何故に人は生きる?
仏教では生きる事は苦であると書かれていた。
スピリチュアルな本の中では魂の成長の為に人として生きると書かれている事が多い。
試練を乗り越える事で人が成長するのであれば…、困っている人を助ける事は相手の成長を妨げる事になるのか?
相手を成長させる為に試練や苦難を与える事が助けるという意味なのか?
ただ、ただ、苦難に向かっていけば良いのか?
だから昔は苦行を修行としていたのか?
だったら愛には何の意味があるのか?
幸福って、堕落なのか?
何を目指したら魂はゴールを迎える事が出来るんだろう?
また1から考えなければ…。
スピリチュアルな本の中では魂の成長の為に人として生きると書かれている事が多い。
試練を乗り越える事で人が成長するのであれば…、困っている人を助ける事は相手の成長を妨げる事になるのか?
相手を成長させる為に試練や苦難を与える事が助けるという意味なのか?
ただ、ただ、苦難に向かっていけば良いのか?
だから昔は苦行を修行としていたのか?
だったら愛には何の意味があるのか?
幸福って、堕落なのか?
何を目指したら魂はゴールを迎える事が出来るんだろう?
また1から考えなければ…。
救うか? 救えるのか?
仕事が出来る事を理由に後輩をイジメる人間関係で、皆がイジメる人に追いつくように状況に改善した。
ただ、問題はまだ残っていた。
イジメていた人は勤務態度にも問題があって、昨年の更新契約の時に1人は契約停止、2人は契約更新を選んで契約した。
自分は契約更新を選択した…。
「仕事を出来る人だけが苦労する」という環境を脱すれば、まだ救えると思っていた。
でも、対応の手抜き、失敗に対する反省の無さ、人の失敗を騒ぎたてる、サボろうする、と問題は山積みのまま。
イジメをしていた人のヒドイ手抜きが見つかると、皆が大騒ぎにしたがる。
手抜きに対して注意をしても反省の色がない。
正直「契約を更新しなければ良かった」と思った。
そしてイジメられていた人達からの逆襲が始まった。
自分と一緒に契約更新を選択した同僚は、「いい所もあるから…」と庇っている。
職場は違っていてもサポート職を長年していたが、「出来る・出来ない」の問題は対応できた。
但し、「仕事をしない・余計な事をする」を対応した場合には関係を切ってきた。
救う義理も無いとも思うけど、救えるんじゃ無いか?と思ってしまう。
同僚は救いたいと思っている。
自分は本当に救いたいのか?
救う術はあるのか?
ただ、問題はまだ残っていた。
イジメていた人は勤務態度にも問題があって、昨年の更新契約の時に1人は契約停止、2人は契約更新を選んで契約した。
自分は契約更新を選択した…。
「仕事を出来る人だけが苦労する」という環境を脱すれば、まだ救えると思っていた。
でも、対応の手抜き、失敗に対する反省の無さ、人の失敗を騒ぎたてる、サボろうする、と問題は山積みのまま。
イジメをしていた人のヒドイ手抜きが見つかると、皆が大騒ぎにしたがる。
手抜きに対して注意をしても反省の色がない。
正直「契約を更新しなければ良かった」と思った。
そしてイジメられていた人達からの逆襲が始まった。
自分と一緒に契約更新を選択した同僚は、「いい所もあるから…」と庇っている。
職場は違っていてもサポート職を長年していたが、「出来る・出来ない」の問題は対応できた。
但し、「仕事をしない・余計な事をする」を対応した場合には関係を切ってきた。
救う義理も無いとも思うけど、救えるんじゃ無いか?と思ってしまう。
同僚は救いたいと思っている。
自分は本当に救いたいのか?
救う術はあるのか?