(カバー写真は「NHK News」2024年6月22日 『天皇皇后両陛下 イギリスへ出発 国賓として公式訪問』と題する記事掲載のものです)

 

 1983年、35歳の3人の子持ち商社マンのびパパは、ロンドンをベースに新規ビジネス開拓のためにヨーロッパを飛び回っていた。

 23歳の青年プリンスがオックスフォード大学で「テムズ川の水運史」を研究されていたころである。

 

 当時、サラリーマンの近代五種は酒、煙草、麻雀、カラオケにゴルフだと言われていた。のびパパは、すべてに初心者だった。初心者だが、必要とあれば前向きに取り組むしかない。それがサラリーマンに必要な所作だからだ。

 

 当時のロンドン支店長は昭和型商社マンの典型のような方だった。

 瀟洒な住宅街ハムステッドに構えていた社宅三井ハウスは、まさに「会社」のための「住宅」、毎夜のようにお客様をお招きして接待されていた。

 お客様の中にカラオケが好きな方がおられれば、夕食の後カラオケ大会になるのは必定だった。

 支店長が化学品部門の出身だったため、化学品関係のお客様が多かったようだ。エネルギー部門ののびパパが支店長ホストの三井ハウスでの接待に同席するのは四半期に一度くらいだった。

 それでもカラオケのマイクは回ってくる。

 歌の不出来は語りでカバーするしかないのでのびパパは、必ず次のように前振りをしていた。

 

 ♪浩宮殿下が三井ハウスで歌ったという「氷雨」を歌わせていただきます♪

 

 事の真意は定かではない。

 だが、日本人会会長として当時の支店長が、浩宮殿下を三井ハウスでご接待することはおおいにありそうなことだ。

 ある時カラオケで「氷雨」を歌っていたのびパパに、支店長が「それは浩宮殿下の持ち歌だぞ」と声をかけて来たのだった。

 それ以降、前述したセリフがのびパパの定番前振りとなったのだ。

 

 ♪飲ませてください もう少し

  今夜は帰らない帰りたくない

  誰が待つと言うの あの部屋で

  そうよ誰もいないは 今では♪

 

 確か、殿下は当時、柏原芳恵のファンを公言されていたが、彼女の歌は歌わなかったのだろうか。