真実も解らないのなら? | Wakeのブログ

真実も解らないのなら?

更に前回からの記事の続きになるのですが。


簡単に言ってしまうけど、



信じられる事の結晶が、常識(無意識の通常性)であると思う。



真実を知りたいと思う事はある!



でも、真実や信じられる事が無ければ、生きていけないのか?


常識が無ければ、本当に生きていけない訳では無い。


良いことをしたいと思っても、どうあがいても、良くも悪くもある。



確かに自分の中で、自分の信じられる事が壊れた時には、創造、維持、破壊の法則に従って、新たに「信じられる事」が生まれる。


ただ、それを繰り返しても、永遠に迷い続ける事が解ってくる。



自分の場合は、鬱病になってから「何故?」と答えを探し続けてきた。


でも、終わらない答え探しのループに気づいて、最後に今までの知識、知恵を壊してみた。


その後には、「また、そうなるのが怖かった。」「そこに何かを失いたくない執着があった。」という答えが出てきた。



もう考える必要性が消え去って、失いたくない対象を失ったとしても(破壊)→また別な対象に会える(創造)と思って、手放せるようになった。


最後に気付いたのは、「失いたくないと思っている執着は、人として生まれてから、得たたものばかりだった」


だから、失っても、また会える。


もう、考える必要性が無い。


手放せる。


まあ、途中、途中で色々と、学んだから言えるのもあるけど、また鬱病になる必要性があるのなら、それも仕方ない。


とても、落ち着けて、不安も無く、自由だ♪



瞑想も趣味程度に続けるけど、気楽になった。