『公研』という雑誌がある。200社ほどの公益企業が会員となっている「公益産業研究調査会」の会誌である。

 誌の性格上、会員向けに配布されるのみで、市販はされていない。

 ときどき依頼されて小文を寄稿したり、対談企画に応じたりしているのびパパは、同誌はもっと多くの人に読まれるべきだと考えている。とにもかくにも(のびパパは例外だが)豪華執筆陣による充実した誌面なのだ。読者数が少ないのが残念、と常々思っていた。

 と、いつのころからかは不明だが、一部の記事がオンラインで公開されるようになった。嬉しい限りである。

 

 つい最近『総ゼネラリスト社会は、もう終わりにしませんか』という記事が公開されていることを目にした。タイトルから、我が意を得たり、と紹介する次第だ。

 慶應義塾大学総合政策学部清水唯一郎教授のコラムである(*1)。

 

 清水教授は、コラムタイトルにつながる「短期での人事異動の原因」についておおむね次のように指摘されている。

 (注:原文は漢数字だが、読みやすさを勘案し、算用数字に書き換えている)

 

・明治政府が近代官僚制度を導入したとき「異動を促す昇等の基準は5年だった」。

・ところが1895(明治28)年5月に「高級官僚の早期育成・昇進が求められた」ため「2年」に短縮された。

・以降、「ゼネラリスト」育成の方法として、2年を基準として異動と昇進がおこなわれるようになった。

・1960年代からそうした評価が定着し、今日に至っている。

 

 これを読んでのびパパは、果たしてこれだけが原因だろうかと首を傾げている。

 たとえば清水教授の指摘は「高級官僚」には当てはまるものだろう。だが「中級・下級官僚」はどうだろうか。

 また、民間企業での実態はこれに合致していないのではないだろうか?

 

 確かに日本の大企業も、若手社員をゼネラリストとして育成するため、定期的に異動させることを基本的な人事方針としている。だが、その期間は「2年」ではなく「3~5年」ではないだろうか。

 

 のびパパも入社後、おおよそ3~5年単位で異動した。同一部署内で従事する担当業務が変わることはあったが、在籍期間は最長5年で、6年以上、同じ部署にいたことはない(ただし「香港修業生」として、香港大学で北京語学習を1年、台北支店で「お礼奉公」という実務研修を1年、という例外あり)。

 おそらく「3~5年」で異動させ、複数の職務経験をさせることにより若手育成を図るという、会社全社としての人事方針があったのだろう。

 

 そういえば部長代理の時代に、部の人事管理責任者(「人管」)を仰せつかったことがある。当時、7つほどあったエネルギー本部内の他部「人管」と定期会合を持ち、翌年度の若手(ヒラ部員)の人事異動案を作成し、部長会に提言するのが任務だった。

 各部の「人管」が手にしている資料には、在籍4年目の部員にはイエローマークが、5年目以上の部員にはレッドマークがついていた。もちろん1~3年目の若手は無印である。

 人管会議ではまず、レッドマークの部員の異動を優先的に議論した。そのとき、イエローマークの部員が翌年、レッドマークに替わるという事実を念頭に置く必要があった。

 また、人事異動というのは所詮「玉つき」なので、一人を動かすと他の数人を動かさなければならなくなることにも留意が必要だった。

 

 このように三井物産にも人事政策として、複数部署にそれぞれ3~5年勤務させ、ゼネラリストして育成した上で適格者を幹部に選抜する、というものが確かにあった。

 

 のびパパの狭い経験に過ぎないかもしれないが、大企業にも官庁と同じように、将来の幹部選抜を見込んで「ゼネラリスト」を育成するという人事政策はあるのだ。「2年」が妥当か、「3~5年」の方が有益かは、それぞれの組織目標によるのではないだろうか。

 

 だが、とのびパパは考える。

 「ゼネラリスト」育成を前提として人事制度の問題よりも、OECDが1月12日、日本の「60歳定年制」を止めるよう提言しているが、その背景には次のような問題点がある、としていることが興味深い。

 これこそ問題の根源だよね。

 

出所:社労士井上久氏のVlog『日本に定年制廃止を提言 OECD、働き手確保を促す』2024年1月12日

 

 〈定年制の背景には、年功序列や終身雇用を前提とするメンバー型雇用がある〉

 

 なるほど、「メンバー型雇用」か。

 

 のびパパはかねてより「労働市場の流動化」が必要だと指摘してきたが、本件については日を改めて書き残すことにしようっと。