タイ人にはお墓がない!
みなさん、知っていましたか?
同じ仏教徒なのにタイ人には、日本人のように墓参りの習慣はないんです。だって、お墓がないんですから…。
3月10日(日)の午後、若い仲間たちがやっている「そうだ、海外へ行こう(SKI)」という勉強会に参加させてもらい、このことを思い出していました。
すでにお話したように、のびパパは43年間のサラリーマン生活の約半分、21年間を海外で勤務・生活しました。
「SKI」というのは、今からおおよそ10年前、友人を訪ねてバングラデシュに旅行した若者が、海外に出かけることの重要性を痛感して始めた勉強会です。彼は「金曜懇話会」のメンバーでもあります。
その縁でのびパパに依頼があり、2015年3月「高輪区民センター」で「海外に暮らすということとは」と題してお話させてもらいました。
爾来のびパパは「SKI」の例会にはほば毎回参加しています。
35回目となった3月10日の例会では、在福岡の基督者医師・二ノ坂保喜先生から『いのち・在宅・NGO~バングラデシュとの30年の関わりを通じて~』と題するお話をお聞きしました。1時間ほどのご講演の後、1時間強、質疑が行われました。
二ノ坂先生の思想と実践については、二つだけ紹介しておきます。
一つは「地域のかかりつけ医として地域とともに」をモットーに「にのさかクリニック」理事長としての紹介文です(*1)。
そしてもう一つが「NGOバングラデシュと手をつなぐ会」代表としてのご活躍です(*2)。
二ノ坂先生は「国境を越えたかかりつけ医」を目指し、バングラデシュのカラムディ村に30年以上通い続けておられます。現地NGO「ジョルダニ・ションスタ」と手を組んで、草の根からの医療水準の向上に尽力されておられるのです。
3月10日のご講演は「SKI」の性格上、NGO「バングラデシュと手をつなぐ会」の活動に重点を置かれたものでした。
興味深いお話が多々ありましたが、一つだけ次のような質疑を紹介しておきましょう。
二ノ坂先生は緩和ケアをされておられますが、日本とバングラデシュやインドでは、何が同じで、何が違うのか、経験上、どう思われますかという質問だった。つまり、人間はみな同じなのか、それとも国によって違うのか、という質問。
二ノ坂先生は、約30年前、初めてバングラデシュを訪れたとき「ターミナルケア」(終末期医療)という概念がないことに驚れかれたそうです。その後、バングラデシュの生活水準も上がってきているが、医療水準も違いすぎるので比較は困難、宗教の違いも大きいのでは、と応えられていました。
基督者としてイスラム教徒のバングラデシュ人、あるいはヒンズー教徒のインド人と接しておられる二ノ坂先生には、戸惑うことの方が多いのではないでしょうか。
このやり取りを聞いていてのびパパは、冒頭ご紹介した「タイ人にはお墓がない」ということを思い出していました。
かつてイランへの赴任(1996~98年)到着時に、メハラバード空港で経験したとある事件からテヘラン在勤中にペルシャ語を勉強することを断念したのびパパは、今度こそタイ語を勉強するぞと意気込んでドンムアン空港に降り立ちました。2005年9月のことです。
ご存じのようにタイと日本では、2時間の時差があります。バンコクの夕方17時は、東京では19時です。
そこで赴任してすぐ所員全員に、タイ語を勉強したいので毎日17~18時は業務上の予定を一切入れないでほしい、とお願いしました。本社の「偉い人」が電話をかけてくることはありえない時間だからです。家庭教師の先生に会社に来てもらい、部屋にこもって勉強するぞという心づもりでした。
かくて始めたタイ語の勉強は、2009年7月、本社に帰任するまで約4年間、続きました。
もっとも社外の顧客との会議や海外出張、タイ人要人の冠婚葬祭などもあり、勉強できたのは半分以下でしたが、タイ語の読み書きができるようになりました(当時は!)。
それはタイ人の文化、歴史、風俗や社会などを紹介する内容の教科書で、観光地として有名なカンチャナブリについて学んだときのことでした。
その章は「戦場にかける橋」(*3)という映画の舞台になった町の紹介文でした。
隣国ミヤンマー(当時はビルマ)への鉄道を大急ぎで建設しようと日本軍は、現地人のみならず英国人捕虜をも労働者として使役しました。その結果、カンチャナブリで生涯を終えることになった英国人が大勢いました。その墓地が町の郊外にあります。
カンチャナブリの章を一通り勉強し終えたあと先生が、日本人も同じように地面に穴を掘って、骨を埋めているんでしょう、と言うのです。
のびパパはびっくりしました。
地面に穴を掘って、骨を埋める!?
