(カバー写真は「NHK NEWS WEB」インタビュー『もうもたない!? 社会のしくみを変えるには』掲載のものです)

 

 『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の社会歴史学』(小熊英二、講談社現代新書、2019年1月、*1)の中に、インドのカースト制度はインド古来のものというより歴史の中で形成されてきたものだとの記載があった。確認しようと、小熊英二氏が38歳の頃に2か月間、国際交流基金の専門家派遣事業でデリー大学に客員教授として過ごしたときに書いた『インド日記 牛とコンピュータの国から』(新曜社、2000年7月、*2)を読んでいる。

 

 

 まだ件の「カースト制度」の起源についての記載箇所にはぶつかっていないが、気になる記述があったので書き残しておきたい。

 端的に言えば、小熊氏は十分に海外経験をしていないのではないか、という疑問である。

 

 のびパパがひっかかったのは「インド英語事情」という小見出しがついた次の個所だ(P-89~90)。

 

 〈インドには憲法で主要言語と認められている言語が十八ほどあるが、教育は国立の場合、小学校高学年から英語の授業がはじまり、高等教育になるとほとんど英語で講義が行われるようになってしまう。〉

 

〈大学でも〉〈英語以外の言語で理科系や社会科学の講義を行っているところはごく少なく、高等教育は英語という常識がある。〉

 

〈途上国の知識人は、日本の知識人とは逆に、現地語で学問用語を駆使するような会話を行えないこともある。〉

 

〈途上国の知識人が英語を話せるのは、植民地化の遺産であると同時に、文字通り「知識人と大衆がまったく違う言語を話す」という格差の一例なのだ。〉

 

 小熊氏のこの認識は、今でも有効なのだろう。

 だが、複数の海外に住んだ経験があれば、おそらく気が付くであろうことに小熊氏は気が付いていないのではないだろうか?

 

 それは「多くの途上国の知識人は、現地語で学問用語を駆使するような会話を行えない」という事実だ。

 

 のびパパは三井物産の若手時代に、会社の「海外修業生制度」に則り香港大学に派遣された。1975年のことである。

 1年目は香港大学で北京語を学び、2年目は香港支店で「御礼奉公」という名のオンザジョブトレーニングを受ける予定だった。

 8月末に現地入りし、9月末から大学に通い始めた。

 まだ学習途中なのにという戸惑いもあったが、修業生1年先輩の同期入社、K君の勧めもあり、同年年末のクリスマス休暇に研修旅行に出た。シンガポール、クワラルンプール、そしてバンコクを1週間ほどで回ったのだ。研修目的は「東南アジアにおける華僑の実態調査」とした。

 

 「修業生」は、在任中一度だけ会社費用で研修旅行に出ることができることになっていた。期間は1週間ほど。

だが、授業が本格化してくるとまとまった休暇が取りにくくなる。そうこうしている内に「御礼奉公」の時期がやってくる、とK君はいうのだ。だから行けるうちに行っておいたほうがいいと。

 

 幸い、目的地にはそれぞれの地で学んでいる修業生がいた。いわば仲間だ。連絡を取って、飛行場の送迎やホテルの予約、滞在中の諸手配をお願いした。

 彼らが香港にくるときは、当然、のびパパがすべて面倒を見る。相見互いである。

 

 クアラルンプールで面倒を見てくれたY氏から、次のような話を聞いた。

 Y氏は大学で半年ほどマレー語を勉強した。だが、それ以上学べるものがないので、今は英語で講義を聞いている、と。

 マレー語では、動詞を2回重ねると名詞になるそうだ。「jalan」は「歩く」だが、「jalan jalan」は「通り」というわけだ。

 このようにマレー語は語彙が不足しており、特に少々込み入った概念を表する語彙がまったく存在していないのだそうだ。だから政治や経済、あるいは歴史や文化をマレー語では説明できないのだと。

 Y氏によると、1975年当時、政府は「国家言語研究所」を設立し、新たなマレー語を作っていた。

 たとえば、英語で「restaurant」(レストラン)という語は「restoran」に、「taxi」(タクシー)は「teksi」に、といった具合だ。

(以上、大昔の記憶なので、間違いがあるかもしれませんが、乞うご容赦)

 

 小熊氏が「インドの高等教育は英語で行われている」と記載しているのを読んで、のびパパはこのエピソードを思い出した。

 『インド日記』を読んで気になったのは、連邦レベルのインドの公用語であるヒンディ語も、おそらく語彙が不足しているのではないだろうか、ということだ。特に抽象的な概念を表現する語彙が存在しておらず、だから大学で、たとえば国際政治学をヒンディ語で教えることはできない。それが、知識人は現地語で学問用語を駆使するような会話は行えないことの背景にあるのではないだろうか。

 

 前述したように母国語の語彙数が少ないことに気が付いたマレーシア政府は、英語からマレー語を作ろうとしていた。

 一方、インド連邦政府には、新たな語彙を創り出すモチベーションも意欲もない、とうことではないだろうか?

 

 これは根深い問題である。

 おそらくインドが抱える困難な課題、カースト制度と強すぎる州の権限問題と同じく、インドが21世紀の中国になれるか否かのカギを握っているのではないだろうか。

 

 ちなみにのびパパが学んだ北京語では、日常生活で使う語彙は日本語と全く異なるものが多い。

 よく使われる例を挙げれば、「トイレットペーパー」は「手紙」だし、「自動車」は「汽車」だ。

 日本語で「洋服」という語は、中国語では「西服」という。「西洋の服」だからだ。なぜか中国語の方が論理的なのだ。

 

 これに対して「政治」や「経済」という語を含めた政治経済分野では、日本語と全く同じ「漢字」を用いているケースが多い。わが国は明治の初期に多くの西洋の概念を新たな語彙を作って対応したのだが、それがそのまま北京語になっているようなのだ。あるいは言語学的には北京語の方が先かもしれないが、いずれにしても共通の語彙が多いのが実態だ。

 

 もっとも発音はまったく異なるので要注意だ。

「習近平」を「しゅうきんぺい」と発音しても、中国の人には理解してもらえない。英文記事にあるように「Xi Jinping」と覚えておこうね。

 

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