水の如く
上善水の如し
という言葉は昔の上司に教わった言葉だった。
意味としては、
1 水は瞬時に姿を変える柔軟性を持つ
水は形を持たずに器に入れると、器の形に瞬時に形を変えて、器の形に逆らわない。
2 水は岩をも砕く
水は同じ所に落ち続けると、水滴でも長い年月を繰り返すと岩に穴をあけて、遂には岩をも砕く。
3 水は下に下る事が出来る
水は高い所から下に下る事ができる。
高い立場にいても、低い立場に下る事ができる。
4 水は命を育む
水は万物の命を育む事ができる。
と、こんな感じで、正しいと思っていた(;^_^A
そんな中で、昔読んでいたバカボンドの続きが気になって、読んで見る中で、「自由だ」という言葉が出てきた時に何かが壊れ始めた。
上記の2は・・・水の力か?
万有引力じゃないか?
上記の3も・・・万有引力じゃないか?
上記の4は、水によって命が奪われる事もあるぞ orz
残ったのは1の柔軟性と「自由だ」という謎になった。
1の逆らわないのは、上司や人に逆らわないという意味だとして、心のままにいきられるのか?
何に従っているのか?
それは、本当の法に従っている。
他者に従っている訳じゃない。
本当の法は、何処にある?
真の法は何処にある?
思い付くのは・・・心にある。
心(法)に従う。
でも、水のように生きると、命を奪う事さえある。
誰かを傷つけたり、悲しませたり、してしまう事もあると解って、心のままに生きられるのか?
でも、
悪かった?と思っても、結果オーライという言葉がある。
良かったのか?悪かったのか?それは判断した時点で答えは変わる。
良い。と、悪い。が両方があって、どちらとも言えない。
やはり判断なんてできない。
そして「自由」の謎は・・・自分で自分の形を持ってしまうから、「不自由」だったんだ。
自分の形を持たない、自分の心を制限しない。
それは心が「自由」になるという意味だった。
水の如く、自由に生きる。
そうありたいと思う。
という言葉は昔の上司に教わった言葉だった。
意味としては、
1 水は瞬時に姿を変える柔軟性を持つ
水は形を持たずに器に入れると、器の形に瞬時に形を変えて、器の形に逆らわない。
2 水は岩をも砕く
水は同じ所に落ち続けると、水滴でも長い年月を繰り返すと岩に穴をあけて、遂には岩をも砕く。
3 水は下に下る事が出来る
水は高い所から下に下る事ができる。
高い立場にいても、低い立場に下る事ができる。
4 水は命を育む
水は万物の命を育む事ができる。
と、こんな感じで、正しいと思っていた(;^_^A
そんな中で、昔読んでいたバカボンドの続きが気になって、読んで見る中で、「自由だ」という言葉が出てきた時に何かが壊れ始めた。
上記の2は・・・水の力か?
万有引力じゃないか?
上記の3も・・・万有引力じゃないか?
上記の4は、水によって命が奪われる事もあるぞ orz
残ったのは1の柔軟性と「自由だ」という謎になった。
1の逆らわないのは、上司や人に逆らわないという意味だとして、心のままにいきられるのか?
何に従っているのか?
それは、本当の法に従っている。
他者に従っている訳じゃない。
本当の法は、何処にある?
真の法は何処にある?
思い付くのは・・・心にある。
心(法)に従う。
でも、水のように生きると、命を奪う事さえある。
誰かを傷つけたり、悲しませたり、してしまう事もあると解って、心のままに生きられるのか?
でも、
悪かった?と思っても、結果オーライという言葉がある。
良かったのか?悪かったのか?それは判断した時点で答えは変わる。
良い。と、悪い。が両方があって、どちらとも言えない。
やはり判断なんてできない。
そして「自由」の謎は・・・自分で自分の形を持ってしまうから、「不自由」だったんだ。
自分の形を持たない、自分の心を制限しない。
それは心が「自由」になるという意味だった。
水の如く、自由に生きる。
そうありたいと思う。
自分は自分以外になれない
自分の心のままに生きるなかで、
「心を偽った方が楽に生きられるのでは・・・」と思う事がある。
自分の心のままに生きて、心に傷を負う思いでが出てくる。
自分を偽っても、自分以外にはなれない。
桔梗は桔梗の花を咲かせて、薔薇は薔薇の花を咲かせる。
桔梗は薔薇の花を咲かせられない。
桔梗だから。
この傷の痛みは、心の望みが大きかった証だろう。
この心の傷も自分だと思って、痛みを持ったまま生きていこう。
「心を偽った方が楽に生きられるのでは・・・」と思う事がある。
自分の心のままに生きて、心に傷を負う思いでが出てくる。
自分を偽っても、自分以外にはなれない。
桔梗は桔梗の花を咲かせて、薔薇は薔薇の花を咲かせる。
桔梗は薔薇の花を咲かせられない。
桔梗だから。
この傷の痛みは、心の望みが大きかった証だろう。
この心の傷も自分だと思って、痛みを持ったまま生きていこう。
どっちでも良いのでは?
最近は頭の中で激しく価値観の世界が崩壊していく。
そんな中で「私の前世は○○だ」と言う人が、周囲の人から「違うよ」と否定されたら怒りながら、否定した人を否定する話を聞いた。
まぁ、自分で自分を信じていたら怒る必要も無いし、否定する必要も無いと思える。
・・・もしかしたら両方が本当の事を言っているかもしれない。
人の魂が、ずうっと同じ魂とは限らずに生まれる度にブレンドされていたとして、魂の数パーセントに「私の前世は○○」と言う人の魂に含まれていたとして、本人はその数パーセントを100パーセントだと言い張って、否定した人は自分の見た100パーセントの状態を観て「違う」と言ったのかもしれない。
それならば、どちらも正しいと言えるし、どちらも間違っているとも言える。
そんな事を考えて「確認のしようも無いし」と思った時に、自分の求めていた真実の価値が崩壊して、本当に「真実」とか「正しい」という事に強い疑問を感じた。
「真実」だったから何か?
「正しい」なら何か?
真理を指標にする為に、真理や悟りを求めたけど、真理は常に「正しいと言えるし、間違っているとも言える」と指標どころか、次々に周囲の存在を消していく。
自分の身体は消えても、まだ自分のハートが消えていない。
信じられるのは自分のハートだけなのかな?
そんな中で「私の前世は○○だ」と言う人が、周囲の人から「違うよ」と否定されたら怒りながら、否定した人を否定する話を聞いた。
まぁ、自分で自分を信じていたら怒る必要も無いし、否定する必要も無いと思える。
・・・もしかしたら両方が本当の事を言っているかもしれない。
人の魂が、ずうっと同じ魂とは限らずに生まれる度にブレンドされていたとして、魂の数パーセントに「私の前世は○○」と言う人の魂に含まれていたとして、本人はその数パーセントを100パーセントだと言い張って、否定した人は自分の見た100パーセントの状態を観て「違う」と言ったのかもしれない。
それならば、どちらも正しいと言えるし、どちらも間違っているとも言える。
そんな事を考えて「確認のしようも無いし」と思った時に、自分の求めていた真実の価値が崩壊して、本当に「真実」とか「正しい」という事に強い疑問を感じた。
「真実」だったから何か?
「正しい」なら何か?
真理を指標にする為に、真理や悟りを求めたけど、真理は常に「正しいと言えるし、間違っているとも言える」と指標どころか、次々に周囲の存在を消していく。
自分の身体は消えても、まだ自分のハートが消えていない。
信じられるのは自分のハートだけなのかな?