数々の歴史上の重大な出来事の舞台となったらしいここも今は当時ほどの役割はないようで歩いているかぎりごく一般的な橋とそう変わらない、現代版の唐橋。
当時とかわらないであろう比良山系の山並みや石山の山並みを見て、足下は穏やかな流れの瀬田川。
橋周辺の街並みも観光地としてはずいぶん寂れている。
鰻の店が目立つぐらいて確か昔あったはずのかき氷を食べることができる店もなくなっていた。
今は、三上山との関係の深い『ムカデ退治』の伝説や、近江国の一ノ宮でもあり日本神話における重要な人物、ヤマトタケルを祀る武部大社の存在が、唐橋の往年の姿を想像させる。
ここから草津まで民家が主の地味な通りが続く。油断すると迷いそうになることも。ただ注意深く見れば案内板や史跡があちらこちらに。このあたりに東海道沿いらしさを。
そういえば、みかける民家は立派な構えの家おおく、お金持ちの家があつまる場所という雰囲気が漂っているのはきのせいかそうでないか。
街中にみかけた東海道上の風景画。東海道が整備された江戸時代、この周辺はなにもない所だったみたいだけど。
対岸に城らしきものがあるから膳所付近??
そろそろ今日のゴールが近づく、日没せまる時間帯。京都を朝に出発するとだいたいこのへんで日没をむかえるのが今の季節の定番のタイミング。それがギリギリになってしまったのは11月で日没時間が思った以上にはやまっていたこともあって。
52番目の宿場、草津。当時ならばここで宿をというところ。今は宿らしき宿はみあたらず。昔は150件ほどあったかなり大きな宿場だった草津。
街並みは旧街道を思わせるもので浜大津界隈よりその規模は大きめ。観光場所としてもじゅうぶん。
これは昔に撮影した写真。案内板や史跡の数、資料館など複数。
そしてなんといっても本陣跡。国内で現存すること最大の本陣がここに。
しかし『本陣って何?』って人が多そうなのが問題ではある。
自身もはじめは江戸時代に参勤交代などで特別な人が宿泊に利用した施設ぐらいの理解から。東海道をあるくならしっておきたい基礎知識のひとつ。
ほか、宿場といえば酒店。老舗の酒店は宿場でよくみかける。
和菓子では草津名物うばがもち。こちら本店は今は1号線沿いになるが。
今回は草津宿にそう時間はかけず天上川のトンネルをくぐり別世界の現代の草津の街並みへ。町の発展史を思わせる景観の差。
江戸時代と現代の町それぞれ、作られ方やその原理や違いなどに思いを馳せつつ、今日のゴール。
ゴールあとは早速うばがもちの本店にむかう。
疲れた身体を癒すうばがもち、戦国時代からの伝統の味は空腹感にとても沁みる。
うばがもち物語 | 滋賀・草津のお菓子処
滋賀・草津の銘菓うばがもち。その歴史は深く、400年あまりに渡り愛され続けています。 草津は近江路随一の宿場町で、うばがもちは旅人の茶屋での一服に出されていました。やがて広重、北斎などの浮世絵にも描かれ草津名物として定着しました。
うばがもちが有名になっていく最中にこんな歌が流行したそう。今日の旅路を思い出し。
「瀬田へ廻ろうか
矢橋へ下ろうか
此処が思案のうばがもち」
本日の歩数。初日からがんばった。


















