNG取引で有名になった「仕向け地条項」だ。

　すなわち

「Destination Free except for Israel and South Africa」

（仕向け地は、イスラエルと南アが以外はどこでも可）

という条項が入っていたのである。

　だが「蛇の道は蛇」、某オイルトレーダーがこっそりとイラン原油をイスラエルと南アに供給していた。

詳細は省くが昨今、有名になった「背取り」の手法を用いてだ。

　かくて国連による経済制裁を受けていた時代も、南アは石油に困ることはなかったのである。

　だが1994年、初の黒人大統領ネルソン・マンデラが誕生し、南アはアパルトヘイト政策を放棄、国連も制裁を解除していった。

　すると膨大な原油タンクは不要になった。遊休化したのである。

　賢い「アルカデイア」のトレーダーたちが目を付けたのがこの遊休化した膨大な原油タンクだった。

　彼らは、膨大な量の原油現物を買い込み、南アのタンクに長期間保存した。

　同時に、半年か1年先の先物を同量、売っておいた。

　半年か1年経って、市場が正常化してきたとき、現物を販売し、同時に売っておいた先物を買い戻したのだ。

　すると、かならず儲かる、という「勝利の方程式」が機能したのである。

　コストは、タンクの保管料と、半年か1年間、保管する期間にかかる金利である。

　現物を購入した時の油価と、半年か1年先の先物価格の値差が保管料と金利を加えたものより大きければ、必ず儲かるのである。

　NYMEX史上初のマイナス価格が出現した2020年春も大幅なコンタンゴだった。

　あの時に陸上タンクを押さえ、洋上備蓄用にタンカーを確保したオイルトレーダーが膨大な利益を享受したのは間違いがない。

　実は同時期、BPやシェルのトレード部門も巨額の利益を出している。その一部がコンタンゴ・オペレーションであることは論を待たないだろう。

　トレード部門を持っていなかったエクソンが切歯扼腕し、トレード部門創設を検討していたのも業界では常識である（だが、依然として設立できていないようだが）。

　これと同じことが2023年、筆者が予測していたように、ウクライナのガス地下施設を利用して行われたのだ。

　目先の安いガスを購入してウクライナの地下在庫施設に保管し、同時に冬場の先物を売っておく。

　そして冬場が到来した時に在庫施設から取り出し、マーケットで売却する。同時に先物を買い戻したのだ。

　かくて「勝利の方程式」通りにこれらのトレーダーは利益を享受したのだろう。

　ところが2024年は、コンタンゴの値差がさほど広がらなかった。タンク保管料と金利を加えたコストを十分に上回るほどに広がらなかったのだ。だからガストレーダーはウクライナの地下ガス施設を2023年ほどは活用しなかった。

　「FT」記事も、夏冬価格さが昨年は20ユーロ/MWｈ（約＄6.83/mmbtu）ほどあったが今年は5ユーロ（＄1.71/mmbtu）しかない、したがってガスの搬入も2023年6月は102.7mcm（百万立米）、7月は586.6mcmだったが、2024年6月は15.4mcm、7月は57.9mcmと、10分の１程度に留まっている、と報じている。

　ことは利に敏いトレーダーたちが動かなかった、ということなのだ。

　時が巡り、ふたたびコンタンゴ状態が出現すれば、いつでもどの市場でも、トレーダーたちは飛びついて行くであろう。

*1　European gas traders shun Ukraine storage after Russian attacks

岩瀬昇のエネルギーブログ #950 欧州ガストレーダー「勝利の方程式」見出せず