父親の存在 | 悩みとうまく同居できる人になろう 〜人生を楽に生きる簡単な方法〜

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何がしたいかわからない
自分がどうしていいのかわからない
そんな悩みを持つあなた。一緒に探しに行きましょう。

父親の存在



優しいあなた、毎回押していただいてありがとうございます。
すごく励みになります。


みなさん、こんにちは。

今日は自分の父親との関係、自分がどんな父親になりたいか
そんなお話をさせていただきます。

早速、始めますね。


まずは、私と父親との関係についてですが、
私の父は高度成長期のサラリーマンで
月~土曜日まで仕事ばかりの日々。

正直、あまり一緒に遊んだとか、ゆっくり話したなんて
記憶はほとんどありません。

学生の頃、バカばかりしていた私にも怒るでもなく
警察に捕まって迎えに来るときも無言で家まで帰るだけ。

自分に興味が無いんだなということだけは
何となく分かっていました。


そんな関係だった父と、私の病気をキッカケに
この1、2年たまに話をするようになりました。


私は、小さい頃や学生の頃、やっぱり何かを成し遂げたら
褒めてもらいたいという思いがあったのか

学校や部活の大会なんかでもらった賞状やメダルを
部屋にたくさん飾っていました。

その中でも、一番多かった賞状が中学の陸上部で
やっていた走り高跳びの賞状やメダル。

世間体が大好きな母親は口には出さずとも
嬉しそうにしているのは分かりました。

父親は見てるんだどうだか・・・

その時は、あんまり気にしていませんでした。


それが、先日、私が腰を痛めて立てなくなったとき
その原因が、中学の時の走り高跳びにあると先生にいわれ
私も驚きましたが、それを父親に話したときもっと驚きました。

最初に出てきた言葉が

『お前、走り高跳びなんかやっていたのか?』

しかも、その口調がバカなことして腰を痛めやがって
とでもいいたそうな口ぶりで、それを聞いた私は唖然とするとともに
いろんな思いが込み上げ過ぎて、何も言葉がでませんでした。

あんなにたくさんの賞状やメダル、そして写真まで。
卒業文集にもそのことは書きました。

地元では敵なしだった私の誇りでもありました。


私が大事にしてきて、数少ない親に自慢できること
そして、そんな思いや、その事実さえもしらなかった父。

父親っていったい何なんだろうと改めて考えさせられました。


母親は子供の気持ちを考えない世間体だけがすべての人
父親は子育てにも、子供の将来にもまったく無関心の人

そんな親を困らせたくて悪いことばかりしてきた私


そして私も家族を持った今、このDNAを断ち切らなければ
という思いが強く、迷い右往左往する毎日。

でも、愛することだけは忘れないでいようと
思わされる今日このごろです。

みなさんも、自分の親を一度冷静に見てみて
受け継ぐべきところ、捨てるべきところを見極め
自分は自分の家族の姿をつくって、人生、楽に生きましょう。



それでは、また。