故あって始まった「季節のいい時だけ京都暮らし」も1週間が過ぎた。

 

 同じ日本国内だが、ここでもカルチャーショック(ギャップ)がある。

 延べ21年にわたる海外生活の折々にも感じたことだが、このカルチャーギャップは時間の経過とともに間違いなく薄れていく。現地での生活に適応していくからだ。

 おそらく「京都暮らし」もその轍を踏むだろう。ならば印象の強いうちに書き残しておこう。

 

 初っ端に「違和感を覚えないことに違和感を覚えた」と『#141 貴方は”agree to disagree”と言えますか?』(*1)の中で言及した。京都市営地下鉄に乗っていて車内に流れてくるアナウンスがすべて標準語であることについてだ。

 この1週間、あちらこちらに買い物に出かけ、大型店内のアナウンスも標準語であることに気が付いた。

 

 そういえば「ゼスト御池」でランチをしようとしたら、並んでいる4軒のうち3軒が東京でもよく目にするチェーン店だった。

「信州そば そじ坊」(「グルメ杵屋」傘下、全国406店舗の一つ)

「洋麺屋 五右衛門」(渋谷に本店を構え、全国展開中)

「とんかつ 和幸」(全国270店舗)

 

 もう1軒は「洋食と喫茶のお店 FOREST」。

 更なる情報を求めたが、残念ながら「詳しくはホームページをご覧ください」とある。ところがURLsの後には「製作中」と。

 おそらく広報にまで手が回らない地元のレストラン経営者が出店したところなのだろう。

 

 全国が均一化することで便利で安価になるが、何だか面白くない。

 

 かつてボルネオ(現カリマンタン)の米石油会社ベース住宅地を訪問して驚いたことがある。そこはまるでアメリカの地方都市の様だったのだ。

 案内してくれた人の話では、本土と同じ学校やスーパーマーケットを用意しないと社員が駐在勤務してくれないのだとか。

 

 ボルネオと京都。

 本質は同じだ。

 世の中、違いがあるから面白いのではないだろうか(話は飛ぶけど、浦高は男子校のままにしておいて欲しいなぁ!)。

 

 さて、京都暮らしのカルチャーギャップである。

 のびパパの体感はおそらく東京のものだ。したがって、東京暮らしとの対比で感ずるギャップである。ここには価値観の優劣はないので「ショック」ではなく「ギャップ」と呼ぼう。   

 東京と京都では、多くの面で「違う(different)」のだ。京都の方、不快に思わないでね。

 

 まず、交通マナーである。

 横断歩道で信号が変わるのを待っていると、まだ赤信号でも自転車は平気で横断していく。車が来ていないからだ。

歩行者も同じだ。

 だが、自転車の方がより奔放に見える。なぜなら移動速度が歩行者より圧倒的に早いので、歩行者ののびパパたちの目に留まるからだ。また、車が来た場合の対応能力は自転車の方が高い。避けられる、と自転車に乗っている人は思っているのだろう。

 実際、のびパパは「危ない!」と思うことが数度あった。

 

 一緒に行動しているワイフは「京都では、のびパパに自動車運転をさせたくない」という。自転車が「予測」と異なる動き をするので、事故ル可能性が高いからだそうだ。

 東京人ののびパパだって、そのうち京都人になったら運転できるぞ、と心の中では呟いているが、そんな日はきっと来ないだろうな。

 

 次に地下鉄内のマナーである。

 ささやかな観察結果だが、だいたい7人掛けだがおおよそ6人で座っている。車内が混んでいて、立っている乗客がいても同じである。

 車内が空いているときに見ると、座席の背もたれには何がしかのマークが織り込まれている。ここが一人分の席ですよと分かるようになっているのだ。

 これは東京でも同じことだ。

 だが東京では、空いていても人々はそのマークを目印に座っている。ましてや混んできたら譲り合って、設計人数分が座れるように移動している。

 だが、京都ではお構いなしだ。誰も移動しようとしない。

 朝、通学中の中学生、高校生生も同じだった。平気で7人掛けに5人、あるいは6人で座っている。

 また、京都では「弱い人」(老人や妊婦など)に対して席を譲る度合いが少ないような気がする。ま、老人が多いのも一因かもしれないが。

 

 これらの京都人交通マナーを見ていてのびパパは「だって、イタリアだもん!」という子供たちの掛け声を思い出していた。

 

 

 最初のロンドン勤務の時だから、おおよそ40年前のエピソードである。

 夏休みに家族5人でイタリア旅行に出かけた。車を転がして、ドーバーからカレーにフェリーで渡った。カレーからカートレインに乗って一晩を過ごし、翌朝、霧のミラノに降り立った。

 かくて1週間ほどのイタリアドライブ旅行が始まったのである。

 

 そういえばあの時、カートレイン三段ベッドのどこかに、当時一番気に入っていたライトイエローのセーターを置き忘れてしまったなぁ。帰路ふたたびミラノ駅に戻って駅員に聞いたがイタリア語で応えられ、分からないと肩をすくめると「フランス語は?」と聞かれた。恥ずかしそうに英語で「No, I ca’nt」と応えたら、両手を広げられてしまった。「マンマミーアとでも思っていたのだろうか。

 

 イタリアの市内を夜ドライブしていると、ときおり車の影が極端に薄くなることがあった。赤信号で待っていても、目の間を横切る車はいない、前後にも車はいない。

 

 のびパパはかつて、アルジェリアへのビザ手配(通常、丸二日かかるところを2~3時間で済ませてくれる)してくれたローマのエージェント(イタリア人と結婚している日本人婦人)の言葉を思い出していた。

 「イタリア人にとってルールは人間のためにあるもの。私たちが楽しく快適に暮らすことが優先される。だから、時折ルールを無視するのは当然なんです」

 通常、丸二日かかるビザ手続きも、必要があれば(心づけを貰って)短時間で済ますこともできる、というわけだ。

 実際あの時、前日にソナトラック(アルジェリア国営石油)のアポを採り、朝の便でローマ着、迎えてくれたエージェントにパスポートを預け、夕方にビザのハンコが押されたパスポートを受け取ってアルジェへの便に飛び乗ったのだった。

 

 のびパパは赤信号を無視して車を走らせた。周りには車も人もいないから、ここで赤信号を無視しても誰も困らない。のびパパたちにとっては時間の無駄を省ける。

 長女が言った。

 「パパ、赤信号だよ!」 

 のびパパは声高らかに応えた。

 「だって、イタリアだもん!」

 爾来、3人の子供たちは、何かあるたびに声を挙げるのだった。

 「だって、イタリアだもん!」

 

 バンコクに暮らしているときにも感じたが、人は心の欲するままに行動できることが幸せなのだ。

 ルールは本来、人々の生活を豊かに彩るもので、行動を制約するためのものではない。

 

 サンパウロでは、夜の赤信号では車を止めてはいけない、と駐在員から教えられた。いつ何時、強盗に襲われるか分からないからだ。

 赤信号でひっかかったら、周りを注意しながらゆっくりと車を進め、十字路を渡り切ることを優先する。

 確かに夜中、レストランからホテルまで送ってくれたとき、ブラジル人運転手は低速安全運転で赤信号を渡っていた。

 

 まずあるのは、人の暮らし。

 人の暮らしを豊かにするために、すべからくルールは存在している。

 これ、古今東西、ところを選ばず真実なのではないだろうか。

 

 こうして考えると、東京人より京都人の方が格段に豊かなんだなぁ。

 

*1 のびパパ軽井沢日記(京都編)#141 貴方は「agree to disagree」と言えますか? | のびパパ軽井沢日記 (ameblo.jp)