京都は奥深い。
と、のびパパが言うのもおこがましいが、いやはや驚かされることばかりだ。
今日ものびパパが経験したカルチャーギャップについて書き残しておこう。
先日、ワイフとランチを共にした某レストラン(あえて名前は伏せさせていただく)の住所が
〈東山区白川筋知恩院橋上がる西側556〉
だというのだ。
何だ、これは?
これは郵便屋さんの手助けになるというより、訪れる人々の道案内そのものではないか!?
これが京都の常識なのだろうか。
(花咲く前の白川筋)
気になって別のレストランをチェックしてみた。すると
〈東山区東大路三条下る南西海子町431-3〉
となっていた。
むむむ!
では、と散歩していて見かけた由緒正しき和菓子屋さんの本店住所を調べてみたら
〈下京区四条通麩屋町西入立売東町21番地1〉
さらに、先日知人に連れて行ってもらった料理屋さんは
〈中京区新椹木町夷川上る西草堂町193-1〉
すべて長くて詳細だ。しかもみごとにある種の“ルール”に則っている!
のびパパが言うまでもないが、京都の町は唐の都長安(現、西安)をモデルとして作られている。京都が平安京と呼ばれていた時代には、西側(右京)を長安、東側(左京)を洛陽と称したそうだ。
町はあたかも碁盤の目のようになっている。
南北に走る大通りと東西をつなぐ大通りの交差する地点を押さえ、そこから北に向かっているのか(上る)南に下っていのか(下る)、あるいは東に向かっているのか西の方なのか(入る)を示せば、誰にでもその場が把握できる仕組みだ。
このように見てくると紹介したいくつかの住所表記は、やはり有益な“道案内”と呼んでいいのではないだろうか。
と、ここまで考えてきて、のびパパがなお疑問に思うのは、なぜこのような住所表記が定着したのかということだ。
何か深い理由があるのではないだろうか?
また、京都人の思考方法とどのような関係があるのだろうか?
そもそも京都人の思考方法の特色は?
興味深いことばかりだ。
のびパパが2度の駐在を通じて9年を過ごしたロンドンにも興味深い習慣があった。
家の表札がないのだ。
その代わり、家にニックネーム(?)が書かれたネームプレート(?)が掛けられていた。
のびパパ家族が住んだ何軒かの家の中で、特に気に入っていたのが “Tree Tops” というところだった。
ニックネームからも分かるように、大きな木のある一軒家だった。
“Tree Tops” にはいくつもの思い出がある。
横道に逸れるが、少々触れさせていただこう。
最大の思い出は、マイケル・フィッシュというBBC気象予報士が誤報道した1987年10月15日のストーム来襲だった。
前夜のBBCニュース最後の気象予報でマイケル・フィッシャーは、天気図を示しながら「大西洋にいるこのストームは、この後進路をフランス方面に変え、イングランドには来ないでしょう」と報じていたのだ。
のびパパのみならず多くのロンドンっ子が安心して眠りについたのだった。
ところがストームは南イングランドを直撃し、300年ぶりと言われた大被害をもたらした。死者9人。
南イングランドでは多くの木が根元から倒れてしまった。のびパパが見た限りでは、かの地の樹木の根の張り方は浅かった。
ロンドンの南にある“セブンオークス”という町は、ストームでオークスの木が1本倒れてしまったので“シックスオークス”に名前を変えなければならない、というジョークすらささやかれていた。
線路の上にも多くの木が倒れこみ列車は不通、道路も寸断されてしまったため通勤通学が出来ない状態になってしまった。電話もつながらず、誰も“孤立”してしまったのだ。
三井物産ロンドン支店石油ガス課のメンバーは、全員がシティ南東に位置するケント州チズルハースト近辺に住んでいた。4家族全員である。
たまたま当時のびパパがロンドン勤務最長者だったからか、着任したばかりの上司を含め4家族全員が我が家に集まってきた。無事を確認し、情報を交換、はてさて今日はどうしたものかと相談するためだった。
実はこのストームは我が家でも大問題を起こしていた。
“Tree Tops”の広いバックヤードには大人が3人で手を伸ばしても、まだ抱えられないほどの太い木が立っていた。
その大木が根本から倒れてしまい、家を貸してくれていたオーナーが「荷物部屋」としてカギをかけてあった“グラニーズルーム”の屋根を直撃していたのだ。太い枝が窓ガラスをぶち破って家の中に突き刺さっていた。
その“グラニーズルーム”の隣が長女の部屋だった。
危うく長女は怪我をするところだったのだ。
無事で良かった。
話を元に戻そう。
なぜロンドンの家には表札がないのか。
ある時、のびパパは知人のイギリス人に聞いてみた。
すると、いかにもイギリス人らしい返事が返ってきた。
「知らない人は訪ねて来ない。知っている人は表札がなくても訪ねて来られる。初めて来る友人知人には、家についているニックネームを伝えれば間違いなくたどり着ける」
ロンドンには有名な「A to Z」という詳細な地図帳がある。通り名と番号からなる住所さえわかれば、「A to Z」を引くことによって誰でも到達できる仕組みになっている。表札はなくても、家のニックネームが分かればことは足りるのだ。
なるほど。
これぞ「面では付き合わず、点で付き合う」イギリス人である。
おそらく京都の道案内風、詳細かつ長い住所表記にも、京都人には当たり前すぎるのでおそらく考えたこともない、だが如何にも京都人らしい理由があるのでないだろうか?
これはぜひとも知りたいところだ。
一年に何日過ごせるのか不明だが、これからの京都生活が楽しみだなぁ。