217年5月。

一気に西方面を片付け、ほぼ3国がぶつかり合う状況になりました。

西涼の馬超をあとで倒す形とし、長安まであと一歩のところまで迫りました。


と、ここまでに至った経緯を書いていきます。

劉璋陣営を倒した後、曹操に引き抜かれた徐庶を奪還します。


親孝行という縛りがなければ、存分に力を発揮できたであろう徐庶。

劉備陣営で正しく使わないと、ですね。


孟獲軍も倒し、当主も投降しました。


しかし、漢中を拠点としていた張魯は投降をよしとせず、刑場の露と消えました。

史実では張魯や龐徳が曹操陣営に降ったことを考えれば、納得の結果ですかね。


先述した通り、馬超陣営は長安を治めてから攻めます。

曹操・孫権陣営に関しては、焦らずじっくり攻めます。

もう次に書く頃には、洛陽に入ってるかも⁉︎


ちなみに、このブログのサムネに使ってるのは、この学者先生です。

自分に似てるわけではないのですが、よく出てくるので使ってみました。