若い仲間たちとやっている金曜懇話会。

 奇数月の第二金曜日が例会で、会員あるいは外部講師の話を聞いて議論をしている。

 偶数月の第二金曜日は呑み会で、のびパパが何かお題を考えて事前に案内し、それについて好き勝手かつ無責任に話合っている。

 

 次の呑み会は

 

 〈花 咲 い て 花 散 つ て 地 震 し き り な る

 

 この句を読んで、心に浮かぶよしなしごとを勝手に語り合いましょう〉

 

と案内してある。

 

 まだ出欠を確認している段階だが、出席できない会員から既にいくつか興味深いコメントが寄せられている。

   一部、  無断で紹介しておこう。

 

阪神淡路は1月17日、東日本は3月11日、能登は1月1日、大地震が発生し、地域の方々、国、自治体、建設関係者は大変な思いをして復旧に励む中、気が付くと桜の季節を迎え、マスコミには復旧風景を向こうに、手前はひっそりと咲く桜を映す、という風景が頭をよぎる。橋や道路などは事前に補強しておけばことが起きてから復旧するより安くなる、とはいうもののどの程度の地震が来るかはわからない世界。歯がゆい気持ちになる。(会員A:大手ゼネコン企業OB)

句を詠んで思うこと。私の短い人生の教訓の一つに安定志向は最も不安定で「不安定な世界に身を置くことがもっとも前向きで安全である」がある。地震も同じで一生のうちに日本のどこかで何度も起きており、そこに私がいないのはたまたま偶然。との思いでいる。(会員B:企業経営者)

 

 このコメントにのびパパは

 

 〈「不安定な世界に身を置くことが最も安全」これは Change is Stable に通じるものがありますね〉

 

とコメントを返した。

 

 すると別の会員C(外資系企業勤務)が

 

 〈私も “Change is the only constant in life” という言葉を思い返していました〉

 

とのメッセージを寄せてくれた。90年代にはWall Streetでバンカーとして活躍されていた上司から、最近になって聞かされたそうだ。

 

 のびパパが紹介したのは約30年前、ニューヨークに勤務していたころアメリカ人ビジネスマンがよく口にしていた言葉だ。  特に若い人に有益なメッセージだと思い、岐阜商業の皆さんにも麻布高校の面々にも昨年、紹介させていただいた。

 会員Cのコメントから判断するに、今でも通用するテーゼなんだなぁと改めて感心している。

 

 4月12日の呑み会で、さらにどんな感想が述べられるのか、今から興味津々である。

 

 ちなみに紹介した句は、のびパパの第一次オイルメン仲間Kの作になるものだ。

 のびパパがロンドンに転勤になる前から仲良くさせてもらっている仕事仲間3人組で、一人はのびパパより先に、もう一人は後からロンドンに勤務した。

 なぜか気が合って、今でも「英油会」と名付けて3人で集まっている。

 

 Kは30代後半から作句を始めたそうだ。そして2010年、40年余務めた会社を退職したことを区切りとして第一句集を上梓した。さらに古希を迎えた2019年、第二句集を発表したのである。

 

 第二句集に収められたこの句が作られた経緯は不詳だが、まちがいなく次の句に連なるものだろう。

 

 〈春 寒 し 夜 ど ほ し 歩 く 地 震 の 街〉

 

 この句には次の詞書(ことばがき)がついている。

 

 〈三月十一日、妻と外出中の東京青山にて地震に遭遇。横浜市の自宅まで徒歩で帰宅〉

 

 2011年3月11日。

 あの日の記憶はいまだに鮮明だ。

 おそらく次の呑み会では、参加者一人一人の3.11が語られるのだろうな。

 

 

 

 

(カバー写真もこれらの写真も、2012年1月14日「NHK」が『あの日わたしは 電信柱に登って3時間』と題して放映した番組のものです。助かった宮古市の石曾根長福さんが喜びとともに語っています。ご興味がある方はぜひ電信柱に登って3時間|災害|NHKアーカイブス