Wakeのブログ -27ページ目

こたえ?

「なぜ?」という苦しみが、ずっとあった。



自分を鬱病に追い込んだ裏切りに。


自分が上司から「問題を見つけろ」という命令を受けて、問題を見つけて訴え続けた末に、上司達が「問題を見つけた事」を「罪」として自分の事を裁いた理由が解らなくて・・・「なぜ?」と。


理不尽過ぎだと。


上司達が更に上から責められる事に恐れを抱いて、保身の為である事は簡単だった。


その抱いた恐れを前に、「問題を見つける自分」という存在に対しても「恐れ」を抱いたのでは?

と思えてきた。


保身の為に恐れに板ばさみになった時に、潰せたのは自分だったんじゃないか?



ただ、自分は上司達にとって潰しても構わない存在であった事もわかってる。



本当に「自分」は大切にされ無い存在である事に対する寂しさに苦しみを感じている。

なにが光か?

自分や他人という殻や壁

日頃から自分の判断について注意する中で、自分だったり、他人だったり、国だったり、会社だったり、家族だったりという判断があった。



会社の中なら細かい作業分担をしていなくても「◯◯さんの仕事」「自分の仕事」と何らかの壁や境界線を引いて自分と◯◯さんを分けている。


そして嫌な事なら互いに「そっちの仕事だろ」と押し付け合う。


国家間なら尖閣諸島のように欲しい対象を「ウチの領地だっ」と奪いあう。


家族間で離婚した時に子供を奪いあったり、押し付けあったりする。

子供にしてみたら両者の子供なのにね。

ダレの「物」というのは、別問題として


互いに境界線があるから奪い合ったり、押し付けあったりする。


そんな線は実在しないよね。


人の判断のみ存在する線だ。



高次元からみたら自分と他人の境界線も無いのかもしれない。


そこまでは解らなくても最近感じるのは、絶望の中に自分がいる時に、希望の光を遮る壁を作ったのは実は自分なのかもしれない。