昨日(2024年6月20日)の最高気温が26.6℃。

 今日は何と15℃。

 明日はまた27℃になるとか。

 

 やはり軽井沢は「山」なんだなぁ。

 

 かくて笹塚では考えられないほどの厚着をして、NHK総合TVが本日19時半から放映した「首都圏情報ネタドリ! 共学化論争」を視聴した。我が母校「浦和高校」が取り上げられているからだ。

 

 浦高共学化問題については「のびパパ軽井沢日記『#125 我が母校・浦和高校も共学化?』」(2023年12月14日、*1)で一度取り上げている。

 そして終わりに次のように記した。

 

いわく、太平洋戦争後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は日本の脱軍国化、民主化を大命題として占領統治を行った。そのテーマの一つが男女平等である。そのためにはまず教育だ、としてすべての分野において男女平等政策を導入した。高校教育然りである。

 「ところが」とここでエロジーはいつもゴホンと咳を一つした。

 マッカーサーは考えた。日本が長い間実行してきた男女別学なるものにも利点があるのかもしれない。ついては、首都東京は無理だが、お隣の埼玉県では実験的に残してみよう。

 かくて埼玉県では、戦前から存在していた旧制中学および高等女学校をすべて別学にしてみた。

 「だから浦和、川越、熊谷や春日部などには男子校(元旧制中学)と女子高(元旧制高女)が併存しているのだ。その後に設立された新制高校はすべて共学であるにも関わらず、だ。」

 神奈川県は男女共学の基本線を維持した。だから湘南は共学なのだ。おまえたち、マッカーサーを恨め、というわけだ。

 

 はてさて長い間、信じ込んでいるこの「エロジー」の御宣託、本当の話なのかな?

 真意のほどは分からない。

 NHKには解明してほしかったなぁ。〉

 

 浦和高校が男子校である所以の一つとして、当番組では「GHQ」の共学化推進方針があったと紹介されていた。

 やはり「エロジー」のご宣託は正しかったのだ。

 NHKは解明してくれていた。 

 

 かくて長い間の疑問が一つ解けた。

 

 番組は、男女別学の是非のみならずジェンダーギャップの問題だとか、日本のあるべき教育の在り方など、スコープを広げて議論していた。

 そして肝心の埼玉県立高校の別学共学問題については、県教育委員会が8月末までには方針を示す、と。

 

 番組を見終えてのびパパは、1982年末、初めて家族帯同の海外勤務をしたときのことを思い出していた。そう、1回目のロンドン勤務である。

 この時に感じたカルチャーショックは強烈だった。

 

 抽象的に言えば、わが日本人は「個」が確立していない、ということである。

 つまり我々の思考方法、行動様式は、「個」ではなく「グループの一員」としてのものだ、ということだ。

 ここでいうグループは多岐にわたる。

 所属する企業や団体もあるし、家族もある、地域コミュニティもグループの一つだ。

 我々は、何か行動するときにはたえず「グループの一員」であることを意識している。

 

 さて、のびパパの最初のカルチャーショックは、分かりやすいエピソードなので次のように紹介しておこう。

 

 三井物産ロンドン支店としては新領域の原油ビジネス開拓を任務として増員着任したのびパパのために、上司は関係先とのランチをいくつか設営してくれた。

 その最初のビジネスランチが大英帝国の石油会社「BP」とのものだった。

 

 上司が予約してくれたレストランは、ウエストエンドにあったローストビーフの老舗「バロン・オブ・ビーフ」(もう、無いのだろうな)。

 

 赴く前に、上司とともに同行してくれるT先輩からアドバイスがあった。

 

 「日本と違って、“上司と同じものを”では通らない。ロンドンでは一人一人が個別に注文する必要がある。だから、うん、そうだな、アペタイザーはスモークサーモン、メインはローストビーフを注文するように」と。

 

