ゴールデンウィーク後半に神戸へ向かった。
昨年義母が亡くなり、それから一人暮らしを続けている義父を誘って、
近場に2泊の旅行をしようということになったのである。
初夏のような5月であれば、海の見える所が気持ちよいだろうという妻の発案で
淡路島へ向かうことになった。
さすがにゴールデンウィーク中は混雑していて宿も取れないので
7日からの旅程とした。息子も2日ほど大学をさぼる。
とはいえ、もう授業のコマもそんなにないそうだ。
神戸の天気はゴールデンウィークの6日から晴天続きで、
空気もカラッとして非常に気持ちよかったし、
道路は渋滞もなく景勝地にいる観光客もごく僅かで、どこも空いている。
淡路島の花さじきという高台にある花畑からは瀬戸内海が一望できるし
ウグイスの鳴き声がそこかしこから聞こえて来る。
暑いくらいの日射しも気持ちよいものだった。
一泊目の宿のレストランには我々の家族しかおらず貸し切り状態。
広い敷地内にあるいろんな施設を散策していても、他の客に会う事もない。
夕方の空気も光も美しい時間、瀬戸内海からの風と新緑の山に囲まれた静かな丘の上の宿に
我々の家族だけ… 贅沢なひとときを楽しんだ、
と結びたいところだが、僕の中では複雑な気持ちだった。
この旅の、どこのシーンもキレイすぎる。
この家族の中で誰かが居なくなった時(それは年齢から考えれば義父が一番早いかもしれない)
この旅の記憶は、キレイすぎて悲しすぎるのではないかと思ってしまったのだ。
旅の合間にiPhoneで写真や動画を撮影していたのだが、
それを再生してみるとどれも悲しいのだ。
家族だけで涅槃を旅しているような、そんな記録に見えてくる。
そういう想いは旅が終わっても変わらない。
僕の実家に帰っても味わうことが多くなった無常観が
神戸にも付いて回る。
本来、能天気で楽天的な人間なんだけどな。