タイ人も日本人と同じ仏教徒なのに、お墓を知らないのかという驚きでした。
当時ののびパパのタイ語力では十分に意思疎通ができませんでしたが、その先生はバンコクから北に車で2時間ほど離れたアントーンという県のとある村落出身のとのことでした。
聞けば、亡くなったお父さんの骨壺は、焼き場から持ち帰って家の中においていたが、いつの間にかどこかに行ってしまった、というのです。つまり、お墓はない、と。
もう少しのびパパのタイ語が上達してから、別の二人の先生に聞いてみました。共にバンコクの出身者です。都会と田舎では違うのでは、と思ったからでした。
だが、お墓がない、というのは同じでした。
ではどうしているのか。二人とも、バンコクを流れるチャオプラヤ川に流す、というのです。それがタイ人の習慣だ、と。
ちなみに「川」はタイ語で「メナム」と言います。「水の母」という意味です。宜なるかな、ですね。
タイでは日本より高い温度でご遺体を焼くようで、骨は残らずすべて灰になっているようです。だから「箸渡し」という、日本では忌み嫌われている箸でつまんだ食物を箸で受け取る動作の意味も、タイでは理解されないのでしょう。
説明したら、キョトンとしていました。
一人の先生の話はさらに興味深いものでした。
父親が先に亡くなって、灰が入った骨壺が家の中に飾ってある。まだ存命中の母親が、自分が死んだ後に父親の灰と混ぜて、一緒にチャオプラヤ川に流してほしいと言うからだそうです。
骨壺が部屋にあっても、特段嫌な感じはしないそうです。むしろ、父親がそばにいる感じがして好ましい、と。
ふむふむ。
タイ人にはお墓がない。
だから墓参りの習慣もない。
死んだあと、子供も孫もお墓に来て故人を偲ぶことはない。
のびパパが生きていたことを、誰も思い出すことはないのか。
なんだかなぁ。
タイ人ではなく日本人と結婚してよかった、と心の底から思いました。
好奇心旺盛なのびパパは、さらにタイ人を奥さんにしている日本人スタッフに聞いてみることにしました。
彼らはどう考えているのだろうか?
それぞれ別の機会に、部屋で二人きりになったときに聞いてみました。
二人とも奥さんはタイの東北部、コンケーン地方の出身でした。別々の町でしたが、生活環境は似通ったものだったのでしょう。
驚いたことに二人の答えは同じでした。
奥さんの家族が普段から、よく通っている大きなお寺が町にあるそうです。
そして彼らは昔から、タンブンという「徳を積む」行為の一環として、そのお寺に寄進しているそうです。
二人は共に、そのお寺の塀壁に自分たちの「灰」を塗り込む権利を買ってある(寄進している)というのです。いわば塀壁が墓代わりなのです。
タイ人を奥さんに持つ日本人二人は「それで良し」としているのでした。
のびパパは考え込んでしまいました。
お寺の塀壁がお墓代わり?
でも、墓石があるわけではないから、名前が書かれているわけではない。そこにのびパパの灰があるということは「記憶」の中だけでしかない。時間の経過とともに「記憶」は風化していく。何年か経つと、だれも覚えていないだろう。お寺の塀壁に遺体の灰と塗り込んだ、という事実を覚えていたとしても、「ここだ」という具体的な場所まで分かる人はほとんどいなくなるのではないだろうか。
お寺の塀壁はお墓の代わりにならないのでは?
これは死生観の問題なのでしょう。
「ターミナルケア」もまた、死生観によってとらえ方が大きく異なるのではないでしょうか。
例会での質問者への回答として、機会があればこの話をしたかったなぁ。
*1 理事長の挨拶 | クリニックについて | にのさかクリニック公式サイト (drnino.jp)