 レストランで待っていると、まもなくBP組がやってきた。こちらが3人、相手も3人である。

我々はバーカウンターでお出迎えをし、そのまま食前酒をたしなみながら自己紹介かたがた立ち話をした。

 一段落すると、ウエイターに案内されテーブルに移動した。

 ウエイターはBP組のオーダーを取り終わって、こちらに回ってきた。上司、先輩に続いてのびパパの番だ。ドキドキしていたので、上司、先輩が何をオーダーしたのかはまったく聞き取れなかった。

 ウエイターが回って来たのでのびパパは、胸を張って「アペタイザーはスモークサーモン、メインはローストビーフ」と頼んだ。

 ほッ。

 やっかいな「個別の注文」を終え、のびパパは安堵していた。

 

 ところがである。ウエイター君はまだ隣に立っている。そして「How do you like it?」とか聞いてくる。

 何だ、それは。聞いていないぞ。

 おどおどしていると、先輩が隣で「メディアムと言え!」と言っている。

 そうか、焼き方か。

 「(エヘン)メディアム」と応えた。

 やったね。

 

 ところが、である。ウエイター君は許してくれなかった。まだ隣に立っていて「野菜はどうする?」と聞いてくる。

ようし、質問には質問だ。

 「何がある?」と聞いた。

 「ポテトに・・・」

 「オッケー、ポテトプリーズ」

 これでいいだろう。終わった(と思った)。

 だが、ウエイター君はまだそばにいる

 「ポテトは何がよろしいですか?」

 ムムム。

 「・・・何がある?」

 「マッシュドポテトにベイクドポテト、あるいはチップス・・・」

 「オッケー、最後のモノでいい(チップスがフライドポテトとは知らなかった)」

 ほッとため息が出た。

 だが、だがウエイター君はまだ許してくれない。

 「他にキャロット、スピナッチ、キャベジなどがありますが・・・」

 「オッケー、それも頂戴・・・」

 

 このようなウエイター君との長期にわたる戦いの結果、山盛りゆですぎ野菜とチップス(フライドポテト)の下にローストビーフが隠れているディッシュが到着したのだった。

 今風に言えば、まったくバエない一皿だった。

 

 これが最初のカルチャーショックである。

 

 以降、いくつものカルチャーショックを経験して、かの地では「個」がすべての出発点であることを身をもって学んだのだった。

 

 あなたは個人として何が好きなのか?

 いつも自分の立ち位置を確認しておく必要があるのだった。

 

 最初のカルチャーショックを乗り越えたのびパパは、その後は非日本人顧客との会食に行く前は、必ずレストランのメニューを事前に確認しておき、ウエイターが来たら即、オーダー、That’s itである。

 二度とウエイター君との長い戦いは起こらなかった。

 

 あなたは何を食べたいのかを突き詰めれば、あなたは何者で、何が好きで、将来どのような人物になりたいのか、どのような生活がしたいのか。支持政党はどこで、信じている宗教は何か。生活信条は? ・・・

 これらを絶えず確認しておく必要があるのだ。

 よく分からないとか、他の人と同じいい、では通らないのである。

 言う、言わないはTPO次第だけどね。

 

 健全な民主主義のスタートは、実はこのように一人一人の「個」が確立していることそのものなのである。

 

 放送を見ていて、もう一つ気になったことがある。

 番組では、共学化推進の理由の一つとして「定型化された概念の撤廃」との理念を挙げていた。

 だから税金を基に運営している公立校はすべて共学にするのが望ましいのだ、と。

 

 だが、この理念が重要なことは、私立校も同じではないのだろうか。

 私立高だからと言って、不問に付していいのか。

 私立校の生徒からは「定型化された概念を撤廃」しなくていいのか。

 なぜなら私立校にも助成金の形で巨額の税金が投入されているのだから、あるべき高校教育としては同列に置くべきだと思うが如何なものだろうか。

 

 この他にも考えるべきことはたくさんある。

 だがのびパパには、残念ながら8月末の埼玉県教育委員会の結論は読めている。

 共学化推進である。

 なぜなら、彼らもまた「男女共学いいこと」という「定型化された概念」に囚われているからである。

 

 やれやれ。

 

*1 のびパパ軽井沢日記(笹塚編)#125 我が母校・浦和高校も共学化? | のびパパ軽井沢日記 (ameblo.jp)