故あって、地方小都市の図書館に来ている。
WiFiが使えるからだ。
だが係りの方に尋ねたら「充電はできない」という。
学習室の中にコンセントはたくさんあるのだが、なぜかすべて蓋がしてある。使えないようになっている。
そして机の上には「ゲームはご遠慮ください」との張り紙が。
右下には○○図書館とあり、左下には「ご理解とご協力をお願いします」と。
こうしないと子どもたちが電源をつないでゲームをしまくるからだろうか?
ひいてはゲーム依存症となり、人生が狂ってしまうとの親御心からだろうか。
依存症についていろいろ言われているが(*1)、ゲームも息抜きの一つの方法なのだろう。
プレッシャーの多い昨今、息抜きの必要性には異論がない。
だが、子どもに息抜きが必要なのだろうか。
人生を学び始めたばかりの子どもには、森羅万丈、すべてが新たな経験だ。何からでも智恵知識を吸収している。赤ちゃんは泣くことが仕事と言われる所以である。
できればデジタル世界ではなく、現実世界で生きるすべを身に着けてもらいたいとのびパパは思う。
だが、大人になったら遊びは必要だ。
心の余裕が人生をより豊かにする。
人格に幅ができる(と言われている)。
のびパパは遊びが下手だ。
遊びを面白い、楽しいと思うことが少ないのだ。
ワイフに誘われて、友人夫妻とマージャンをしていても、途中で「オレ、何しているんだろう?」と疑問に思ってしまう。
いわゆるゲームというやつには、これまでハマったことがない。
スーパーマリオもポケモンも、たまごっちもどうぶつの森も、やったことすらない。
そういえばワイフは「ヘイ・デイ」とかいう農園ゲームにはまっていて、友人と貸し借りをしたり、無料のトムを使わなければ、などと忙しそうにしているが、あれはあれで楽しいのだろうな。
30年以上も昔の話だが、イギリス人女性を妻としていた日本人上司がある日「昨晩は○○ゲームに打ち興じてしまい、今日は眠くて仕方がない」と言う。のびパパは相槌を打ったものの内心、あきれていた。
アメリカでPCが普及し始め、さまざまなコンピューターゲームが世に出始めたころの話である(と思う、自信はないが)。
そう、のびパパは「コンピューターゲームに夢中になって、翌朝、眠くて仕方がない」というライフスタイルに合点がいかないのだ。
So what? である。
おそらく商社のオイルトレーダーとして、原油を売ったり買ったりして、儲かったり損したりした経験も邪魔をしているのだろう。
商社マンとしてのオイルトレーダーは、儲かっても損しても、ボーナスが少々多くなったり少なくなったりするだけだ。損が続けば「オイルトレードはもう止めて、他のことをしろ」と言われるだけである。
のびパパは幸い(?)少しだけ儲けることができた。
ただ、それだけの話だ。
トレーダー専業であれば、得た利益に応じて巨額のボーナスが貰える。
その昔、ロンドンには「ミリオンダラークラブ」というものがあった。ボーナスを100万ドル以上稼ぐことが入会条件だった。これにはちょっとだけ「いいな」と思った経験がある。
だが、ではオイルトレーダーへの転身を考えたことがあるか、と言えば、まったくない。声をかけられたこともない。
唯一、誘ってくれたのは、物産傘下のオイルトレード会社にいて「ミリオンダラークラブ」のメンバーだった御仁だった。トレーダーより性に合っていると自らブローカー会社を興したスウエーデン人知人が「東京に支店を開きたいが…」と誘ってくれたことがあるだけである。
のびパパも「オレが、オレが」の物産マンだったのだろう、ブローカーには向いていないと断った記憶がある。
同年代で別の商社からブローカーに転じた友人もいたが、彼は「オレが、オレが」ではないので成功していた。
人には向き不向きがあるのだ。
商社マンとしてのオイルトレーダーは、結局「勝ったか、負けたか」の「記録」が残るだけだ。個人的に潤うわけではない。人生が豊かになったと実感することもない。
コンピューターゲームもまた「勝ったか、負けたか」があるのかどうかは知らないが「楽しかった」というだけのことではないのだろうか?
こんなことも考えながら、午前中の作業を終えてランチを取ろうと外に出た。
幹線道路手前にある地元系のとあるファミレスに入った。
駐車場は地元ナンバーの車で満ちていた。
店に入ると「おひとりさまですか?」と問われた。そこで「電源がある席を…」と頼んでてみたが「お貸ししていません」とのことだった。
充電できず、午後の早い時間に図書館本来の役割である、蔵書を借りて読書に励むことになった。
図書館にもファミレスにも、電源がある席がない。
この町が特殊なのだろうか?
あるいは、日本全国共通のことなのだろうか?
誰か、教えて!
*1 やめられない怖い依存症!ゲーム障害はひきこもりの原因にも 治療法について | NHK健康チャンネル