故あって、京都の銭湯に行った。

 住宅街のど真ん中にある○○湯である。

 

 携帯で検索した地図を頼りに人も車もめったに通らない道を歩いていくと、遠くに人群れが見える。あそこが○○湯なのだろう。

 すると横道から、一台の自転車が表通りに飛び出てきた。老年の男性が一人、右に左によれながら乗っている。前のワイヤーバスケットにはお風呂用備品が積まれているようだ。自転車が○○湯の前にたどり着いた丁度そのとき、人群れが揺れて崩れた。○○湯が開店したのだ。

 のびパパたちが着いたとき、人々は大半、暖簾をくぐって脱衣場に入っていた。

 

 のびパパが最後に銭湯に行ったのはいつのことだったろう。

 成人してからの記憶はない。

 おそらく少年時代以来なのだろう。

 なぜなら銭湯といって思い出すのは、履物を下駄箱にしまうとき「3」番の松竹錠札確保に夢中になっていたことだ。そう、長嶋の背番号である。

 ときおりのびパパより早く来る少年がいて「3」番の下駄箱を使えないこともあった。その時は、仕方がないので「1」番に入れた。

 

 ミスタージャイアンツが現役だったのは、1958(昭和33)年から1974(昭和49)年までだ。のびパパ10歳から26歳のころである。

 在学中8本塁打という、当時の東京六大学記録を引っ提げて読売ジャイアンツ巨人軍に入団した長嶋だったが、デビュー戦となった昭和33年4月5日の開幕戦で、国鉄スワローズのエース金田に4打席連続空振り三振に切って取られたのだった。あれは衝撃的だったなぁ。

 

 

 ○○湯では「3」番を探すこともなく、入って目の前にあった下駄箱の番号を見ると「28」 番だった。なぜか「ブタは避けねば」と一つ上の「27」番、「カブ」の下駄箱に履物を入れた。

 不思議だな。

 「おいちょかぶ」なんて名前を知っているだけで遊んだことのない賭け事だが、「二八のブタ」と「二七のカブ」には反応するんだ!

 

 番台にはおかみさんが座っていた。

 Cママが千円札を出してお釣りをもらっていたので、のびパパも千円札で払った。お釣りは510円だった。大人料金は490円ということだ。

「だいたい30分後ね」と言ってCママが暖簾をくぐっていく。

 

 脱衣場に入ると、思ったより狭い。

 記憶にある銭湯の脱衣場を半分にしたくらいだ。

 これも京都サイズか、と思いながら、空いている鍵付き脱衣ロッカーの前に立つ。

 着衣を脱ぎながら見回すと、ドリンクの自動販売機が目に入った。

 銭湯と言ったらコーヒー牛乳だな、と思い近づいてチェックしたが、残念ながらコーヒー牛乳はない。フツーの牛乳もない。街頭の自動販売機と同じラインアップだ。

 残念。

 

 浴室も奥に細長い構造だ。

 左側にいくつか浴槽があり、真ん中の島カランと右側の壁際カランの前が洗い場になっている。風呂桶と風呂椅子がそれぞれのカランの前に並べられている。

 浴槽は、打たせ湯、足湯、ジェット風呂、電気風呂、薬湯に分かれている。だが、どの浴槽も小さめだった。

 

 

 入らなかったがサウナ室もあり、水風呂も用意されている。

 これで490円は安い。

 

 まず、ジェット風呂に入り、身体を四方からマッサージする。いい気持ちだ。

 100を数えてから出て、カランの前に座った。

 だが、故あって来ているので石鹸もシャンプーも、何もない。

 仕方なく、お湯と水の蛇口を交互に押し、比較的低温の適温になるのを待って身体にかける。

 数回、ぬるま湯をかけたあと、再び浴槽に向かう。

 今度は薬湯だ。

 いいね。

 今度も100数えて出た。

 再びカランの前で、今度は水の蛇口だけを押し、身体にかける。それでも身体が火照っている。

 

 しばらく休んでから、今度は足湯に入る。

 深い。

 足の裏と腿、ひざ下に吹き出てくるお湯があたる。一種のジェット湯だ。

 50数えて出て、続けて打たせ湯に。

 だが、30も数えられなかった。

 

 さあ、どうする。

 まだ15分くらいしか経っていない。

 いつもなら頭髪を洗い、身体を洗うのだが、今日ばかりは洗えない。

 やることがない。

 

 

 仕方ないので上がることにした。

 脱衣室でコーヒー牛乳の代わりのモノを呑んで、ゆっくりしよう。

 時間をつぶそう。

 

 かくてのびパパは、自動販売機のラインアップの中で一番高い白桃オレに手を出した。

 火照って身体にピーチの甘さが染み込んでいく。

 いいね。

 

 まだ、25分しか経っていない。

 仕方ないので外に出た。

 番台の前にあるベンチに腰を掛け、携帯でニュースをチェックすることにした。

 するとおかみさんが「今日は早いですね」と声をかけてくる。

 誰か常連さんと見間違えているようだ。

 「ええ、まあ」とか答えになっていない返事をすると、イントネーションで「余所者」と分かったようだ。オバちゃんも下を向いて、携帯でニュースをチェックし始めた(のかどうかは分からないが、それ以上はのびパパに構ってくることはなかった)。

 

 10分ほどして「お待たせ」と言って、Cママが出てきた。

 サウナも入ってみたそうだ。

 だから時間がつぶれたのだ。

 だがCママも「余所者だから、身を小さくして入っていた」という。

 

 のびパパも、地元の皆さんの邪魔をしてはいけないので、なるべく皆さんの方を見ないようにしていた。でも、お一人、右の上腕部に彫り物のある方がおられたなぁ。左にもあったのだろうか。

 

 表に出ようとして「27番」から靴を取り出すとき、念のためと思って見ると「17番」の札が無かった。

 脱衣所と浴室にいた地元民の中で「17番」に手を出したのは誰だったのだろう?

 少年はおらず、おっさんばかりだったが。

 

 彫り物と「17番」、京都人も東京人と変わることはないんだなぁと、妙な感慨を胸に家路についたのでした。